玉勝間 / 二の巻 歌書の註を抄となづくる事
昔より、歌ぶみの註を抄と云ひて、其名をも多く某抄とつくる。抄の字は、註釋にはあたらざれども、もろこしよりして、佛ぶみには、其書のさまにかかはらで、記とも集とも抄とも名けたる、つねの事なれば、歌ぶみの註を抄と云ふも、もと佛書の名どもにならへる物なるべし。
新字:昔より、歌ぶみの註を抄と云ひて、其名をも多く某抄とつくる。抄の字は、註釈にはあたらざれども、もろこしよりして、仏ぶみには、其書のさまにかかはらで、記とも集とも抄とも名けたる、つねの事なれば、歌ぶみの註を抄と云ふも、もと仏書の名どもにならへる物なるべし。
書き下し
昔より、歌ぶみの註を抄と云いて、その名をも多く某抄とつくる。抄の字は、註釈にはあたらざれども、もろこしよりして、仏ぶみには、その書のさまにかかわらで、記とも集とも抄とも名づけたる、つねの事なれば、歌ぶみの註を抄と云うも、もと仏書の名どもにならえる物なるべし。
現代語訳
昔から、歌書の注釈を「抄」と言って、その書名も多く何々抄と付けている。「抄」の字は注釈には当たらないが、中国以来、仏書では、その書の中身にかかわらず、記とも集とも抄とも名づけるのが普通なので、歌書の注釈を抄と言うのも、もとは仏書の名にならったものであろう。
解説
歌書の注釈を「何々抄」と名づける習わしの由来を考えた短い段である。「抄」は本来抜き書きの意で、注釈という意味には合わない。宣長は、中国以来の仏書が中身にかかわらず記・集・抄と名づけてきたことに目をつけ、歌書の注釈もその名付けにならったのだろうと推す。中世の歌学は僧侶や仏教の学問の型と深く結びついて伝えられてきたから、書名の付け方にまでその影響が残った、という見方である。宣長自身も契沖の『百人一首改観抄』などに学んだから、身近な書名の癖に気づいたのであろう。言葉の由来をたどると、その分野がどの伝統から型を借りてきたかが見えてくる。専門用語の出どころを問う習慣は、今の学びにも役立つ。
関連する章句
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『玉勝間』九の巻 契沖が歌を解けるやう歌の注は、むつかしきわざにて、いささかの云いざまによりて、意も勢いも、いたくたがう事多きを、契沖は、歌を解くこと、上手にて、善くも悪しくも、云える事のすじ、よく通りて、聞こえやすし。然るにおりおり、くだくだしき解きざまの交じれるは、いかにぞや。たとえば遍昭僧正の、天津風の歌の注に、もとより風雲ともに、浮きたる物なれば、久しく吹きとずべき物には有らざるによりて、しばしと云える詞、よくかなえり、と云える類いなり。すべてかの頃などの歌は、詠みぬしの心には、さる事までを思える物にはあらず。然るをかくさまに、こまかに意を添えて解けるたぐいは、思うに、仏ぶみの注釈どもを、見なれたる癖なめり。すべてほとけぶみの注釈と云う物は、深くせむとて、えも云わずくだくだしき意を加えて、こちたく解きなせる物ぞかし。
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『玉勝間』九の巻 当の字のつかひざま又此を今のと云ふ事そもそもかの今の歌はと云えるたぐいを思うに、此歌はと云いては、別にそこに引きたる歌のことに、まがうおりなどの有れば、そを分けむ為などには、今注する歌の事をば、然か云わむも、悪しき事にはあらずなん。
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『玉勝間』十二の巻 歌に六義と云ふ事いわゆる古注に、おおよそむくさに分かれむことは、えあるまじき事になむと云えるぞ、よくあたれる論いには有りける。この一言にて、六義の論は尽きたるべし。
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『玉勝間』二の巻 おのが物まなびの有しやうさて京に在りしほどに、百人一首の改観抄を、人に借りて見て、はじめて契沖と云いし人の説を知り、その世にすぐれたる程をも知りて、この人のあらわしたる物、余材抄、勢語臆断などを初め、その外もつぎつぎに、もとめ出でて見けるほどに、すべて歌まなびの筋の、善き悪しきけじめをも、ようようにわきまえさとりつ。さるままに、今の世の歌よみの思えるむねは、大かた心にかなわず、その歌のさまも、おかしからず覚えけれど、そのかみ同じ心なる友は無かりければ、ただ世の人なみに、ここかしこの会などにも出でまじらいつつ、詠みありきけり。さて人の詠むふりは、おのが心には、かなわざりけれども、おのがたてて詠むふりは、今の世のふりにもそむかねば、人はとがめずぞ有りける。そはさるべき理りあり、別に云いてん。さて後、国にかえりたりしころ、江戸よりのぼれりし人の、近きころ出でたりとて冠辞考と云う物を見せたるにぞ、縣居の大人の御名をも、始めて知りける。
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『玉勝間』四の巻 歌人また家集と云ふ事歌詠む人を歌人と云う事、拾遺集十七の巻に、三条の太政大臣の家にて、歌人召し集めて、あまたの題詠ませ侍りけるにとあり。また家の集と云うこと、古今集の真字序に見え、拾遺集同じ巻に、天暦の御時、伊勢が家の集召したりければ云々、また二十の巻に、家集に書きて侍ると見え、源の順の集に、平の兼盛が家の集など有り。類聚国史に、菅原の是善の卿の事に、家集十巻とあり、これは詩文の集なり。
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『玉勝間』十の巻 詩の事云へるから人の詞一ッ二ッ厳滄浪、詩話と云う物に、詩の是非は、必ずしも争わず、試みに己が詩を以て、之を古人の詩の中に置き、識者に与えて之を観しめ、弁ずること能わざれば則ち真の古人なり、と云える事あり。歌もさることなり。また王敬美が芸圃擷余と云うものに、余嘗て明卿の五七言律に服して謂う、他人の詩は、多く高き処に於て穏やかなるを失い、明卿の詩は、多く穏やかなる処に於て高きを蔵す、と云えり。これまた歌もさることなり。凡てもろこしにて、宋明の頃など、詩の事を論じたるに、歌とこころばえのもはら同じき、かかるたぐいの事多かり。若かりし程、こうようのからぶみどもをも、いささか見たりし中に、おかしと覚ゆるふしぶし、ぬき出でて書きおきつるが、ものの底に残れるを、引き出でて見れば、今もおかしき事どものまじれるを、ひとつ二つまたぬき出でつるなり。
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