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玉勝間 / 四の巻 小大君

三條院ノ女藏人左近を、小大君とも云へり。そは小大進と云ふ名を、はぶきて云へるなれば、こだいの君と讀むべし。こおほきみと訓むはひが事なり。此人小大進なる證は、榮花物語見はてぬ夢の卷に、「有るは無く無きは數そふ、と云へる歌の詠み人、東宮ノ女藏人、小大進とあり。東宮は三條院なり。此歌小町集と云ふ物にも有り。すべて此小町集は、いとも信がたき物にて、此小大ノ君が歌の多かるは、小大を小町にまぎらはしつるなべし。然るを新古今に、かの歌を小町集よりとりて、小町がとて入られたるは、誤りなり。

新字:三条院ノ女蔵人左近を、小大君とも云へり。そは小大進と云ふ名を、はぶきて云へるなれば、こだいの君と読むべし。こおほきみと訓むはひが事なり。此人小大進なる証は、栄花物語見はてぬ夢の巻に、「有るは無く無きは数そふ、と云へる歌の詠み人、東宮ノ女蔵人、小大進とあり。東宮は三条院なり。此歌小町集と云ふ物にも有り。すべて此小町集は、いとも信がたき物にて、此小大ノ君が歌の多かるは、小大を小町にまぎらはしつるなべし。然るを新古今に、かの歌を小町集よりとりて、小町がとて入られたるは、誤りなり。

書き下し

三条院の女蔵人左近を、小大君とも云えり。そは小大進と云う名を、はぶきて云えるなれば、こだいの君と読むべし。こおおきみと訓むはひが事なり。この人小大進なる証は、栄花物語見はてぬ夢の巻に、「有るは無く無きは数そう、と云える歌の詠み人、東宮の女蔵人、小大進とあり。東宮は三条院なり。この歌小町集と云う物にも有り。すべてこの小町集は、いとも信じがたき物にて、この小大の君が歌の多かるは、小大を小町にまぎらわしつるなべし。然るを新古今に、かの歌を小町集よりとりて、小町がとて入れられたるは、誤りなり。

現代語訳

三条院の女蔵人左近を「小大君」とも言った。それは「小大進(こだいしん)」という名を省いて言ったものなので、「こだいのきみ」と読むべきである。「こおおきみ」と訓むのは誤りである。この人が小大進である証拠は、栄花物語の見果てぬ夢の巻に、「有るは無く無きは数添う」という歌の詠み人を「東宮の女蔵人、小大進」としていることである。東宮とは三条院のことである。この歌は小町集というものにもある。およそこの小町集は、たいへん信じがたいものであって、この小大君の歌が多く入っているのは、「小大」を「小町」と紛らわしたのであろう。それなのに新古今集に、あの歌を小町集から取って、小町の歌として入れられているのは誤りである。

解説

平安中期の女流歌人小大君の読み方と、その歌が小野小町の作と誤られた経緯を論じた一段である。三条院に仕えた女蔵人左近は小大君とも呼ばれたが、宣長はこれを「小大進」を略した名と見て、「こだいのきみ」と読むべきで、「こおおきみ」は誤りだとする。証拠は栄花物語で、「有るは無く無きは数そふ」の歌の詠み手を東宮の女蔵人小大進としている。ところがこの歌は小町集にも入っている。宣長は、小町集は信用しがたい集で、小大君の歌が多く紛れ込んでいるのは「小大」と「小町」の紛れだろうと推し、新古今集がその歌を小町の作として採ったのは誤りだと断じる。勅撰集の作者表記さえ鵜呑みにせず、出典の信頼性まで遡って確かめる。作者の確定という、文献学の基本を示す段である。

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