玉勝間 / 四の巻 東屋のまや月夜よし夜よし
さいばらに、東屋のま屋のあまりと云へる事を、東屋とま屋とを、別に心得來たり。和名抄にも、四阿はあづまや、兩下はまやと、別にあげたり。然れどもよく思ふに、かの催馬樂の趣は、必ず一つの屋とこそ聞えたれ、東屋の軒にも立ぬれ、又ま屋の軒にも立ぬれたるさまには有らず。されば是れは、うたふ歌なれば、東屋の東屋のと、重ねて云ふ言を、あづを略きて、まやのとうたひて、五七言の調べにかなへたる物なり。今の世にも、うたふ歌には、此たぐひ常に多し。又月夜よし夜よしと云へる歌も、月夜よし月夜よしと、重ねたる詞なるを、月を略きて夜よしと云へるにて、もはら同じ事なり、相證すべし。
新字:さいばらに、東屋のま屋のあまりと云へる事を、東屋とま屋とを、別に心得来たり。和名抄にも、四阿はあづまや、両下はまやと、別にあげたり。然れどもよく思ふに、かの催馬楽の趣は、必ず一つの屋とこそ聞えたれ、東屋の軒にも立ぬれ、又ま屋の軒にも立ぬれたるさまには有らず。されば是れは、うたふ歌なれば、東屋の東屋のと、重ねて云ふ言を、あづを略きて、まやのとうたひて、五七言の調べにかなへたる物なり。今の世にも、うたふ歌には、此たぐひ常に多し。又月夜よし夜よしと云へる歌も、月夜よし月夜よしと、重ねたる詞なるを、月を略きて夜よしと云へるにて、もはら同じ事なり、相証すべし。
書き下し
さいばらに、東屋のま屋のあまりと云える事を、東屋とま屋とを、別に心得来たり。和名抄にも、四阿はあづまや、両下はまやと、別にあげたり。然れどもよく思うに、かの催馬楽の趣は、必ず一つの屋とこそ聞こえたれ、東屋の軒にも立ち濡れ、またま屋の軒にも立ち濡れたるさまには有らず。されば是れは、うたう歌なれば、東屋の東屋のと、重ねて云う言を、あづを略きて、まやのとうたいて、五七言の調べにかなえたる物なり。今の世にも、うたう歌には、このたぐい常に多し。また月夜よし夜よしと云える歌も、月夜よし月夜よしと、重ねたる詞なるを、月を略きて夜よしと云えるにて、もはら同じ事なり、相証すべし。
現代語訳
催馬楽(さいばら、古代の歌謡)に「東屋の真屋のあまり」と言っていることを、これまで「東屋」と「真屋」とを別の物と理解してきた。和名抄にも、「四阿はあづまや」「両下はまや」と別々に挙げている。しかしよく考えると、あの催馬楽の趣旨は、必ず一つの家のことと聞こえるのであって、東屋の軒にも立って濡れ、また真屋の軒にも立って濡れたという様子ではない。だからこれは、歌う歌なので、「東屋の東屋の」と重ねて言う言葉を、「あづ」を略して「まやの」と歌って、五七の音の調べに合わせたものである。今の世でも、歌う歌にはこの類がいつも多い。また「月夜よし夜よし」という歌も、「月夜よし月夜よし」と重ねた言葉であるのを、「月」を略して「夜よし」と言ったのであって、まったく同じことである。互いに証とすべきである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』七の巻 催馬楽と云ふ名の事また或る説に、催馬楽と云うは、古諸国より御貢物を納むる時、民の口すさびに、うたいたる歌にて、御貢物を負する馬を、かりもよおす意なりと云えるは、催馬と云う名につきて、造りたる拙き説なり。また県居の大人は、さいばりを、さいばらと云いなせるなりとて、やがて催馬楽を、さいばりと書かれたれども、これも誤られたり。さいばりと云うは、もと、さいばりに衣はそめむ云々と云う歌の、一曲の名なるを、十六曲の総名として、大前張・小前張と分かれたる、皆神楽歌の方につきたる物にて、催馬楽とは、もとより別物なるをや。さてついでに云わむ、さいばりを、前張と書くは、借字にて、初榛なり。さてまた或る説に、催馬楽と云うは、もと唐楽の名なり。和名抄、音楽の部曲調類、双調の条に、柳花苑、春庭楽、催馬楽、狭鰭河、和風楽と、並べあげたり。みな唐楽なりと云えるも、ひがことなり。これは、吾駒の歌など双調に奏る故に、双調の曲の中へ、まじえ挙げたるにこそ有れ、唐楽に催馬楽と云う有る事無し。然る故にその催馬楽と挙げたる分注に、我駒の曲これなりと有り。またその次なる狭鰭河も、催馬楽の中の沢田川の曲なり。即ち分注に、沢田川の曲これなりと有り。唐楽に狭鰭河と云う名有るべきかは。
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『玉勝間』七の巻 催馬楽と云ふ名の事長瀬の真幸がいわく、催馬楽と云う名は、その初についでたる吾駒の歌によれるものなり。その歌は、いであがこま、はやくゆきこせ、まつちやま、あわれ、まつちやま、はれ、まつちやま、まつらんひとを、ゆきてはや、あわれ、ゆきてはやみん、これなり。この歌はもと、万葉集十二に、いで吾が駒、早く行きこそ、真土山、待つらむ妹を、行きて速く見む、と有る歌なり。はじめの二句、馬を催す詞なるをもて、催馬楽とは名づけたり。楽は、唐の楽曲どもの名、某楽某楽と云うによりて、添えたるにて、やがてその字音をとりて、らと呼ぶなり。さてこの吾駒の歌を、初とする故に、その名を、もろもろの曲の総名とせるなりと云える、この説よろし。体源抄には、狛朝葛新作続教訓抄に云う、催馬楽といふは、催馬楽と云う楽有り、それより事おこれり、この楽の唱歌に、駒をもよおすと云う事の有りけるを、やがて歌になして、国々よりうたい出したり。我駒と云う催馬楽これなり、と云えれど、これは、かの歌もと万葉の歌なる事を知らずして、唐楽の唱歌より出でたりと、誤り伝えたるひがことにて、国々よりうたい出したりと云えるも、ひがことなり。
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『玉勝間』十二の巻 夜をよさり又ようさりと云ふ事今の俗に、夜を、よさりとも、ようさりとも云うは、古き言なり。催馬楽の刺櫛の歌に、あさなとり、ようさりとりとあり。朝取夕取と云う事なり。
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『玉勝間』六の巻 業平ノ朝臣の月やあらぬてふ歌のこころ「月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして」。この歌、とりどりに解きたれども、いずれもその意くだくだしくして、一首の趣とおらず。これによりて、今おのが思い得たる趣を云わんには、まず二つのや文字は、はやちょう意にて、月も春も、去年にかわらざるよしなり。さて一首の意は、月やは昔の月にあらぬ、月も昔のままなり。春やは昔の春にあらざる、春もむかしのままの春なり、然るにただ我が身ひとつのみは、もとの昔のままの身ながら、昔のようにも有らぬ事よ、と詠めるなり。昔とは、思う人に逢い見たりしほどなり。もとの身と云うも、その時のままの身と云う事なり。さて身にしてと云うは、身ながらの意にて、かくとじめたる所に、昔のようにも有らぬことよ、と云う意をふくめたる物なり。にしてと云える語の勢い、上の句に月も春も昔のままなるに、と云えるとあい照らして、おのずからふくめたる意は聞こゆるなり。この人の歌、こころあまりて、詞足らずと云えるは、かかるを云えるなるべし。伊勢物語のはしの詞に、立ちて見、居て見、見れど、こぞに似るべくもあらず、と云えるは、このふくめたる意を、あらわしたるものなり。
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『玉勝間』七の巻 催馬楽と云ふ名の事また春庭楽・和風楽なども、皇朝にて作れる曲にして、唐楽にはあらざるをや。さてついでに云わむ、催馬楽と云う名は、三代実録三の巻に、始めて見えたり。
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『玉勝間』二の巻 歌書の註を抄となづくる事昔より、歌ぶみの註を抄と云いて、その名をも多く某抄とつくる。抄の字は、註釈にはあたらざれども、もろこしよりして、仏ぶみには、その書のさまにかかわらで、記とも集とも抄とも名づけたる、つねの事なれば、歌ぶみの註を抄と云うも、もと仏書の名どもにならえる物なるべし。
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