童子問 / 卷下
問。尋常以爲。博學與多學二般。今謂相反。何諸。曰。一而之萬。謂之博學。萬而又萬。謂之多學。博學猶有根之樹。自根而幹。而枝。而葉。而花實。雖繁茂稠密不可算數。然一氣流注。無所不底。彌長彌不已。多學猶剪綵之花。雖枝葉花實頭頭相排。爛熳繽紛可觀可愛。然乾燥枯槁。不受長養。有限而無增。猶生死之相反。不可概而一之也。初學不察。以世俗駁雜之學爲博學者。誤矣。
新字:問。尋常以為。博学与多学二般。今謂相反。何諸。曰。一而之万。謂之博学。万而又万。謂之多学。博学猶有根之樹。自根而幹。而枝。而葉。而花実。雖繁茂稠密不可算数。然一気流注。無所不底。弥長弥不已。多学猶剪綵之花。雖枝葉花実頭頭相排。爛熳繽紛可観可愛。然乾燥枯槁。不受長養。有限而無增。猶生死之相反。不可概而一之也。初学不察。以世俗駁雑之学為博学者。誤矣。
書き下し
問ふ、尋常以為へらく、博学と多学とは二般なりと。今相反すと謂ふ。何ぞや、と。曰く、一にして万に之く、之を博学と謂ふ。万にして又万、之を多学と謂ふ。博学は猶根有るの樹のごとし。根よりして幹、而して枝、而して葉、而して花実、繁茂稠密にして算数すべからずと雖も、然も一気流注して、底らざる所無く、弥々長じて弥々已まず。多学は猶剪綵の花のごとし。枝葉花実頭頭相排し、爛熳繽紛として観るべく愛すべしと雖も、然も乾燥枯槁して、長養を受けず、限り有りて増すこと無し。猶生死の相反するがごとし。概して之を一にすべからざるなり。初学察せず、世俗駁雑の学を以て博学と為す者は誤れり。
現代語訳
問う。ふつうは、博学と多学とは二つの別の種類だと思われている。いま先生は正反対だと言う。どういうことか。答える。一つのものから万へと広がっていくのを博学という。万のうえにまた万を重ねるのを多学という。博学は根のある樹木のようなものである。根から幹、幹から枝、枝から葉、葉から花や実へと広がり、繁り合って数えきれないほどであっても、一つの気が流れ通って行き届かない所はなく、いよいよ伸びていよいよやまない。多学は色絹を切って作った造花のようなものである。枝や葉や花や実が一つ一つ並んで、華やかに入り乱れて見事で愛らしくても、乾ききって枯れており、養われて育つことがなく、限りがあって増えることがない。生と死が正反対であるようなものである。ひっくるめて同じものとすることはできない。初学者がこのことを察せず、世間の雑多な学問を博学とみなすのは誤りである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『玉勝間』四の巻 前後と説のかはる事同じ人の説の、こことかしこと行きちがいて、ひとしからざるは、いづれによるべきぞと、まどわしくて、大かたその人の説、すべて浮きたる心地のせらるる、そは一わたりはさる事なれども、なおさしも有らず。初めより終りまで、説のかわれる事無きは、なかなかにおかしからぬかたも有るぞかし。初めに定めおきつる事の、ほどへて後に、またことなるよき考えの出で来るは、常にある事なれば、初めとかわれる事あるこそよけれ。年をへて、学問進みゆけば、説は必ずかわらでかなわず。またおのがはじめの誤りを、後に知りながらは、つつみかくさで、きよく改めたるも、いと善き事なり。殊にわが古学の道は、近きほどより開けそめつる事なれば、すみやかに尽くは考えつくすべきに有らず。人を経、年を経てこそ、つぎつぎに明らかには成りゆくべきわざなれば、一人のときごとの中にも、さきなると後なると異なる事は、もとより有らではえ有らぬわざなり。そは一人の生のかぎりの程にも、つぎつぎ明らかに成りゆくなり。さればそのさきのと後のとの中には、後の方をぞ、その人の定まれる説とはすべかりける。
-
『慎思録』巻之四君子の世に在るや、其の道を知りて之を行ふことを楽しむ。是れ長生を貴ぶ所以なり。徒らに生を貪り死を畏るるに非ざるなり。蓋し世に住まること一日なれば、則ち一日長進す。日に未だ知らざる所を知り、月に未だ能くせざる所を能くす。故に其の長生は益有りと為す。小人の長生せんと欲して欲を放にするが如きに非ざるなり。
-
『初学訓』巻之三一謙と矜との二を知るべし。謙は、へりくだるなり、卑下するをいふ。我に才智善行ありても誇らざるなり。へりくだりて、わが身に自満せずほこらざるは、これ天道神明のたすけ給ふところ、人のよみする所なり。学問する人は、まづ謙を以て基とすべし。基とは家を作る土台なり。土台を築かざれば、家を作りがたし。謙ならざれば、善にすすむ下地なくして、学問の道立ちがたし。学問しても益なし。家を作らんとして、基なきが如し。是を以て、謙を学問の基とす。わが身をへりくだり、わが身をよしとせず。人の善言を聴き、人の善を取用ひ、おのれを立てずして、人の善にうつれば、善に進むこときはまりなし。天下の善徳なり。矜は、ほこると訓む。自満する事なり、謙のうらなり。
-
『童子問』卷中問ふ。孝にも亦大小有るか。曰く、父母をして憂へ無からしむる者は易く、父母をして之を悦ばしむる者は難し。何となれば、凡そ人の子為る者、平生身を褪めて業を勤め、亡頼の友無く、博奕せず飲酒を好まず、勇を好み闘狠して以て其の父母を危ふくせざれば、則ち以て父母の憂へを免るるに足る。然り而して未だ父母の心を悦ばしむるに足らず。苟も学を好み善に志し、身を立て家を起こし、以て其の祖業を張り、其の門楣を耀かすに足らば、而る後に父母の心、怡然驩然として、其の悦びに勝へざる者有り。孝の至りなり。父母をして憂へ無からしむること能はざる者は、以て人と為すべからず。父母をして之を悦ばしむること能はざる者は、以て子と為すべからず。勉めんかな。
-
言志四録・言志耋録 第二十八条 気質を変化す学を為すの効は、気質を変化するに在り。其の効は立志に外ならず。
-
『翁問答』下卷之末体充曰、子曰く、与に共に学ぶべし、未だ与に道に適くべからず、与に道に適くべし、未だ与に立つべからず、与に立つべし、未だ与に権るべからず、此聖謨を以て見れば、権は初学の取さたすべきことにあらずと存候はいかゞ。師の曰、此聖謨は学者の面々のいたる所の位をよしと画して上達の志あつからざるをいましめ引たてたまふ主意なり、初学の者権を取さたすべからずとのたまふにはあらず、可与共の学は、即ち此権の道をまなぶ学なり、可与適の道も、即ち此権の道なり、可与立の道も即ち此権の道なり権の外に道なし、道の外に権なし、権の外に学なく学の外に権なし、但その受用に生熟、大小、精粗の差別あるのみ、しかる故に此聖謨の主意は、工夫成就の次第をあかして至極無上の神道を指出して、学者の準的を示たまふものなり、孟子性善を道ひ、言へば必ず堯舜を称す、公明儀曰く、文王は我が師なり、周公豈我を欺かんや、かくの如きの賢範をよく体験して明に弁知べし、若この準的をしらざるときは心学の徒なりとも、欣真落法の地に執滞して、非礼の礼多あるべし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る