玉勝間 / 一の巻 大神宮の茅葺なる説
伊勢の大御神の宮殿の茅葺なるを、後世に質素を示す戒なりと、ちかき世の神道者と云ふ者などの云ふなるは、例の漢意にへつらひたる、うるさきひが事なり。質素をたふとむべきも、事にこそはよれ。すべて神の御事に、質素をよきにする事、さらに無し。御殿のみならず、獻る物なども何も、力の堪へたらんかぎり、うるはしくいかめしくめでたくするこそ、神を敬ひ奉るにはあれ。みあらか又獻り物などを、質素にするは、禮無く心ざし淺きしわざなり。そもそも伊勢の大宮の御殿の茅ぶきなるは、上つ代のよそひを重みし守りて、變給はざる物なり。然して茅葺ながらに、その莊麗きことの世にたくひ無きは、皇御孫命の、大御神を厚く尊み敬ひ奉り給ふが故なり。さるを御みづからの宮殿をば、美麗く物し給ひて、大御神の宮殿をしも、質素にし給ふべきよし有らめやは。すべて近き世に、神道者の云ふことは、皆からごころにして、古、の意にそむけりと知るべし。
新字:伊勢の大御神の宮殿の茅葺なるを、後世に質素を示す戒なりと、ちかき世の神道者と云ふ者などの云ふなるは、例の漢意にへつらひたる、うるさきひが事なり。質素をたふとむべきも、事にこそはよれ。すべて神の御事に、質素をよきにする事、さらに無し。御殿のみならず、献る物なども何も、力の堪へたらんかぎり、うるはしくいかめしくめでたくするこそ、神を敬ひ奉るにはあれ。みあらか又献り物などを、質素にするは、礼無く心ざし浅きしわざなり。そもそも伊勢の大宮の御殿の茅ぶきなるは、上つ代のよそひを重みし守りて、変給はざる物なり。然して茅葺ながらに、その荘麗きことの世にたくひ無きは、皇御孫命の、大御神を厚く尊み敬ひ奉り給ふが故なり。さるを御みづからの宮殿をば、美麗く物し給ひて、大御神の宮殿をしも、質素にし給ふべきよし有らめやは。すべて近き世に、神道者の云ふことは、皆からごころにして、古、の意にそむけりと知るべし。
書き下し
伊勢の大御神の宮殿の茅葺なるを、後世に質素を示す戒めなりと、ちかき世の神道者と云う者などの云うなるは、例の漢意にへつらいたる、うるさきひが事なり。質素をたふとむべきも、事にこそはよれ。すべて神の御事に、質素をよきにする事、さらに無し。御殿のみならず、献る物なども何も、力の堪えたらんかぎり、うるわしくいかめしくめでたくするこそ、神を敬い奉るにはあれ。みあらかまた献り物などを、質素にするは、礼無く心ざし浅きしわざなり。そもそも伊勢の大宮の御殿の茅ぶきなるは、上つ代のよそいを重みし守りて、変え給わざる物なり。然して茅葺ながらに、その荘麗きことの世にたぐい無きは、皇御孫命の、大御神を厚く尊み敬い奉り給うが故なり。さるを御みづからの宮殿をば、美麗く物し給いて、大御神の宮殿をしも、質素にし給うべきよし有らめやは。すべて近き世に、神道者の云うことは、皆からごころにして、古の意にそむけりと知るべし。
現代語訳
伊勢の大御神の宮殿が茅葺きであるのを、後世に質素を示す戒めであると、近頃の神道者という者などが言っているのは、いつもの漢意にへつらった、煩わしい誤りである。質素を尊ぶべきことも、事によるのである。およそ神のことについて、質素を良いとすることはまったくない。御殿だけでなく、献る物なども何もかも、力の及ぶかぎり美しく厳かにめでたくすることこそ、神を敬い申し上げることなのである。御殿や献り物などを質素にするのは、礼がなく志の浅いしわざである。そもそも伊勢の大宮の御殿が茅葺きであるのは、上代の装いを重んじ守って、お変えにならないものである。そして茅葺きのままで、その荘厳さが世に比類ないのは、皇御孫命(天皇)が大御神を厚く尊び敬い申し上げておられるからである。それなのに、ご自身の宮殿は美麗になさって、大御神の宮殿だけを質素になさる理由があるだろうか。すべて近頃の神道者の言うことは、みな漢意であって、古の心に背いていると知るべきである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』五の巻 大神宮に諸人のまうづる事同じ書に、承平四年九月の御祭云云、参宮人千万、貴賤を論ぜず云云、と有るを見れば、その頃もかかりしなり。そもそも大神宮には、私の幣を奉ることは、禁制なりしかども、詣ずる事は、なべて苦しからざりしにや。
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『玉勝間』七の巻 神社の祭る神を知らまほしくする事さればもとより某神と云う、古き伝えの無きを、しいて後に考えて、あらぬ神に定めむは、なかなかのひがことなり。もしその社の号によりて定めむとせば、たとえば伊勢の大神宮は、五十鈴の宮と申せば、祭る神は五十鈴姫の命にて、鈴の神、外宮は、わたらいの宮と申せば、綿津見命にて、海神なりとせむか。近き世に、物知り人の考えて定むるは、大かたこれに似たるものにて、いとうきたる事のみなれば、すべて信じがたし。知られぬをしいて求めて、あらぬ神となさむよりは、ただその社の号を、神の御名としてあらむこそ、古の意なるべきを、社の号のみにては、とらえ所無きがごと思うは、近き世の俗心にこそ有れ。今の世とても、世に広く云いならえる社号は、そをやがて神の御名と心得居て、八幡宮・春日明神・稲荷明神など云えば、必ずしもその神は、いかなる神ぞとまでは、たずねず、ただ八幡・春日・いなりにてあるにあらずや。もろもろの社も、皆同じことにて、社の号すなわちその神の御名なるものをや。
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『玉勝間』十三の巻 神社を殊に宮と申す号の事同紀に、貞観九年八月二日、伊勢国の伊佐奈岐伊佐奈弥神に勅して、社を改めて宮と称し、月次祭に預からしめ、并びに内人一員を置くとある。これらによれば、凡て宮と申すと、社と申すとは、尊き卑しき差等ある事なるに、又なべて然るにもあらざるにや。殊なる大社にも、なお社と申して、宮とは申さぬも多きは、いかなる事にか有らむ。
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『玉勝間』十四の巻 伊勢大神宮寺続紀に、宝亀三年八月、度会の神宮寺を飯高郡の度瀬の山房に徙す、また同じく十一年二月、神祇官言す、伊勢大神宮寺、先に祟り有るが為に、他処に遷し建つ、而るに今神郡に近くして、その祟り未だ止まず、飯野郡を除くの外、便地に移し造らんとすといえば、これを許す。
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『玉勝間』十二の巻 伊勢大神宮司仏事を行ひて見任を解れし事同じ書に、弘仁七年六月丙辰、伊勢大神宮司従七位下大中臣朝臣〓持、穢を犯し并びに仏事を行う有り、神祇官これをトするに、祟り有り、大祓を科し、見任を解く、と見えたり。
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