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玉勝間 / 五の巻 熊沢氏が神典を論へる事

すべて世ノ中のことわりは、限り無きものにて、さらに人の短かき智もて、知りつくすべきわざに有らざれば、神代の事あやしとて、凡人のいかでかはたはやすくはかり云はん。筆者道德の學無かりし故に、寓言のしざままで愚かなりとは、其事どもの、なにのいたり深きことわりも無く、唯だいと淺はかに聞ゆるを云ふなるべし。そは猶思ひはかりの、くはしからざる事なりかし。古今集の歌にも、そこひなき淵やは騒く、と詠める如く、すぐれて深き事は、かへりてうはべには、何の深きことわりも見えぬものにて、その理リ深げに見え聞えたる事は、かの山川の淺瀨の浪のさわぐにて、まことには、さしも深からぬにこそあれ。底ひなき淵のさわがぬことわりまでを、今すこし深く思はざるは、いかにぞや。昔神代の御ふみをしるせりし人、たとひいはゆる道德の學問は無くとも、寓言をも作るばかりのざえ有らんには、いささかにても、必ず山川の浪の玉ちる、岩瀨のけしきをも、などかは作り成す事を得ざらむ。見どころも無き淵にては、やむべきに有らざるをや。

新字:すべて世ノ中のことわりは、限り無きものにて、さらに人の短かき智もて、知りつくすべきわざに有らざれば、神代の事あやしとて、凡人のいかでかはたはやすくはかり云はん。筆者道徳の学無かりし故に、寓言のしざままで愚かなりとは、其事どもの、なにのいたり深きことわりも無く、唯だいと浅はかに聞ゆるを云ふなるべし。そは猶思ひはかりの、くはしからざる事なりかし。古今集の歌にも、そこひなき淵やは騒く、と詠める如く、すぐれて深き事は、かへりてうはべには、何の深きことわりも見えぬものにて、その理リ深げに見え聞えたる事は、かの山川の浅瀨の浪のさわぐにて、まことには、さしも深からぬにこそあれ。底ひなき淵のさわがぬことわりまでを、今すこし深く思はざるは、いかにぞや。昔神代の御ふみをしるせりし人、たとひいはゆる道徳の学問は無くとも、寓言をも作るばかりのざえ有らんには、いささかにても、必ず山川の浪の玉ちる、岩瀨のけしきをも、などかは作り成す事を得ざらむ。見どころも無き淵にては、やむべきに有らざるをや。

書き下し

すべて世の中のことわりは、限り無きものにて、さらに人の短かき智もて、知りつくすべきわざに有らざれば、神代の事あやしとて、凡人のいかでかはたやすくはかり云わん。筆者道徳の学無かりし故に、寓言のしざままで愚かなりとは、その事どもの、なにのいたり深きことわりも無く、ただいと浅はかに聞ゆるを云うなるべし。そは猶思いはかりの、くわしからざる事なりかし。古今集の歌にも、そこいなき淵やは騒ぐ、と詠めるごとく、すぐれて深き事は、かえりてうわべには、何の深きことわりも見えぬものにて、その理深げに見え聞えたる事は、かの山川の浅瀬の浪のさわぐにて、まことには、さしも深からぬにこそあれ。底いなき淵のさわがぬことわりまでを、今すこし深く思わざるは、いかにぞや。昔神代の御ふみをしるせりし人、たとい、いわゆる道徳の学問は無くとも、寓言をも作るばかりのざえ有らんには、いささかにても、必ず山川の浪の玉ちる、岩瀬のけしきをも、などかは作り成す事を得ざらむ。見どころも無き淵にては、やむべきに有らざるをや。

現代語訳

そもそも世の中の道理は限りのないものであって、人の短い知恵で知り尽くせるものではないのだから、神代の事が不思議だからといって、凡人がどうしてたやすく推し量って論じられようか。「筆者に道徳の学がなかったので、寓言の作り方まで愚かだ」というのは、その事柄に何の奥深い道理もなく、ただひどく浅はかに聞こえることを言っているのだろう。それはやはり考えが行き届いていないのである。古今集の歌にも「底のない淵が騒ぐだろうか」と詠んでいるように、きわめて深いことは、かえって表面には何の深い道理も見えないものであり、いかにも道理が深そうに見えたり聞こえたりすることは、あの山川の浅瀬で波が騒いでいるようなもので、実はそれほど深くはないのである。底のない淵が騒がないという道理にまで、もう少し深く思いを致さないのはどういうわけか。昔、神代の書を記した人が、たとえいわゆる道徳の学問はなくても、寓言を作るほどの才があったなら、少しでも必ず、山川の波が玉と散る岩瀬の景色くらいは、どうして作り出せないことがあろうか。見どころもない淵のままで済ませるはずがないではないか。

解説

前半に続き、蕃山の「作者に学がないから寓言まで拙い」という評を切り返す。宣長が持ち出すのは古今集の「そこいなき淵やは騒ぐ」の歌である。本当に深い淵は水面が静かで、騒ぐのは浅瀬だ。深い道理はかえって表に現れず、いかにも深遠に聞こえるものは浅い、という逆転である。さらに一手を重ねる。もし神代の書が作者のこしらえた寓言なら、少しでも才のある作者は岩瀬に波が散るような見せ場、つまりいかにも深そうな理屈を作り込んだはずだ。そうなっていないことこそ、作り話でない証しだという論法である。素朴さを浅さと見るな、という主張は、宣長が古事記を文字どおりに読もうとした姿勢の根にある。言葉の飾りの多さで深さを測る癖への警告としても読める。

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