玉勝間 / 四の巻 歌は詞をえらぶべき事
童蒙抄に、「水のおもに照る月なみを數ふればこよひぞ秋のもなかなりける。もなかと詠めるを、時の人、和歌の詞とおぼえずと難じけるを、歌がらの善ければ、えらびに入れりと有り。
新字:童蒙抄に、「水のおもに照る月なみを数ふればこよひぞ秋のもなかなりける。もなかと詠めるを、時の人、和歌の詞とおぼえずと難じけるを、歌がらの善ければ、えらびに入れりと有り。
書き下し
童蒙抄に、「水のおもに照る月なみを数うればこよいぞ秋のもなかなりける。もなかと詠めるを、時の人、和歌の詞とおぼえずと難じけるを、歌がらの善ければ、えらびに入れりと有り。
現代語訳
和歌童蒙抄に、「水の面に照る月の、その月の数(月並み)を数えてみると、今夜こそ秋のちょうど真ん中であったよ」という歌で、「もなか」と詠んだのを、当時の人が和歌の言葉とは思えないと非難したけれども、歌の品格が良いので勅撰集の撰に入った、とある。
解説
歌に用いる言葉の選び方をめぐる逸話を、和歌童蒙抄から引いた一段である。拾遺集に採られた源順の歌「水の面に照る月なみを数ふれば今宵ぞ秋のもなかなりける」は、八月十五夜が秋の真ん中であることを、水面に映る月の数から詠んだものである。ところが「もなか」という語が、当時の人には歌にふさわしくない俗な詞だと非難された。それでも歌全体の品格、歌柄が良かったので、撰に入ったという。宣長が題に「歌は詞をえらぶべき事」と付けたのは、一語の選び方で歌の評価が揺らぐことを示すためであろう。同時に、歌柄が良ければ多少の詞の難は許されるという面も伝えている。言葉を扱う者にとって、細部と全体の兼ね合いを考えさせる話である。
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 もなかと云ふ詞童蒙抄に、「水の面にてる月なみを云云、もなかと詠めるを、時の人、和歌の詞とおぼえずと、難じけるを、歌がらのよければ、選びに入れりと有り。いにしえは、歌の詞をば、かばかり選びしなり。
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