玉勝間 / 八の巻 人の立いにしあとを掃ことを忌事
人の去し跡を、掃事をいむは、萬葉集にも、十九の卷に、櫛も見じ屋中もはかじ草枕旅ゆく君をいはふと思ひて。
新字:人の去し跡を、掃事をいむは、万葉集にも、十九の巻に、櫛も見じ屋中もはかじ草枕旅ゆく君をいはふと思ひて。
書き下し
人の去し跡を、掃く事をいむは、万葉集にも、十九の巻に、櫛も見じ屋中もはかじ草枕旅ゆく君をいわうと思いて。
現代語訳
人が去った跡を掃くことを忌むのは、万葉集にも、巻十九に「櫛も見じ屋中も掃かじ草枕旅行く君を斎うと思いて(櫛も手に取るまい、家の中も掃くまい、旅に出るあなたの無事を祈って身を慎もうと思って)」とある。
解説
旅立った人の後を掃かないという習俗が、万葉集の時代からあったことを示した段である。江戸時代にも、家の者が旅に出た直後に掃除をすると、その人が帰ってこなくなるなどと言って忌む習いがあった。宣長は、万葉集巻十九の、旅立つ人の無事を祈って、櫛も使わず家の中も掃かずに身を慎むという歌を引き、この習俗が千年以上前から続いていることを示す。斎うとは、身を清め慎んで神に祈ることで、留守を守る者の慎みが旅人の無事につながると信じられていた。この巻の初めで宣長が説いたように、世の習俗には古の心が残っている。俗信と片づけられがちな習いの中に、万葉びとの切実な祈りがそのまま生きているのである。去った人を思う気持ちが、掃かないという小さな慎みの形で長く受け継がれてきたことに、深い感慨を覚える段である。
関連する章句
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