玉勝間 / 四の巻 櫛をなぐる事
建長二年六月廿四日、今日居住佐介之者、俄企自害、聞者競集、圍繞此家、觀其死骸、有此人之聟、而日來令同宅處、其聟白地下向田舎訖、窺其隙、有通艶言於息女事、息女殊周章、敢不能許容、令投櫛之時、取者骨肉皆變他人之由稱之、彼父潜到于女子居所、自屏風之上投入櫛、彼息女不意而取之、仍父已准他人、欲遂志、于時不圖而聟自田舎歸着、入來其砌之間、忽以下不堪悲、及自害云云、とこれも東鏡に見えたり。世にはあさましき事もある物なりけり。さて是れをここに出せるは、伊邪那岐ノ命の、黃泉ノ國にて、御櫛を投給ひし事あるところの、古事記ノ傳に引べかりしを、漏らせる故に、ここに出せるなり。
新字:建長二年六月廿四日、今日居住佐介之者、俄企自害、聞者競集、囲繞此家、観其死骸、有此人之婿、而日来令同宅処、其婿白地下向田舎訖、窺其隙、有通艶言於息女事、息女殊周章、敢不能許容、令投櫛之時、取者骨肉皆変他人之由称之、彼父潜到于女子居所、自屏風之上投入櫛、彼息女不意而取之、仍父已准他人、欲遂志、于時不図而婿自田舎帰着、入来其砌之間、忽以下不堪悲、及自害云云、とこれも東鏡に見えたり。世にはあさましき事もある物なりけり。さて是れをここに出せるは、伊邪那岐ノ命の、黄泉ノ国にて、御櫛を投給ひし事あるところの、古事記ノ伝に引べかりしを、漏らせる故に、ここに出せるなり。
書き下し
建長二年六月二十四日、今日佐介に居住する者、俄に自害を企つ、聞く者競い集まり、この家を囲繞して、その死骸を観る、この人の聟有り、而して日来同宅せしむる処、その聟白地に田舎に下向し訖んぬ、その隙を窺いて、艶言を息女に通ずる事有り、息女殊に周章して、敢えて許容する能わず、櫛を投ぐるの時、取る者は骨肉皆他人に変ずるの由これを称す、かの父潜かに女子の居所に到り、屏風の上より櫛を投げ入る、かの息女不意にしてこれを取る、仍って父已に他人に准じ、志を遂げんと欲す、時に図らずして聟田舎より帰着し、その砌に入り来たるの間、忽ち以下悲しみに堪えず、自害に及ぶ云々、とこれも東鏡に見えたり。世にはあさましき事もある物なりけり。さてこれをここに出だせるは、伊邪那岐の命の、黄泉の国にて、御櫛を投げ給いし事あるところの、古事記伝に引くべかりしを、漏らせる故に、ここに出だせるなり。
現代語訳
「建長二年(1250年)六月二十四日、今日、佐介に住む者が急に自害を図った。聞いた者が競って集まり、この家を取り囲んで、その死骸を見た。この人には聟がいて、日頃同じ家に住まわせていたが、その聟がちょっと田舎へ下った。その隙をうかがって、この人が自分の娘に色めいた言葉をかけることがあった。娘はひどくうろたえて、決して受け入れなかった。櫛を投げられた時にそれを取った者は、肉親もみな他人に変わる、という言い伝えがあると称して、その父はひそかに娘の居所に行き、屏風の上から櫛を投げ入れた。娘は思いがけずにこれを取ってしまった。それで父はもう他人に準じたとして、思いを遂げようとした。その時、思いがけず聟が田舎から帰って来て、その場に入って来たので、たちまち悲しみに堪えず、自害に及んだ」云々と、これも東鑑(吾妻鏡)に見える。世にはあきれ果てた事もあるものである。さてこれをここに出したのは、伊邪那岐命が黄泉の国で御櫛を投げなさった事があるところの古事記伝に引くべきであったのに、漏らしてしまったので、ここに出したのである。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』六の巻 宝づくしと云ふ物に鍵ある事今世の中に、たからづくしとて、宝のかぎりをあつめえがく事あり。その中に鍵の有るは、何の故にかと思えば、むかし天智天皇の御世三年に、近江の国栗太の郡に、磐城村主殷と云いし人の妻、家の庭に出でたりし前へ、そらより鑰匙二つふり来たりけるを、とりて夫の殷に与えける。それより、その家富み栄えたりし事、書紀に見えたり。これよりや、世にめでたき宝として、絵にもかく事にはなりにけむ。
-
『玉勝間』四の巻 東鏡にしるせる事二つ三つ同じき十三日、駿河の国浮島原を過ぎられけるほど、按察光親の卿きのう殺されぬるよしを聞きて、我が身も、今日あす必ず失われなん事を思いて、黄瀬川うまやにやすまれける程に、筆のついでに、「きょう過ぐる身をうきしまの原にてぞついの道をば聞きさだめつる、これも同じ書にしるせり。この歌のはての句、古今著聞集には、ついの命をまた定めつると有るは、ひが事なるべし。また同書に、嘉禎元年正月二十一日、御願の五大堂建立の事、相州・武州度々巡検し、鎌倉中の勝地を撰び録せらる云々、頗る思し召し煩うの処、幕府の鬼門の方に相当りて、この地有り、毛利蔵人大夫入道西阿の領なり、御祈祷相応の処たるに依りて、これを点ぜられ、即ち地を引かれ訖んぬ、とあり。鬼門の方と云うこと、この頃より見えたり。鬼門と云う名は、古きからぶみにも見えたり。
-
『玉勝間』十一の巻 古事記伝の六の巻に入るべき事古事記の、伊邪那岐の命の御禊の段に、生まれ出でませる神たち、八十禍津日の神より、須佐之男の命まで、合わせて十四柱なるを、十柱とありていずれの本も同じことなり。もし四の字の脱けたるかとも思えど、然にはあらず。延佳本にのみ、十四柱とあるは、さかしらに四の字を補いたるなり。この十柱と記せるは、三柱の綿津見の神を一柱とし、三柱の筒之男の神をも、一柱として計えたる数なり。かくさまにかぞえたる類いの例、上にも有りて、伝の五の巻の、六十二のひらに云えるが如し。考え合わすべし。然るをおのれ伝に、何の心も無く、延佳本によりて、十四柱と書きたりしは、悪ろかりき。なお十柱と有るにぞ従うべき。これらの事をも、伝に云うべかりしを、落とせる故に、ここに云うなり。
-
『玉勝間』四の巻 東鏡にしるせる事二つ三つ東鏡に、建保二年二月十日、坊門新黄門(忠信)の使者、京都より参着す、蹴鞠の書一巻を送らる、かの卿去年十二月、紫革の韈を聴さる、宗長朝臣も同じ云々。将軍家諸道を賞翫し給う中に、殊に御意に叶う者は、歌鞠の両芸なり。また同年八月二十九日、去る十六日、仙洞の秋十首歌合、二条中将雅経朝臣写し進ず、将軍家殊にこれを賞翫せしめ給う云々。また同三年七月六日、坊門黄門(忠信卿)去る六月二日の仙洞歌合(衆議判)一巻を将軍家に進ぜらる、これ内々の勅定に依るなり云々、将軍は実朝の大臣なり。この大臣、公暁にころされ給わむとせし頃、いろいろあやしきさとしども有りける中に、公氏御鬢つかうまつりけるに、みづから御鬢の髪を一すじ抜き給いて、形見とて給わせけり。また庭の梅の花を見給いて、ゆゆしき歌をなん詠み給いける、「出でていなばぬし無き宿となりぬとも軒端の梅よ春をわするな、同書にしるしたり。また承久のみだれに、中御門の入道中納言宗行の卿、とらわれて、東にくだらるる時、七月十日に、遠江の国菊河のうまやに宿られけるを、よもすがら寝られず、法華経を読みて、屋の柱に書きつけられける。昔南陽軒の菊水、下流を汲みて齢を延ぶ、今東海道の菊河、西岸に宿りて命を失う、とぞ書きつけられける。
-
『玉勝間』四の巻 ほむすびの神いざなぎ、いざなみ二柱の大神の、国土またもろもろの神たちを生み生みて、火産霊神を生み給えるまでは、物の成れる吉事のみにして、凶事は無かりしを、かのほむすびの神を生み給えるによりて、いざなみの大神の、岩隠れましまししは、世の中の凶事の始めなり。さればほむすびの神は、そのかみ吉事の終り、凶事のはじめのきわに、成りませる故に、吉と凶とをかね給える神にませり。火は、世の中に物を熟しととのえ成す功多くして、また万の物を焼きほろぼす凶事も、たぐい無し。これ吉と凶とのきわに成り坐して、吉と凶とをかね給える、この神の御霊によるものなり。ここにある人の云わく、伊邪那美命、女神にまして、御言先だち給いしゆえによりて、蛭子・淡島と、よからぬ御子の生ませる、これをぞ世の中の凶事のはじめとは云うべきを、いざなみの命の御石隠れを、はじめと云えるはいかが。答えけらく。女神の御言さきだちしは、ことわりにたがいつれども、あなにやしちょう御詞は、吉事なり。また悪しき御子にまれ、生ませるは、なお吉事にしあれば、正しき凶事とは云いがたし。さればかれはただ、世の中の万の事には、必ず凶もまじらでは得あらぬ、ことわりの本とぞ云うべかりける。
-
『玉勝間』四の巻 崇神紀なる小児の神託の詞ある人の、崇神紀六十年云々のところに見えたる、丹波の氷上の人氷香戸辺が小児の、神託の辞の意はいかにと問えるに答えたる。玉萎鎮石、出雲人の祭る、真種の甘美鏡、押し羽振る、甘美御神、底宝御宝主、山河の水泳る御魂、静め挂けよ甘美御神、底宝御宝主、斯く訓むべし。今の本のごとく訓みては、むげに聞こえぬ事なり。しづかしは、行くをゆかし、佩くをはかしなど云う格にて、しづきを延べたる詞にて、玉藻しづき厳藻、と云う意につづきたる、出雲の序なり。厳は清らかなる意にて、水底にしづく玉藻の、清らかなるよしなり。真種の意は、いまだ考え得ず。おしはぶれとは、鏡をおしふり挙げて祭れと云うことなり。底実は、宝の至極と云うなり、すべて物の至り極まるところを、底と云う。甘美は底宝へ係れり、御神には係らず。御宝主は宝の主人にて、司長のよしなり。これみな鏡を褒めたたえたる詞なり。御魂は御玉にて、山川の底なる玉を云う。しづめかけよは、鎮め掛けて祭れとなり。甘美御神云々は、鏡と同じく、玉をほめたたえたるなり。すべての意は、神宝の至極長なる鏡と玉とを以て、出雲の臣これを祭るべしとなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る