玉勝間 / 四の巻 ほむすびの神
いざなぎ、いざなみ二柱ノ大神の、國土又もろもろの神たちを生み生みて、火產靈神を生給へるまでは、物の成れる吉事のみにして、凶事は無かりしを、かのほむすびの神を生み給へるによりて、いざなみの大神の、岩隱ましまししは、世の中の凶事の始めなり。さればほむすびの神は、そのかみ吉事の終り、凶事のはじめのきはに、成ませる故に、吉と凶とをかね給へる神にませり。火は、世ノ中に物を熟しととのへ成す功多くして、又萬の物を燒きほろぼす凶事も、たぐひ無し。これ吉と凶とのきはに成坐て、吉と凶とをかね給へる、此ノ神の御靈によるものなり。ここに或人の云はく、伊邪那美命、女神にまして、御言先だち給ひしゆゑによりて、蛭子淡島と、よからぬ御子の生ませる、これをぞ世中の凶事のはじめとは云ふべきを、いざなみの命の御石隱を、はじめと云へるはいかが。答へけらく。女神の御言さきだちしは、ことわりにたがひつれども、あなにやしてふ御詞は、吉事なり。又惡しき御子にまれ、生ませるは、なほ吉事にしあれば、正しき凶事とは云ひがたし。さればかれは唯だ、世ノ中の萬の事には、必ず凶もまじらでは得あらぬ、ことわりの本とぞ云ふべかりける。
新字:いざなぎ、いざなみ二柱ノ大神の、国土又もろもろの神たちを生み生みて、火産霊神を生給へるまでは、物の成れる吉事のみにして、凶事は無かりしを、かのほむすびの神を生み給へるによりて、いざなみの大神の、岩隠ましまししは、世の中の凶事の始めなり。さればほむすびの神は、そのかみ吉事の終り、凶事のはじめのきはに、成ませる故に、吉と凶とをかね給へる神にませり。火は、世ノ中に物を熟しととのへ成す功多くして、又万の物を焼きほろぼす凶事も、たぐひ無し。これ吉と凶とのきはに成坐て、吉と凶とをかね給へる、此ノ神の御霊によるものなり。ここに或人の云はく、伊邪那美命、女神にまして、御言先だち給ひしゆゑによりて、蛭子淡島と、よからぬ御子の生ませる、これをぞ世中の凶事のはじめとは云ふべきを、いざなみの命の御石隠を、はじめと云へるはいかが。答へけらく。女神の御言さきだちしは、ことわりにたがひつれども、あなにやしてふ御詞は、吉事なり。又悪しき御子にまれ、生ませるは、なほ吉事にしあれば、正しき凶事とは云ひがたし。さればかれは唯だ、世ノ中の万の事には、必ず凶もまじらでは得あらぬ、ことわりの本とぞ云ふべかりける。
書き下し
いざなぎ、いざなみ二柱の大神の、国土またもろもろの神たちを生み生みて、火産霊神を生み給えるまでは、物の成れる吉事のみにして、凶事は無かりしを、かのほむすびの神を生み給えるによりて、いざなみの大神の、岩隠れましまししは、世の中の凶事の始めなり。さればほむすびの神は、そのかみ吉事の終り、凶事のはじめのきわに、成りませる故に、吉と凶とをかね給える神にませり。火は、世の中に物を熟しととのえ成す功多くして、また万の物を焼きほろぼす凶事も、たぐい無し。これ吉と凶とのきわに成り坐して、吉と凶とをかね給える、この神の御霊によるものなり。ここにある人の云わく、伊邪那美命、女神にまして、御言先だち給いしゆえによりて、蛭子・淡島と、よからぬ御子の生ませる、これをぞ世の中の凶事のはじめとは云うべきを、いざなみの命の御石隠れを、はじめと云えるはいかが。答えけらく。女神の御言さきだちしは、ことわりにたがいつれども、あなにやしちょう御詞は、吉事なり。また悪しき御子にまれ、生ませるは、なお吉事にしあれば、正しき凶事とは云いがたし。さればかれはただ、世の中の万の事には、必ず凶もまじらでは得あらぬ、ことわりの本とぞ云うべかりける。
現代語訳
伊邪那岐・伊邪那美の二柱の大神が、国土や諸々の神たちを次々に生んで、火産霊神(ほむすびのかみ、火の神)をお生みになるまでは、物が成り立つ吉事ばかりで凶事はなかったのに、あのほむすびの神をお生みになったことによって、伊邪那美大神がお隠れになったのは、世の中の凶事の始めである。だからほむすびの神は、そのとき吉事の終わり、凶事の始めの境目に成り出でなさったので、吉と凶とを兼ねておられる神でいらっしゃる。火は、世の中で物を熟し整え成す功が多く、また万物を焼き滅ぼす凶事も比べるものがない。これは吉と凶との境目に成り出でて、吉と凶とを兼ねておられるこの神の御霊によるものである。ここである人が言うには、「伊邪那美命が女神でありながら先に言葉をおかけになったために、蛭子と淡島という良くない御子を生まれた。これこそ世の中の凶事の始めと言うべきなのに、伊邪那美命がお隠れになったことを始めと言うのはどうか」。答えて言った。女神が先に言葉をかけたのは道理に違っていたけれども、「あなにやし(ああ、なんとすばらしい)」という御言葉は吉事である。また悪い御子であっても、生まれたことはやはり吉事であるので、正しい凶事とは言いがたい。だからあれはただ、世の中の万事には必ず凶も混じらずにはいられないという、道理のもとと言うべきなのである。
解説
関連する章句
-
『神皇正統記』巻一 天神七代次、素戔烏尊を生ます。いさみたけく不忍にして父母の御心にかなはず。「根の国にいね。」との給ふ。この三柱は男神にてまします。よりて一女三男と申也。すべてあらゆる神みな二神の所生にましませど、国の主たるべしとて生給しかば、ことさらに此四神を申伝けるにこそ。其後火神軻倶突智を生ましましし時、陰神やかれて神退給にき。陽神うらみいかりて、火神を三段にきる。その三段おのおの神となる。血のしたゝりもそゝいで神となれり。経津主の神健甕槌神の祖也。陽神猶したひて黄泉までおはしましてさまざまのちかひありき。陰神うらみて「此国の人を一日に千頭ころすべし。」との給ければ、陽神は「千五百頭を生べし。」との給けり。よりて百姓をば天の益人とも云ふ。死るものよりも生ずるものおほき也。陽神かへり給て、日向の小戸の河檍が原と云所にてみそぎし給。この時あまたの神化生し玉へり。日月神もこゝにて生給と云説あり。伊弉諾尊神功すでにをはりければ、天上にのぼり、天祖に報命申て、即天にとゞまり給けりとぞ。或説に伊弉諾・伊弉冊は梵語なり、伊舎那天・伊舎那后なりと云ふ。
-
『古語拾遺』開闢と天つ罪一に聞く、夫れ開闢の初め、伊奘諾・伊奘冉の二神、共に夫婦と為りて、大八州国及び山川草木を生む。次に日神・月神を生む。最後に素戔鳴神を生む。而るに素戔鳴神、常に哭泣を以て行と為す。故に人民をして夭折せしめ、青山をして枯に変ぜしむ。斯に因りて父母の二神、勅して曰く、「汝甚だ無道なり。宜しく早く根国に退き去るべし」と。又天地剖判の初め、天中に生ずる所の神、名を天御中主神と曰う。次に高皇産霊神、次に神皇産霊神。其の高皇産霊神の生む所の女、名を栲幡千千姫命と曰う。其の男、名を天忍日命と曰う。又の男、名を天太玉命と曰う。太玉命の率いる所の神、名を天日鷲命・手置帆負命・産狭知命・櫛明玉命・天目一箇命と曰う。是に於て素戔鳴神、日神に辞し奉らんと欲して天に昇る時、櫛明玉命迎え奉りて、献るに瑞の八坂瓊の曲玉を以てす。素戔鳴神之を受けて転じて日神に奉る。仍りて共に約誓す。即ち其の玉に感じて天祖吾勝尊を生む。是を以て天照大神、吾勝尊を育みて、特に甚だ鍾愛し、常に腋の下に懐く。称して腋子と曰う。其の後、素戔鳴神、日神の為に行い甚だ無状なり。種々に凌侮す。所謂る畔毀ち・溝埋め・樋放ち・重播き・串刺し・生剥ぎ逆剥ぎ・屎戸なり。
-
『直毘霊』火の穢れを忌む然ある物なれば、悪しきわざする人も福え、善き事する人も、禍ることある、世の常なり、されば神は理の、当不をもて、思い量るべきものにあらず、唯その御怒りを畏みて、ひたぶるに斎き奉るべきなり、されば祭るにも、その心ばえ有りて、いかにも其の神の歓び坐すべきわざをなも為べき、そはまず万を斎み忌み清まわりて、穢れ悪しきをあらせず、堪えたる限り美し好き物多に献り、或いは琴弾き笛吹き歌い舞いなど、面白きわざをして祭る、これ皆神代の例にして古えの道なり、然るを唯心の至り至らぬをのみ言いて、献る物にも為すわざにも拘わらぬは、漢意の僻事なり、さて又神を祭るには、何わざよりも先ず火を重く忌み清むべきこと、神代の書の黄泉の段を見て知るべし、是は神事のみにもあらず、大方常にも慎むべく、必ず濫りにすまじきわざなり、もし火穢るるときは、禍津日神所を得て、荒び坐す故に、世の中に万の禍事は起こるぞかし、かかれば世のため民のためにも、なべて天下に、火の穢れは忌まほしきわざなり、今の代には唯神事の折、
-
『神皇正統記』巻一 天神七代是は正く陰陽の二にわかれて造化の元となり給ふ。上の五行はひとつづゝの徳也。此五徳をあはせて万物を生ずるはじめとす。こゝに天祖国常立尊、伊弉諾・伊弉冊の二神に勅しての給はく、「豊葦原の千五百秋の瑞穂の地あり。汝往てしらすべし。」とて、即天瓊矛をさづけ給。此矛又は天の逆戈とも、天魔返ほこともいへり。二神このほこをさづかりて、天の浮橋の上にたゝずみて、矛をさしおろしてかきさぐり給しかば、滄海のみありき。そのほこのさきよりしたゝりおつる潮こりて一の嶋となる。これを磤馭盧嶋と云ふ。此名に付て秘説あり。神代、梵語にかよへるか。其所もあきらかに知人なし。大日本の国宝山なりと云。二神此嶋に降居て、即国の中の柱をたて、八尋の殿を化作してともにすみ給。さて陰陽和合して夫婦の道あり。此矛は伝、天孫したがへてあまくだり給へりとも云ふ。
-
『神皇正統記』巻一 地神第一代 天照太神此吾勝尊をば太神めぐしとおぼして、つねに御わきもとにすゑ給しかば、腋子と云ふ。今の世にをさなき子をわかこと云はひが事也。かくて、すさのをの尊なほ天上にましけるが、さまざまのとがをゝかし給き。天照太神いかりて、天の石窟にこもり給。国のうちとこやみになりて、昼夜のわきまへなかりき。もろもろの神達うれへなげき給。其時諸神の上首にて高皇産霊尊と云ふ神ましましき。昔、天御中主の尊、みはしらの御子おはします。長を高皇産霊とも云、次をば神皇産霊、次を津速産霊と云とみえたり。陰陽二神こそはじめて諸神を生じ給しに、直に天御中主の御子と云ことおぼつかなし。。此神、天のやすかはのほとりにして、八百万の神をつどへて相議し給。其御子に思兼と云神のたばかりにより、石凝姥と云神をして日神の御形の鏡を鋳せしむ。そのはじめなりたりし鏡、諸神の心にあはず。次に鋳給へる鏡うるはしくましましければ、諸神悦あがめ給。
-
『神皇正統記』巻一 天神七代夫天地未分ざりし時、混沌として、まろがれること鶏子の如し。くゝもりて牙ふくめりき。これ陰陽の元初未分の一気也。其気始てわかれてきよくあきらかなるは、たなびきて天と成り、おもくにごれるはつゞいて地となる。其中より一物出たり。かたち葦牙の如し。即化して神となりぬ。国常立尊と申。又は天の御中主の神とも号し奉つる。此神に木・火・土・金・水の五行の徳まします。先水徳の神にあらはれ給を国狭槌尊と云ふ。次に火徳の神を豊斟渟尊と云ふ。天の道ひとりなす。ゆゑに純男にてます。次木徳の神を泥土瓊尊・沙土瓊尊と云ふ。次金徳の神を大戸之道尊・大苫辺尊と云ふ。次に土徳の神を面足尊・惶根の尊と云ふ。天地の道相交て、各陰陽のかたちあり。しかれどそのふるまひなしと云り。此諸神実には国常立の一神にましますなるべし。五行の徳各神とあらはれ給。是を六代ともかぞふる也。二世三世の次第を立べきにあらざるにや。次に化生し給へる神を伊弉諾尊・伊弉冊尊と申す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る