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玉勝間 / 四の巻 前後と説のかはる事

同じ人の說の、こことかしこと行きちがひて、ひとしからざるは、いづれによるべきぞと、まどはしくて、大かた其人の說、すべて浮きたる心地のせらるる、そは一わたりはさる事なれども、猶さしも有らず。初めより終りまで、說のかはれる事無きは、中中におかしからぬかたも有るぞかし。初めに定めおきつる事の、ほどへて後に、又ことなるよき考への出來るは、常にある事なれば、初めとかはれる事あるこそよけれ。年をへて、學問進みゆけば、說は必ズかはらでかなはず。又おのがはじめの誤を、後に知りながらは、つつみかくさで、きよく改めたるも、いと善き事なり。殊にわが古學の道は、近きほどより開けそめつる事なれば、すみやかに盡くは考へつくすべきに有らず。人を經、年を經てこそ、つぎつぎに明らかには成ゆくべきわざなれば、一人のときごとの中にも、さきなると後なると異なる事は、もとより有らではえ有らぬわざなり。そは一人の生のかぎりの程にも、つぎつぎ明らかに成りゆくなり。されば其のさきのと後のとの中には、後の方をぞ、其人の定まれる說とはすべかりける。

新字:同じ人の説の、こことかしこと行きちがひて、ひとしからざるは、いづれによるべきぞと、まどはしくて、大かた其人の説、すべて浮きたる心地のせらるる、そは一わたりはさる事なれども、猶さしも有らず。初めより終りまで、説のかはれる事無きは、中中におかしからぬかたも有るぞかし。初めに定めおきつる事の、ほどへて後に、又ことなるよき考への出来るは、常にある事なれば、初めとかはれる事あるこそよけれ。年をへて、学問進みゆけば、説は必ズかはらでかなはず。又おのがはじめの誤を、後に知りながらは、つつみかくさで、きよく改めたるも、いと善き事なり。殊にわが古学の道は、近きほどより開けそめつる事なれば、すみやかに尽くは考へつくすべきに有らず。人を経、年を経てこそ、つぎつぎに明らかには成ゆくべきわざなれば、一人のときごとの中にも、さきなると後なると異なる事は、もとより有らではえ有らぬわざなり。そは一人の生のかぎりの程にも、つぎつぎ明らかに成りゆくなり。されば其のさきのと後のとの中には、後の方をぞ、其人の定まれる説とはすべかりける。

書き下し

同じ人の説の、こことかしこと行きちがいて、ひとしからざるは、いづれによるべきぞと、まどわしくて、大かたその人の説、すべて浮きたる心地のせらるる、そは一わたりはさる事なれども、なおさしも有らず。初めより終りまで、説のかわれる事無きは、なかなかにおかしからぬかたも有るぞかし。初めに定めおきつる事の、ほどへて後に、またことなるよき考えの出で来るは、常にある事なれば、初めとかわれる事あるこそよけれ。年をへて、学問進みゆけば、説は必ずかわらでかなわず。またおのがはじめの誤りを、後に知りながらは、つつみかくさで、きよく改めたるも、いと善き事なり。殊にわが古学の道は、近きほどより開けそめつる事なれば、すみやかに尽くは考えつくすべきに有らず。人を経、年を経てこそ、つぎつぎに明らかには成りゆくべきわざなれば、一人のときごとの中にも、さきなると後なると異なる事は、もとより有らではえ有らぬわざなり。そは一人の生のかぎりの程にも、つぎつぎ明らかに成りゆくなり。さればそのさきのと後のとの中には、後の方をぞ、その人の定まれる説とはすべかりける。

現代語訳

同じ人の説が、ここと別の所とで食い違っていて同じでないのは、どちらに従うべきかと迷わされ、だいたいその人の説がすべて浮ついたもののように感じられる。それはひととおりはもっともなことだが、やはりそうとばかりは言えない。初めから終わりまで説が変わることがないのは、かえって感心しない面もあるのだ。初めに定めておいた事について、時が経った後に、また別の良い考えが出てくるのはよくあることなので、初めと変わることがあるのがむしろ良いのである。年を経て学問が進んでゆけば、説は必ず変わらずにはいられない。また自分の初めの誤りを後に知ったならば、包み隠さず潔く改めるのも、たいへん良いことである。とりわけ我が古学の道は、近頃になって開け始めたことなので、速やかにすべてを考え尽くせるものではない。人を経、年を経てこそ、次々に明らかになってゆくはずのものなので、一人の説の中でも、前のものと後のものとが異なることは、もともとあらずにはいられないことである。それは一人の生涯の間でも、次々と明らかになってゆくのである。だから、その前の説と後の説との中では、後の方を、その人の定まった説とすべきなのである。

解説

学者の説が前後で変わることを、むしろ良いこととして擁護した一段である。同じ人の説が食い違っていると、読む側は迷い、その人の学問全体が頼りなく見える。だが宣長は、初めから終わりまで説が変わらない方がかえって感心しない、と言う。時が経てば良い考えが出てくるのは当然で、学問が進めば説は変わらずにはいられない。誤りに気づいたら包み隠さず改めるのも良いことだ、と。とりわけ古学は始まったばかりの学問で、人と年を重ねて次第に明らかになってゆく。だから前後の説が違えば、後の方をその人の定説とせよ、という。三十年以上かけて古事記伝を書き継いだ宣長自身の実感でもあろう。意見を変えることを、学びが進んだ証として受け止める姿勢である。

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