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玉勝間 / 四の巻 学者のまづかたきふしをとふ事

物學ぶともがら、物知り人にあひて、物問ふに、ともすればまづ、古書の中にも、世にかたき事として、誰れも解きえぬふしをえり出て、問ふならひなり。たとへば書紀の齊明御卷なる童謠、萬葉にては、一の卷なる莫囂圓隣云云と書る歌などやうのたぐひなり。かうやうのかたき事を、まづ明らめまほしく思ふも、學者のなべての心なれども、然らばやすき事どもは、皆よくあきらめ知れるかと、こころむれば、いとたやすき事どもをたに、いまだ得よくもわきまへず。さる者の、さしこえて、まづかたき節を明らめんとするは、いとあぢき無きわざなり。よく聞えたりと思ひて、心もとどめぬ事に、思ひの外なるひが心得の多かる物なれば、まづたやすき事を、いく度もかへさひ考へ、問ひも明らめて、よく得たらん後にこそ、かたきふしをば、思ひかくべきわざなれ。

新字:物学ぶともがら、物知り人にあひて、物問ふに、ともすればまづ、古書の中にも、世にかたき事として、誰れも解きえぬふしをえり出て、問ふならひなり。たとへば書紀の斉明御巻なる童謡、万葉にては、一の巻なる莫囂円隣云云と書る歌などやうのたぐひなり。かうやうのかたき事を、まづ明らめまほしく思ふも、学者のなべての心なれども、然らばやすき事どもは、皆よくあきらめ知れるかと、こころむれば、いとたやすき事どもをたに、いまだ得よくもわきまへず。さる者の、さしこえて、まづかたき節を明らめんとするは、いとあぢき無きわざなり。よく聞えたりと思ひて、心もとどめぬ事に、思ひの外なるひが心得の多かる物なれば、まづたやすき事を、いく度もかへさひ考へ、問ひも明らめて、よく得たらん後にこそ、かたきふしをば、思ひかくべきわざなれ。

書き下し

物学ぶともがら、物知り人にあいて、物問うに、ともすればまづ、古書の中にも、世にかたき事として、誰も解きえぬふしをえり出でて、問うならいなり。たとえば書紀の斉明の御巻なる童謡、万葉にては、一の巻なる莫囂円隣云々と書ける歌などようのたぐいなり。こうようのかたき事を、まづ明らめまほしく思うも、学者のなべての心なれども、然らばやすき事どもは、皆よくあきらめ知れるかと、こころむれば、いとたやすき事どもをだに、いまだ得よくもわきまえず。さる者の、さしこえて、まづかたき節を明らめんとするは、いとあじき無きわざなり。よく聞こえたりと思いて、心もとどめぬ事に、思いの外なるひが心得の多かる物なれば、まづたやすき事を、いく度もかえさい考え、問いも明らめて、よく得たらん後にこそ、かたきふしをば、思いかくべきわざなれ。

現代語訳

物を学ぶ者たちが、物知りの人に会って物を尋ねるとき、ややもするとまず、古書の中でも世に難しい事とされていて、誰も解くことのできない箇所を選び出して尋ねるのが習いである。たとえば日本書紀の斉明天皇の巻にある童謡や、万葉集では巻一にある「莫囂円隣」云々と書いた歌などのような類である。このような難しい事をまず明らかにしたいと思うのも、学ぶ者一般の心であるけれども、それならば易しい事どもはみなよく明らかに知っているのかと試してみると、たいへん易しい事どもさえ、まだよくわきまえていない。そのような者が、順を飛び越えて、まず難しい箇所を明らかにしようとするのは、まったくつまらないことである。よくわかっていると思って心も留めない事に、思いのほかの誤解が多いものなので、まず易しい事を何度も繰り返し考え、尋ねても明らかにして、よく会得した後にこそ、難しい箇所を心にかけるべきものなのである。

解説

学ぶ者が陥りがちな、難問から手を付けたがる癖を戒めた一段である。宣長のもとを訪れる学徒は、しばしば古書の中でも誰も解けない難所、たとえば斉明紀の童謡や、万葉集巻一の「莫囂円隣」で始まる訓み方の定まらない歌などを選んで尋ねた、という。難しいことを知りたがるのは学ぶ者の常だが、では易しいことはみな正しくわかっているのかと試すと、ごく易しいことさえわかっていない。そういう者が順を飛ばして難問に向かうのは、まったく益がない。わかったつもりで気にも留めない所にこそ、思いがけない誤解が多い。だからまず易しいことを何度も繰り返し考え、問いただしてよく会得してから、難しいことに取りかかれ、と説く。入門書うひ山ぶみにも通じる、宣長の教育の根本である。

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