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玉勝間 / 四の巻 大神宮の外宮

百錬抄云、長久元年七月廿六日、大風、伊勢豐受大神宮、正殿并東西寳殿瑞垣、悉以顚倒、同八月四日、諸卿定申、大神宮外宮顚倒事、主上殊歎息云云、と有り。大神宮外宮と申せる事、めづらし。長久は、後朱雀天皇の御世なり。

新字:百錬抄云、長久元年七月廿六日、大風、伊勢豊受大神宮、正殿并東西宝殿瑞垣、悉以顛倒、同八月四日、諸卿定申、大神宮外宮顛倒事、主上殊嘆息云云、と有り。大神宮外宮と申せる事、めづらし。長久は、後朱雀天皇の御世なり。

書き下し

百錬抄に云う、長久元年七月二十六日、大風、伊勢豊受大神宮、正殿ならびに東西宝殿・瑞垣、悉く以て顛倒す、同じく八月四日、諸卿定め申す、大神宮外宮顛倒の事、主上殊に歎息す云々、と有り。大神宮外宮と申せる事、めずらし。長久は、後朱雀天皇の御世なり。

現代語訳

百錬抄に言う。「長久元年(1040年)七月二十六日、大風が吹き、伊勢の豊受大神宮の正殿ならびに東西の宝殿・瑞垣が、ことごとく倒れた。同じく八月四日、諸卿が大神宮外宮の倒壊の事を評議して申し上げた。天皇はことに嘆息なさった」云々とある。「大神宮外宮」と申しているのは珍しい。長久は後朱雀天皇の御代である。

解説

百錬抄に見える伊勢神宮の外宮倒壊の記事から、その呼び方に注目した一段である。長久元年の大風で豊受大神宮、つまり外宮の正殿や宝殿、瑞垣がことごとく倒れ、朝廷で対応が評議され、後朱雀天皇が深く嘆いた、という記事である。宣長が目を留めたのは出来事そのものより、「大神宮外宮」という言い方である。通常「大神宮」は天照大御神を祭る内宮を指し、外宮は豊受大神宮と呼ぶ。内宮の名である大神宮に「外宮」を付けて呼ぶのは珍しい、というのである。伊勢神宮の内宮と外宮の呼び方や格式は、中世に両宮の神職の間で論争にもなった微妙な問題であった。伊勢に近い松坂の人として、宣長は神宮の記録の一語の呼び方にまで注意を払っていた。

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