玉勝間 / 四の巻 廿日草
牡丹を廿日草と云ふ事、白氏文集、牡丹芳と云ふ詩に、花開花落二十日、と有るより附けたる名なるべし。
書き下し
牡丹を二十日草と云う事、白氏文集、牡丹芳と云う詩に、花開き花落つ二十日、と有るより付けたる名なるべし。
現代語訳
牡丹を「二十日草(はつかぐさ)」と言う事は、白氏文集の「牡丹芳」という詩に「花開き花落つ二十日」とあるところから付けた名であろう。
解説
牡丹の異名「二十日草」の由来を、白居易の詩に求めた短い一段である。白氏文集の「牡丹芳」は、唐の都で牡丹が熱狂的にもてはやされるさまを詠んだ詩で、「花開き花落つ二十日、一城の人皆狂えるが若し」と続く。咲いて散るまでわずか二十日、その間都中の人が狂ったように花を追う、という一節である。宣長は、牡丹を二十日草と呼ぶのはここから名づけたのだろうと推す。前段で白氏文集の渡来を確かめた流れを受けて、白詩が日本の言葉にまで入り込んでいる例を示したものとも読める。漢意を退けよと説く宣長も、和語の中に溶け込んだ漢詩の跡は事実として認め、由来をたどっている。花の名一つにも、詩句の記憶が残っているのである。
関連する章句
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