玉勝間 / 四の巻 ひとむきにかたよることの論ひ
よる所さだまりて、そを信ずる心の深ければ、それに異なるすぢの惡しきことをば、おのづからとがめざる事あたはず、これ信ずる所を信ずるまめ心なり。人はいかに思ふらむ。われは一むきにかたよりて、あだし說をば惡ろしととがむるも、必ず惡ろしとは思はずなむ。
新字:よる所さだまりて、そを信ずる心の深ければ、それに異なるすぢの悪しきことをば、おのづからとがめざる事あたはず、これ信ずる所を信ずるまめ心なり。人はいかに思ふらむ。われは一むきにかたよりて、あだし説をば悪ろしととがむるも、必ず悪ろしとは思はずなむ。
書き下し
よる所さだまりて、そを信ずる心の深ければ、それに異なるすじの悪しきことをば、おのづからとがめざる事あたわず、これ信ずる所を信ずるまめ心なり。人はいかに思うらむ。われは一むきにかたよりて、あだし説をば悪ろしととがむるも、必ず悪ろしとは思わずなむ。
現代語訳
拠り所が定まって、それを信じる心が深ければ、それと異なる筋の悪いことを、自然と咎めずにはいられない。これが、信じる所を信じる誠実な心である。人はどう思うだろうか。私は、一方に偏って他の説を悪いと咎めることも、決して悪いことだとは思わないのである。
解説
前段の結びとして、宣長が自分の立場をはっきり述べた一段である。拠り所が定まり深く信じていれば、それと異なる説の悪さを自然と咎めずにはいられない。それこそが信じるものを信じる「まめ心」、誠実な心だ、と言う。そして人はどう思おうと、自分は一方に偏って他説を咎めることを悪いとは思わない、と言い切る。宣長は実際、儒者の市川匡や上田秋成らと激しい論争を交わした。この段はその論争の姿勢を自ら弁護したものとも読める。一方で宣長は、弟子には自分の説にこだわるなとも言い置いている。偏ることを恐れないのは頑迷のためではなく、考え抜いた結論に責任を持つためだ、という筋が見えてくる。
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 ひとむきにかたよることの論ひ世の物知り人の、他の説の悪しきをとがめず、一むきにかたよらず、これをもかれをも捨てぬさまに論をなすは、多くはおのが思いとりたる趣をまげて、世の人の心に、洽くかなえむとするものにて、まことに有らず、心ぎたなし。たとい世の人は、いかにそしるとも、わが思う筋をまげて、従うべき事にはあらず、人のほめそしりにはかかわるまじきわざぞ。大かた一むきにかたよりて、他説をば、悪ろしととがむるをば、心せばく善からぬ事とし、ひとむきにはかたよらず、他説をも、悪ろしとは云わぬを、心ひろくおいらかにて、善しとするは、なべての人の心なめれど、必ずそれさしも善き事にもあらず。よる所定まりて、そを深く信ずる心ならば、必ずひとむきにこそよるべけれ、それにたがえる筋をば、とるべきに有らず。善しとしてよる所に異なるは、皆悪しきなり、これ善ければ、かれは必ず悪しきことわりぞかし。然るをこれも善し、またかれも悪しからずと云うは、よる所さだまらず、信ずべき所を、深く信ぜざるものなり。
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『玉勝間』二の巻 師の説になづまざる事またおのが師などの悪ろき事を云いあらわすは、いともかしこくはあれど、それも云わざれば、世の学者その説にまどいて、長く善きを知るご無し。師の説なりとして、悪ろきを知りながら、云わずつつみかくして、よさまにつくろいおらんは、ただ師をのみたっとみて、道をば思わざるなり。宣長は、道を尊み古を思いて、ひたぶるに道の明らかならん事を思い、古の意の明らかならん事をむねと思うが故に、わたくしに師をたっとむことわりの欠けむ事をば、えしもかえり見ざる事あるを、猶悪ろしと、そしらむ人はそしりてよ、そはせんかた無し。われは人にそしられじ、善き人に成らむとて、道をまげ、古の意をまげて、さてあるわざはえせずなん。これすなわちわが師の心なれば、かえりては師をたっとむにも有るべくや。そはいかにも有れ。
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『玉勝間』二の巻 師の説になづまざる事おのれ古典を解くに、師の説とたがえること多く、師の説の悪ろき事あるをば、わきまえ云う事も多かるを、いとあるまじき事と思う人おおかんめれど、これすなわちわが師の心にて、常におしえられしは、後に善き考えの出で来たらんには、必ずしも師の説にたがうとて、なはばかりそとなむ、教えられし。こはいとたっとき教えにて、わが師の、世にすぐれ給える一つなり。大かた古をかむがうる事、さらにひとり二人の力もて、ことごとくあきらめ尽くすべくもあらず。またよき人の説ならんからに、多くの中には、誤りもなどか無からむ、必ず悪ろき事もまじらではえ有らず。そのおのが心には、今は古のこころことごとく明らかなり、これをおきては、有るべくも有らずと、思い定めたる事も、おもいの外に、また人のことなる善き考えも出で来るわざなり。あまたの年を経るまにまに、さきざきの考えのうえを、なおよく考えきわむるからに、つぎつぎにくわしく成りもて行くわざなれば、師の説なりとて、必ずなずみ守るべきにも有らず。善き悪しきを云わず、ひたぶるに古きをまもるは、学問の道には、云うかいなきわざなり。
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『玉勝間』四の巻 前後と説のかはる事同じ人の説の、こことかしこと行きちがいて、ひとしからざるは、いづれによるべきぞと、まどわしくて、大かたその人の説、すべて浮きたる心地のせらるる、そは一わたりはさる事なれども、なおさしも有らず。初めより終りまで、説のかわれる事無きは、なかなかにおかしからぬかたも有るぞかし。初めに定めおきつる事の、ほどへて後に、またことなるよき考えの出で来るは、常にある事なれば、初めとかわれる事あるこそよけれ。年をへて、学問進みゆけば、説は必ずかわらでかなわず。またおのがはじめの誤りを、後に知りながらは、つつみかくさで、きよく改めたるも、いと善き事なり。殊にわが古学の道は、近きほどより開けそめつる事なれば、すみやかに尽くは考えつくすべきに有らず。人を経、年を経てこそ、つぎつぎに明らかには成りゆくべきわざなれば、一人のときごとの中にも、さきなると後なると異なる事は、もとより有らではえ有らぬわざなり。そは一人の生のかぎりの程にも、つぎつぎ明らかに成りゆくなり。さればそのさきのと後のとの中には、後の方をぞ、その人の定まれる説とはすべかりける。
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『玉勝間』七の巻 道を説く事はあだし道道の意にも世の人のとりとらざるにもかかはるまじき事道を説かむに儒にまれ、老にまれ、仏にまれ、稀れ稀れに心ばえの通える所の有るを捉えて、おのが心のひくかたにまかせて、通わぬ所をも、すべてその筋に引きよせて説きなし、或いはまた他道と同じからん事を、いといさけて、殊更にけじめを見せ、さまを変えて説かむとする、これら皆いとあじきなくしいたるわざなり似ざらむも似たらむも、異ならむも同じからむも、とにかくに異道の意には、いささかもかかわるべきわざにあらず。またかく説きたらむには、世にうけひかじ、かく云いてこそ、人は信ぜめなど、世の人の心をとりて、いささかも説き曲げむ事は、またいと有るまじく、心ぎたなきわざなり。すべて世の人の褒め謗りをも、思うべきにはあらず。たとい、あだし道々とは、うらうえのたがいあり、世にも絶えて信ずる人無からむにても、ただ神の御ふみの趣のままにこそは、説くべきわざなりけれ。
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