玉勝間 / 四の巻 前後と説のかはる事
但し又みづからこそ、初めのをば惡ろしと思ひて、改めつれ、又のちに人の見るには、猶初めのかたよろしくて、後のは中中に惡ろきも無きにあらざれば、とにかくにえらびは、見む人の心になむ。
新字:但し又みづからこそ、初めのをば悪ろしと思ひて、改めつれ、又のちに人の見るには、猶初めのかたよろしくて、後のは中中に悪ろきも無きにあらざれば、とにかくにえらびは、見む人の心になむ。
書き下し
ただしまたみづからこそ、初めのをば悪ろしと思いて、改めつれ、またのちに人の見るには、なお初めのかたよろしくて、後のはなかなかに悪ろきも無きにあらざれば、とにかくにえらびは、見む人の心になむ。
現代語訳
ただしまた、自分自身は初めの説を悪いと思って改めたのだが、後に他人が見ると、やはり初めの方が良くて、後のものはかえって悪いということもないではないので、いずれにせよ、どちらを選ぶかは、見る人の心次第である。
解説
前段で「後の説をその人の定説とせよ」と述べたのに、宣長自らただし書きを加えた短い一段である。本人は初めの説を悪いと思って改めても、後の人が見れば初めの方が良く、改めた方がかえって悪いこともある。だから、どちらを採るかは読む人の判断に任せる、と言う。書き手の最終判断さえ絶対ではないと認め、選ぶ責任を読者に返しているのである。これは、弟子に「わが説にななづみそ」と言い置いた宣長の姿勢とも通じる。師の説であれ自分の後の説であれ、権威によって採るのではなく、読む者が自分で吟味して選ぶ。改められた最新の説を無条件に正しいとせず、旧い稿にも目を配るという読み方は、今も古典や研究を読むうえで大切な心得である。
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 前後と説のかはる事同じ人の説の、こことかしこと行きちがいて、ひとしからざるは、いづれによるべきぞと、まどわしくて、大かたその人の説、すべて浮きたる心地のせらるる、そは一わたりはさる事なれども、なおさしも有らず。初めより終りまで、説のかわれる事無きは、なかなかにおかしからぬかたも有るぞかし。初めに定めおきつる事の、ほどへて後に、またことなるよき考えの出で来るは、常にある事なれば、初めとかわれる事あるこそよけれ。年をへて、学問進みゆけば、説は必ずかわらでかなわず。またおのがはじめの誤りを、後に知りながらは、つつみかくさで、きよく改めたるも、いと善き事なり。殊にわが古学の道は、近きほどより開けそめつる事なれば、すみやかに尽くは考えつくすべきに有らず。人を経、年を経てこそ、つぎつぎに明らかには成りゆくべきわざなれば、一人のときごとの中にも、さきなると後なると異なる事は、もとより有らではえ有らぬわざなり。そは一人の生のかぎりの程にも、つぎつぎ明らかに成りゆくなり。さればそのさきのと後のとの中には、後の方をぞ、その人の定まれる説とはすべかりける。
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『玉勝間』二の巻 師の説になづまざる事おのれ古典を解くに、師の説とたがえること多く、師の説の悪ろき事あるをば、わきまえ云う事も多かるを、いとあるまじき事と思う人おおかんめれど、これすなわちわが師の心にて、常におしえられしは、後に善き考えの出で来たらんには、必ずしも師の説にたがうとて、なはばかりそとなむ、教えられし。こはいとたっとき教えにて、わが師の、世にすぐれ給える一つなり。大かた古をかむがうる事、さらにひとり二人の力もて、ことごとくあきらめ尽くすべくもあらず。またよき人の説ならんからに、多くの中には、誤りもなどか無からむ、必ず悪ろき事もまじらではえ有らず。そのおのが心には、今は古のこころことごとく明らかなり、これをおきては、有るべくも有らずと、思い定めたる事も、おもいの外に、また人のことなる善き考えも出で来るわざなり。あまたの年を経るまにまに、さきざきの考えのうえを、なおよく考えきわむるからに、つぎつぎにくわしく成りもて行くわざなれば、師の説なりとて、必ずなずみ守るべきにも有らず。善き悪しきを云わず、ひたぶるに古きをまもるは、学問の道には、云うかいなきわざなり。
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『玉勝間』四の巻 ひとむきにかたよることの論ひ世の物知り人の、他の説の悪しきをとがめず、一むきにかたよらず、これをもかれをも捨てぬさまに論をなすは、多くはおのが思いとりたる趣をまげて、世の人の心に、洽くかなえむとするものにて、まことに有らず、心ぎたなし。たとい世の人は、いかにそしるとも、わが思う筋をまげて、従うべき事にはあらず、人のほめそしりにはかかわるまじきわざぞ。大かた一むきにかたよりて、他説をば、悪ろしととがむるをば、心せばく善からぬ事とし、ひとむきにはかたよらず、他説をも、悪ろしとは云わぬを、心ひろくおいらかにて、善しとするは、なべての人の心なめれど、必ずそれさしも善き事にもあらず。よる所定まりて、そを深く信ずる心ならば、必ずひとむきにこそよるべけれ、それにたがえる筋をば、とるべきに有らず。善しとしてよる所に異なるは、皆悪しきなり、これ善ければ、かれは必ず悪しきことわりぞかし。然るをこれも善し、またかれも悪しからずと云うは、よる所さだまらず、信ずべき所を、深く信ぜざるものなり。
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『玉勝間』二の巻 あらたに云ひ出たる説はとみに人のうけひかぬ事然れどもまたまれまれには、新なる説の善きを聞きては、古きが悪しき事をさとりて、すみやかに改め従うたぐいも、無きにはあらず。古きをいかにぞや思いて、かくはあらじかとまでは思いよれども、みずから定むる力無くて、疑わしながら、さて有るなどは、あらたなる善き説を聞きては、斯くてこそはと、いみしく喜びつつ、たちまちに従うたぐいも有りかし。大かた新なる説は、いかに善くても、すみやかには用うる人まれなるものなれど、善きは、年をへても、おのずからつひには世の人のしたがうものにて、あまねく用いらるれば、その時にいたりては、始めにねたみそしりしともがらも、心には悔しく思えど、おくればせに従わむも、猶ねたく、人わろくおぼえて、心よからずながら、古きをまもりてやむともがらも多かり。しか世の中の論さだまりて、皆人のしたがう世に成りては、始めよりすみやかに改めしたがいつる人は、かしこく心さとく思われ、古きにかかずらいて、とかくとどこおれる人は、心おそく云うかいなく思わるるわざぞかし。
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『玉勝間』七の巻 物書くに心すべき事古は、かたえの人も、皆心明らかなりしかば、いかに書きても、読みたがうる事無かりしかばこそ有れ、今の世は、みずからこそ心得たらめ、かたえの人は、心得たらねば、ともすれば、読みたがえ、写しひがむるたぐいのみ多かれば、いかにももの書くには、心すべきわざぞと、おのれは思いとりてぞ在る。さればおのが癖にて、つねに物書くに、読みたがえやせん、写しひがめやせんとのみ、心するほどに、もとよりいといと拙き手をいとどしじかみて、かたわには有るなり。また古言などは、殊に人の読みたがえ、誤る事多きを、いかであやまらず、正しく読ましめんとする程に、さらでも有るべき所にも、度ごとに仮字づけしなどして、心高き人には、わらわるるを、みずからも且つは知りながら、しみつきたる癖は、世に離れがたきわざになん。
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『玉勝間』二の巻 わがをしへ子にいましめおくやう吾に従いて物まなばむともがらも、わが後に、また善き考えのいできたらむには、必ずわが説にななづみそ。わが悪しき故を云いて、善き考えをひろめよ。すべておのが人を教うるは、道を明らかにせむとなれば、かにもかくにも、道をあきらかにせむぞ、吾を用うるには有りける。道を思わで、いたずらにわれを尊まんは、わが心にあらざるぞかし。
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