玉勝間 / 五の巻 菩薩楽
江家次第、興福寺供養儀に、菩薩樂あり。菩薩十六人擊供花云云、など云へり。今ノ世に、當麻のねり供養と云ふなるわざは、これらよりぞ出けん。
新字:江家次第、興福寺供養儀に、菩薩楽あり。菩薩十六人撃供花云云、など云へり。今ノ世に、当麻のねり供養と云ふなるわざは、これらよりぞ出けん。
書き下し
江家次第、興福寺供養の儀に、菩薩楽あり。菩薩十六人、供花を撃ぐ云云、など云えり。今の世に、当麻のねり供養と云うなるわざは、これらよりぞ出でけん。
現代語訳
『江家次第』の興福寺供養の儀に、菩薩楽がある。「菩薩十六人が供花をささげる」などと言っている。今の世に当麻の練り供養というものは、これらから出たのであろう。
解説
大江匡房の儀式書『江家次第』から、興福寺の供養で行われた菩薩楽の記事を拾い、当麻寺の練り供養の源に当てた段である。菩薩楽は、菩薩の姿に扮した人々が花を捧げて進む法会の芸能である。当麻寺の練り供養は、中将姫の往生を記念して、菩薩の面をつけた人々が来迎の様子を演じながら練り歩く行事で、宣長の時代にもよく知られていた。宣長は、それが平安の大寺院の儀式に見える菩薩楽の流れを引くものだろうと推し量っている。断定せず「出でけん」と推量にとどめているところに、証拠の範囲で語る宣長の慎重さがある。地方の祭や行事の多くは、都の古い儀式が形を変えて残ったものだ。今見る行事の奥に古い姿を探す、という見方を教えてくれる。
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