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楽訓 / 巻之中・節序

秋はまづ陰氣下へくだれる故ならずや。なでしこ、春は唯ひとつ草とのみ見ゆれど、夏より咲きそめて、秋の色をあらはせるは、唐のやまとの、いろいろの花ぞ咲くめる。長月の比は、秋の花も過ぎ、紅葉もまだしき折なるに、菊は百花におくれて、ひとり晩節をたもち、霜にほこりて、操の色をあらはし、なべての花に、時を異にするのみならず、色形匂ともに、殊にすぐれてあてやかなれば、此時もし花多くとも、わきてあはれむべきに、秋の末にひとり盛なれば、折にあひて、いとめでたし。元稹が菊を詠じて、不是花中偏愛菊、此花開盡更無花といへりしは、菊をめでし心猶うすし。此花萬葉集にのらず。古今集には詠じたれば、奈良の御時まで、いまだ唐より來らざりしこと、今さら古を思ひやるにも、猶ことたらず、恨多し。

新字:秋はまづ陰気下へくだれる故ならずや。なでしこ、春は唯ひとつ草とのみ見ゆれど、夏より咲きそめて、秋の色をあらはせるは、唐のやまとの、いろいろの花ぞ咲くめる。長月の比は、秋の花も過ぎ、紅葉もまだしき折なるに、菊は百花におくれて、ひとり晩節をたもち、霜にほこりて、操の色をあらはし、なべての花に、時を異にするのみならず、色形匂ともに、殊にすぐれてあてやかなれば、此時もし花多くとも、わきてあはれむべきに、秋の末にひとり盛なれば、折にあひて、いとめでたし。元稹が菊を詠じて、不是花中偏愛菊、此花開尽更無花といへりしは、菊をめでし心猶うすし。此花万葉集にのらず。古今集には詠じたれば、奈良の御時まで、いまだ唐より来らざりしこと、今さら古を思ひやるにも、猶ことたらず、恨多し。

書き下し

秋はまづ陰気下へくだれる故ならずや。なでしこ、春は唯ひとつ草とのみ見ゆれど、夏より咲きそめて、秋の色をあらはせるは、唐のやまとの、いろいろの花ぞ咲くめる。長月の比は、秋の花も過ぎ、紅葉もまだしき折なるに、菊は百花におくれて、ひとり晩節をたもち、霜にほこりて、操の色をあらはし、なべての花に、時を異にするのみならず、色形匂ともに、殊にすぐれてあてやかなれば、此時もし花多くとも、わきてあはれむべきに、秋の末にひとり盛なれば、折にあひて、いとめでたし。元稹が菊を詠じて、是れ花の中に偏へに菊を愛するにあらず、此の花開き尽くれば更に花無しといへりしは、菊をめでし心猶うすし。此花万葉集にのらず。古今集には詠じたれば、奈良の御時まで、いまだ唐より来らざりしこと、今さら古を思ひやるにも、猶ことたらず、恨多し。

現代語訳

秋はまず陰気が下へ降りるからではないでしょうか。撫子は、春にはただの草とだけ見えますが、夏から咲き始めて秋の色を表すのは、唐撫子・大和撫子のいろいろの花が咲くようです。九月の頃は、秋の花も過ぎ、紅葉もまだの時なのに、菊は多くの花に遅れて、ひとり晩節を保ち、霜に誇って節操の色を表し、並の花と時を異にするだけでなく、色も形も香りも特に優れて気高いので、たとえこの時に花が多くても特に愛でるべきなのに、秋の末にひとり盛りなので、時節にかなって、たいそう結構です。元稹が菊を詠んで「是れ花の中に偏へに菊を愛するにあらず、此の花開き尽くれば更に花無し」と言ったのは、菊をめでる心がまだ薄いものです。この花は万葉集に載っていません。古今集には詠まれているので、奈良の御代まではまだ唐から渡っていなかったことが、今さら昔を思いやるにも、なお物足りず、残念です。

解説

菊を讃える段です。益軒は、他の花が終わった晩秋にひとり咲き、霜にも負けない菊を「晩節を保つ」花と見て、人の生き方に重ねています。唐の元稹の詩は、菊を愛するのはこれが最後に咲く花だからだと詠みましたが、益軒はそれでは菊をめでる心が薄いと批判し、菊そのものの気高さを讃えます。万葉集に菊が見えず古今集に現れることから、渡来の時期を推し量るのも学者らしい一面です。年を重ねても節操を失わない生き方への憧れが、81歳の筆者の言葉ににじんでいます。

この章句が説くこと

楽しみ菊晩節老い節操

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