玉勝間 / 四の巻 佐保姫の社
奈良に、佐保姫ノ社と云ふ有にや、西三條ノ公條公の高野參詣の記の、奈良のあたりの所に、佐保姫の社に參りしにと有り。
新字:奈良に、佐保姫ノ社と云ふ有にや、西三条ノ公条公の高野参詣の記の、奈良のあたりの所に、佐保姫の社に参りしにと有り。
書き下し
奈良に、佐保姫の社と云う有るにや、西三条の公条公の高野参詣の記の、奈良のあたりの所に、佐保姫の社に参りしにと有り。
現代語訳
奈良に佐保姫の社というものがあるのだろうか。西三条公条公(三条西公条)の高野参詣の記の、奈良のあたりを書いた所に「佐保姫の社に参ったところ」とある。
解説
奈良に佐保姫の社があったのかどうかを、紀行文の一文から問うた一段である。佐保姫は、奈良の都の東にある佐保山を神格化した春の女神で、秋の竜田姫と対にされ、和歌で春の霞や柳を染める神として詠まれてきた。けれども歌の上の女神であって、実際に祭る社があるとはあまり知られていなかった。宣長は、室町時代の歌人三条西公条の高野参詣の日記に、奈良のあたりで佐保姫の社に参ったとあるのを見つけ、そういう社が本当にあったのだろうかと書き留める。歌に詠まれる名と、実在の場所や信仰とが結びつくかどうかを確かめようとする関心である。宣長は名所や地名にも深い関心を寄せ、旅をして実地を訪ねることもあった。文学の中の存在が、現実のどこに根を持つのかを探る段である。
関連する章句
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