玉勝間 / 五の巻 あやしき事の説
もし人と云ふ物、今は無き世にて、神代にさる物ありきと記して、その人と云ひし物のありしやう、まづ上つかたに、首と云ふ所有て、その左ッ右に、耳と云ふもの有て、もろもろの聲をよく聞き、おもての上つ方に、目と云ふ物二つ有りて、よろづの物の色かたちを、殘るくまなく見明らめ、その下に、鼻と云ふものも有て、物の香をかぎ、又下に、口と云フ物ありて、おくより聲の出るを、くちびるを動かし、舌を働かすままに、その聲さまざまにかはりて、詞と成りて、萬の事を云ひ分け、又首の下の左右に、手と云ふもの有て、末に岐ありて、指と云ふ此およびを働かして、萬のわざをなし、萬の物を造り出せり。又下つかたに、足と云ふ物、是も二つ有て、うごかしはこべば、百重の山をも登り越えて、いづこまでもありき行きつ。かくて又胸の内に隱れて、心と云ふ物有つる。こは有るが中にも、いとあやしき物にて、色も形も無きものから、上の件耳の聲を聞き、目の物を見、口のもの云ひ、手足のはたらくも、皆此心のしわざにてぞ有ける。
新字:もし人と云ふ物、今は無き世にて、神代にさる物ありきと記して、その人と云ひし物のありしやう、まづ上つかたに、首と云ふ所有て、その左ッ右に、耳と云ふもの有て、もろもろの声をよく聞き、おもての上つ方に、目と云ふ物二つ有りて、よろづの物の色かたちを、残るくまなく見明らめ、その下に、鼻と云ふものも有て、物の香をかぎ、又下に、口と云フ物ありて、おくより声の出るを、くちびるを動かし、舌を働かすままに、その声さまざまにかはりて、詞と成りて、万の事を云ひ分け、又首の下の左右に、手と云ふもの有て、末に岐ありて、指と云ふ此およびを働かして、万のわざをなし、万の物を造り出せり。又下つかたに、足と云ふ物、是も二つ有て、うごかしはこべば、百重の山をも登り越えて、いづこまでもありき行きつ。かくて又胸の内に隠れて、心と云ふ物有つる。こは有るが中にも、いとあやしき物にて、色も形も無きものから、上の件耳の声を聞き、目の物を見、口のもの云ひ、手足のはたらくも、皆此心のしわざにてぞ有ける。
書き下し
もし人と云う物、今は無き世にて、神代にさる物ありきと記して、その人と云いし物のありしよう、まず上つかたに、首と云う所有りて、その左右に、耳と云うもの有りて、もろもろの声をよく聞き、おもての上つ方に、目と云う物二つ有りて、よろずの物の色かたちを、残るくまなく見明らめ、その下に、鼻と云うものも有りて、物の香をかぎ、又下に、口と云う物ありて、おくより声の出ずるを、くちびるを動かし、舌を働かすままに、その声さまざまにかわりて、詞と成りて、万の事を云い分け、又首の下の左右に、手と云うもの有りて、末に岐ありて、指と云うこのおよびを働かして、万のわざをなし、万の物を造り出だせり。又下つかたに、足と云う物、これも二つ有りて、うごかしはこべば、百重の山をも登り越えて、いずこまでもありき行きつ。かくて又胸の内に隠れて、心と云う物有りつる。こは有るが中にも、いとあやしき物にて、色も形も無きものから、上の件、耳の声を聞き、目の物を見、口のもの云い、手足のはたらくも、皆この心のしわざにてぞ有りける。
現代語訳
もし、人というものが今はいない世であるとして、「神代にそういうものがいた」と記し、その人というものの有様を次のように書いたとする。まず上の方に首というところがあり、その左右に耳というものがあって、さまざまな声をよく聞く。顔の上の方に目というものが二つあって、あらゆる物の色や形を、隅々まで見分ける。その下に鼻というものもあって、物の香りをかぐ。さらに下に口というものがあって、奥から声が出るのを、唇を動かし舌を働かせるにつれて、その声がさまざまに変わって言葉となり、あらゆることを言い分ける。また首の下の左右に手というものがあって、先が枝分かれしており、指というこの指を働かせて、あらゆる仕事をし、あらゆる物を造り出した。また下の方に足というもの、これも二つあって、動かして運べば、幾重もの山をも登り越えて、どこまでも歩いて行った。そしてまた胸の内に隠れて、心というものがあった。これはあるものの中でもことに不思議なもので、色も形もないのに、先に述べた、耳が声を聞き、目が物を見、口がものを言い、手足が働くのも、みなこの心のしわざであった。
解説
関連する章句
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『玉勝間』五の巻 また又上のくだり、人と云いて、神代に有りし物の、生まるるはじめを記して、この人と云いける物の、出で来しようは、まずはじめ某の国に、男女住みける。その男女、夜ねたりし程に、しかじかのわざをしたりしに、女の腹なん、ようようにふくらかになりて、十月と云う頃おい、腹いたく覚えて、にわかにまえより、何にかあらん、動きて啼くものぞ出で来にける。とりあげて見ければ、云云の物になん有りける。またはじめ、腹のふくらかになりつる程よりして、胸乳より白き汁の出でそめて、たえず出でけるを、かの出で来て啼く物の、声のいずる孔にあてて、くくめしかば、心地よげにのむままに、よるひると云わず飲ませつつ、月日をふるままに、その物、ようように大きになりゆきて、初めの程はせざりしわざどもも、ようようにしいでてなむ、上の件に云えるようにはなれりける、としるしたらんを、儒者見てば、又何とか云わむとする。例の、寓言とぞ云うべき。すべて神代の事どもも、今は世にさる事の無ければこそ、あやしとは思うなれ。今も有らましかば、あやしとは思わましや。今世に有る事も、今有ればこそ、あやしとは思わね、つらつら思いめぐらせば、世の中にあらゆる事、なに物かはあやしからざる。云いもてゆけば、あやしからぬは無きぞとよ。
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『玉勝間』五の巻 あやしき事の説さるにこの人と云いし物、ある時いたくなやみて、ようように重りて行くほどに、ついにかのよろずのしわざ皆やみて、いささか動く事もせず成りて止みにき、と記したらむ書を、儒者の見たらむには、例の信ぜずして、神代ならんからに、いずこのさるあやしき事か有るべき。すべてすべて理も無く、つたなき寓言にこそは有れ、とぞ云わむかし。
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『玉勝間』五の巻 漢籍と神ノ御典とのけぢめ上の三件につきて、又おかしきさとし説をぞ思いえたる。そはすべてから書の、万ずにかしこく、ことわり深く聞ゆるにくらべては、神代の伝説どもの、はかなく愚かに聞こゆるけじめを、一つちかき事につきて、さとさむとするなり。たとえば、今この人と云う物を一人、作り出でんとせむに、いかにかしこくさとり深く、たくみなる人の、いかに心をくだきて、例の陰陽和合のことわりを極め、ここらの年月をいたずきて、作り成さむとすとも、かく活きはたらくまことの人をば、つくり得る事あたわじを、上に云えるように、ただかのおとこ女の閨の内のみそかわざによりては、心をも入れず、小刀の一つだにつかわず、何の労も無くて、成り出ずるぞかし。さるはその閨のうちのしわざよ、何のかしこくうるわしく、理深げなる事かは有る。そのありさまは、穂にいだしてまねぶべくも有らず、いともいともひとわろく、めめしく、童べのたわぶれにもおとりて、はかなく愚かなるしわざなれども、これによりてこそ、人のたくみにてはえ作らぬ、まことの人の、さばかりたやすく成り出ずるなれ。神の御しわざは、世にはかりがたく、あやしくたえなる物ならずや。
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『十善法語』巻第十一・不邪見戒之中カウシヤ。心ノ往処ニ其形現ス。業ニ随テ其報ヲ受ク。今此人間ニ生スル業ニ随テ生シ。生ヲ受ルニ随テ其念ノ相続スルコトシヤ。此人間分際テ看レハ。楼閣形ノ衆生ナトトキケハ。奇怪ナル様ニ思ヘケレトモ。正眼ニ看来レハ。珍ラシキコトデハナイ。且ク此人間ノ目鼻ト云モノモ。手足ト云モノモ。自性法界ヨリ看レハ希有ナルモノシヤ。珍シキ物カ出来テアルコトシヤ。
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『玉勝間』五の巻 漢籍と神ノ御典とのけぢめからぶみの説は、いとかしこくは聞ゆれども、人のさとりは限りし有れば、及ばぬところ有りて、かの人のたくみをもて、人を作らんとすれども、ついに作り得ることあたわざるがごとくなるを、神代の伝えごとは、かの閨の内の態の、見る目ははかなく愚かなれども、よく人を造りなすに同じきをや。このふたつを思いわたして、神世の事どもの、うわべは、なにのことわり有りげも無く、はかなくおろかに聞こゆれども、まことには、人の智の及びがたくはかりがたき、深き理のそなわりたんめる事を、さとりねかしとぞ。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上夫人ハ万物ノ霊ナリ。天地ニ参テ三才ト称ス。此人ノ此心アル。方寸ノ間ニ隠レテ天地ノ外ヲ該ル。一類定リ有テ万物ノ理ヲ備フ。現今出来テ古今ノ成敗ニ明了ナル。天地モ此人間有テ上ニ覆ヒ下ニ載ル。万物モ此人間有テ各各其用アル。神祇モ此人間有テ其徳ヲ顕ハス。其来処ヲ尋レハ。幽玄ニシテ知ルヘキ所ナラス。刀ノ鍛冶カ手ヨリ造作スル如ニ非ス。其用処ヲ詳ニスレハ。麁細兼了シテ蹤跡ヲ得難イ。鑿ノ木ヲ穿チ。芒鎌子ノ草ヲ刈ル。大刀ニ大刀ノ用有テ。此ヲ小事ニ用ラレズ。小刀ニ小刀ノ用有テ。此ヲ大事ニ用ラレヌ如ニハ非ス。此心有テ此心ノ貴ヲ知ラス。人趣ニ生ヲ受テ人趣ノ貴ヲ知ラス。悲ムヘキコトソ。
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