玉勝間 / 四の巻 内人
伊勢の神宮に、大內人小內人と云ふ職ある、內人の義いかにと、ある人の問けるに、答へたる。書紀に、中臣ノ鎌足公を內臣とし給へる事あり、續紀の天平勝寶元年、又天平寶字元年の宣命に、大伴氏を、內ノ兵と稱せられたる事あり。同紀に、内物部と云ふ稱も見えたり。これらみな、內とは、殊に親しみ給ふよしなり。されば内人も、大御神ノ宮に、殊に親しく仕奉るよしの稱なるべし。
新字:伊勢の神宮に、大内人小内人と云ふ職ある、内人の義いかにと、ある人の問けるに、答へたる。書紀に、中臣ノ鎌足公を内臣とし給へる事あり、続紀の天平勝宝元年、又天平宝字元年の宣命に、大伴氏を、内ノ兵と称せられたる事あり。同紀に、内物部と云ふ称も見えたり。これらみな、内とは、殊に親しみ給ふよしなり。されば内人も、大御神ノ宮に、殊に親しく仕奉るよしの称なるべし。
書き下し
伊勢の神宮に、大内人・小内人と云う職ある、内人の義いかにと、ある人の問いけるに、答えたる。書紀に、中臣の鎌足公を内臣とし給える事あり、続紀の天平勝宝元年、また天平宝字元年の宣命に、大伴氏を、内の兵と称せられたる事あり。同紀に、内物部と云う称も見えたり。これらみな、内とは、殊に親しみ給うよしなり。されば内人も、大御神の宮に、殊に親しく仕え奉るよしの称なるべし。
現代語訳
伊勢の神宮に大内人・小内人という職があるが、「内人(うちんど)」とはどういう意味かと、ある人が尋ねたので、こう答えた。日本書紀に、中臣鎌足公を内臣(うちつおみ)となさった事がある。続日本紀の天平勝宝元年、また天平宝字元年の宣命に、大伴氏を「内の兵(うちのいくさ)」と称された事がある。同じ続日本紀に「内物部」という称も見える。これらはみな、「内」とは特に親しくなさるという意味である。だから内人も、大御神の宮に特に親しくお仕えするという意味の称であろう。
解説
関連する章句
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