玉勝間 / 四の巻 斎宮諸司
令集解云、神龜五年七月廿一日格云、齋宮寮、頭一人、(從五位ノ官)助、(正六位ノ官)舍人司長官一人、(從六位ノ官)藏部司長官一人、(從六位官)膳部司長官一人、(從六位官)少允一人、(從七位官)主神司中臣一人、(從七位官)酒部司長一人、(從七位官)水部司長一人、(從七位官)殿部司長一人、(從七位官)掃部司長、(從七位官)膳部司判官一人、(正八位官)大屬一人、少屬一人、(從八位官)主神司忌部一人、宮主一人、(已上從八位官)采部司長一人、(從八位官)藥部司長一人、(從八位官)舍人司主典一人、(大初位官)藏部司主典一人、(大初位官)膳部司主典一人、(大初位官)勅依前件。
新字:令集解云、神亀五年七月廿一日格云、斎宮寮、頭一人、(従五位ノ官)助、(正六位ノ官)舎人司長官一人、(従六位ノ官)蔵部司長官一人、(従六位官)膳部司長官一人、(従六位官)少允一人、(従七位官)主神司中臣一人、(従七位官)酒部司長一人、(従七位官)水部司長一人、(従七位官)殿部司長一人、(従七位官)掃部司長、(従七位官)膳部司判官一人、(正八位官)大属一人、少属一人、(従八位官)主神司忌部一人、宮主一人、(已上従八位官)采部司長一人、(従八位官)薬部司長一人、(従八位官)舎人司主典一人、(大初位官)蔵部司主典一人、(大初位官)膳部司主典一人、(大初位官)勅依前件。
書き下し
令集解に云う、神亀五年七月二十一日の格に云う、斎宮寮、頭一人、(従五位の官)助、(正六位の官)舎人司長官一人、(従六位の官)蔵部司長官一人、(従六位の官)膳部司長官一人、(従六位の官)少允一人、(従七位の官)主神司中臣一人、(従七位の官)酒部司長一人、(従七位の官)水部司長一人、(従七位の官)殿部司長一人、(従七位の官)掃部司長、(従七位の官)膳部司判官一人、(正八位の官)大属一人、少属一人、(従八位の官)主神司忌部一人、宮主一人、(已上従八位の官)采部司長一人、(従八位の官)薬部司長一人、(従八位の官)舎人司主典一人、(大初位の官)蔵部司主典一人、(大初位の官)膳部司主典一人、(大初位の官)勅すらく前件に依れ。
現代語訳
令集解に言う。神亀五年(728年)七月二十一日の格に言う。「斎宮寮は、頭一人(従五位の官)、助(正六位の官)、舎人司の長官一人(従六位の官)、蔵部司の長官一人(従六位の官)、膳部司の長官一人(従六位の官)、少允一人(従七位の官)、主神司の中臣一人(従七位の官)、酒部司の長一人(従七位の官)、水部司の長一人(従七位の官)、殿部司の長一人(従七位の官)、掃部司の長(従七位の官)、膳部司の判官一人(正八位の官)、大属一人、少属一人(従八位の官)、主神司の忌部一人、宮主一人(以上従八位の官)、采部司の長一人(従八位の官)、薬部司の長一人(従八位の官)、舎人司の主典一人(大初位の官)、蔵部司の主典一人(大初位の官)、膳部司の主典一人(大初位の官)。勅して、前の件のとおりにせよとされた」。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 神社を殊に宮と申す号の事同紀に、貞観九年八月二日、伊勢国の伊佐奈岐伊佐奈弥神に勅して、社を改めて宮と称し、月次祭に預からしめ、并びに内人一員を置くとある。これらによれば、凡て宮と申すと、社と申すとは、尊き卑しき差等ある事なるに、又なべて然るにもあらざるにや。殊なる大社にも、なお社と申して、宮とは申さぬも多きは、いかなる事にか有らむ。
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『玉勝間』十の巻 長寛三年斎王帰京同じ記に云う、長寛三年十二月十九日酉の時、前の斎宮本寮を立つ、迎えは左少弁行隆、王は兼隆なり。亥の尅逸志の宿に着く。廿日午の尅逸志の駅家を立つ。廿一日、既に伊世の河口、午の時出御、万事具わらざるの故なり。廿一日、戌の時、伊賀の山中に着き、一宿し了んぬ。先例無し。迎えの御輿、散散に引き破れ、薪を結び合わするが如くにして持参するなり、凡そ先例無き事なり。廿二日戌の時、伊賀の河口に着く、廿三日、黒太に着く。(丈六堂と云う)即ち一宿す。抑も伊賀の河口にて、寮の侍武者所の為に、平大納言の河婦字衆の住人致時を殺し了んぬ。已にその身手を負う。御迎えの検非違使広綱の子二人闘乱し、已に突き殺し了んぬ。凡そ路次一切措かず、濫行の端多し。廿五日、僅かに和泉の木津に着く、御所を作らず、仍りて觧艋に宿らしめ奉る云々、凡そ今度の帰京散散か、後代如何。うら書に、逸志の駅家(十九日未の時、立たしめ給う、宮司辨憂に依りて助けて勤めざる事、駅家は寮頭国司たるの間、仮屋の御所許り、自ら催し立つ、御膳を供せず、万事具わらず云々、)河口の駅家、形の如く御所の仮屋許りなり。米四石を出す云々。興折(廿日夜半)作らず、山路嶮岨の間、行歩に堪えず、仍りて艱難云々。今夜御膳を供せず、伊賀の駅家、一切措かず、同じく在庁相迎えず、卅町を経て宿す。廿二日、伊賀の神部、(先例無し、駕輿丁瓩弱の後、斎王御泣涕云々、)御輿を召し替え部の宿の小屋(大和)二鳥居(供給无し、なまり江の御祓、二瀬了んぬ)梨木津にて御船を召す。おとろえたりし世の有さま、あさましなど云わむは、世のつねなり。上の件の文、文字誤りもし、また脱もしたりと見えて、いかにとも読み難きところどころあり。
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『玉勝間』十三の巻 諸国小社の祢宜祝の事貞観十年六月廿八日の格に、天長二年十二月甲子の符に偁く、承前の例、諸国の小社、或いは祝を置きて禰宜無く、或いは禰宜祝並べ置く、旧例紛謬し、准拠定まる無し。加之或る国は独り女祝を置きて、永くその祭を主らしむ。右大臣宣旨す、今より以後、禰宜祝並べ置く社は、女を以て禰宜と為せ。但し先に置く者は、その身を終えしめよ者また三代実録に、貞観七年五月廿五日、是の日制す。五畿七道の諸神社の祝部、白丁を補するを停む。八位已上、及び年六十已上の人を以てこれに充てよ。先に是れ置く者は、その身を終えしめ、今より以後、立てて恒例と為せ。
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