玉勝間 / 四の巻 十干の訓
甲乙をキノエキノトと云ふは、木の兄木の弟なり。其餘も准へて知べし。庚辛は、金の兄、金の弟なるを、カノエ、カノトと云ふは、爾乃は乃とつづまる故なり。
新字:甲乙をキノエキノトと云ふは、木の兄木の弟なり。其余も准へて知べし。庚辛は、金の兄、金の弟なるを、カノエ、カノトと云ふは、爾乃は乃とつづまる故なり。
書き下し
甲乙をキノエ・キノトと云うは、木の兄・木の弟なり。その余も准えて知るべし。庚辛は、金の兄、金の弟なるを、カノエ、カノトと云うは、爾乃は乃とつづまる故なり。
現代語訳
甲・乙を「キノエ」「キノト」と言うのは、「木の兄(え)」「木の弟(と)」である。その他もこれに準じて知るがよい。庚・辛は「金(かね)の兄」「金の弟」であるのを、「カノエ」「カノト」と言うのは、「ねの(爾乃)」が「の(乃)」とつづまるからである。
解説
十干の和訓の成り立ちを手短に説いた一段である。十干は甲乙丙丁などの十の符号で、陰陽五行説と結びつき、木火土金水の五行をそれぞれ兄と弟に割り振って、甲を「木の兄」、乙を「木の弟」と訓む。宣長はここから、ほかの十干も同じ理屈で知れると言う。そのうえで、庚辛は「かねのえ」「かねのと」のはずなのに「かのえ」「かのと」と言うのは、「ねの」の音が「の」につづまったからだと説明する。暦や干支は中国から来たものだが、それに当てた和語の訓には、日本語の音の変化の法則がそのまま働いている。宣長は古語の音のつづまりや延びを数多く研究した。身近な干支の読みにも、言葉の成り立ちの跡が残っているのである。
関連する章句
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