初学訓 / 巻之三
一謙と矜との二を知るべし。謙は、へりくだるなり、卑下するをいふ。我に才智善行ありても誇らざるなり。へりくだりて、わが身に自滿せずほこらざるは、これ天道神明のたすけ給ふところ、人のよみする所なり。學問する人は、まづ謙を以て基とすべし。基とは家を作る土臺なり。土臺を築かざれば、家を作りがたし。謙ならざれば、善にすゝむ下地なくして、學問の道立ちがたし。學問しても益なし。家を作らんとして、基なきが如し。是を以て、謙を學問の基とす。わが身をへりくだり、わが身をよしとせず。人の善言を聽き、人の善を取用ひ、おのれを立てずして、人の善にうつれば、善に進むこときはまりなし。天下の善德なり。矜は、ほこると訓む。自滿する事なり、謙のうらなり。
新字:一謙と矜との二を知るべし。謙は、へりくだるなり、卑下するをいふ。我に才智善行ありても誇らざるなり。へりくだりて、わが身に自満せずほこらざるは、これ天道神明のたすけ給ふところ、人のよみする所なり。学問する人は、まづ謙を以て基とすべし。基とは家を作る土台なり。土台を築かざれば、家を作りがたし。謙ならざれば、善にすゝむ下地なくして、学問の道立ちがたし。学問しても益なし。家を作らんとして、基なきが如し。是を以て、謙を学問の基とす。わが身をへりくだり、わが身をよしとせず。人の善言を聴き、人の善を取用ひ、おのれを立てずして、人の善にうつれば、善に進むこときはまりなし。天下の善徳なり。矜は、ほこると訓む。自満する事なり、謙のうらなり。
書き下し
一謙と矜との二を知るべし。謙は、へりくだるなり、卑下するをいふ。我に才智善行ありても誇らざるなり。へりくだりて、わが身に自満せずほこらざるは、これ天道神明のたすけ給ふところ、人のよみする所なり。学問する人は、まづ謙を以て基とすべし。基とは家を作る土台なり。土台を築かざれば、家を作りがたし。謙ならざれば、善にすすむ下地なくして、学問の道立ちがたし。学問しても益なし。家を作らんとして、基なきが如し。是を以て、謙を学問の基とす。わが身をへりくだり、わが身をよしとせず。人の善言を聴き、人の善を取用ひ、おのれを立てずして、人の善にうつれば、善に進むこときはまりなし。天下の善徳なり。矜は、ほこると訓む。自満する事なり、謙のうらなり。
現代語訳
謙と矜の二つを知るべきです。謙とはへりくだることで、自分を低くすることをいいます。自分に才知や善い行いがあっても誇らないことです。へりくだって、自分に満足せず誇らないのは、天道や神明が助けてくださるところであり、人がほめるところです。学問する人は、まず謙を基とすべきです。基とは家を作る土台です。土台を築かなければ、家は作れません。謙でなければ、善に進む下地がなくて、学問の道は立ちがたい。学問しても益がありません。家を作ろうとして土台がないようなものです。このため謙を学問の基とします。わが身をへりくだり、自分をよしとしない。人の善い言葉を聞き、人の善を取り入れ、自分を立てずに人の善に移れば、善に進むことに限りがありません。天下の善い徳です。矜は「ほこる」と読みます。自分に満足することで、謙の裏です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 前後と説のかはる事同じ人の説の、こことかしこと行きちがいて、ひとしからざるは、いづれによるべきぞと、まどわしくて、大かたその人の説、すべて浮きたる心地のせらるる、そは一わたりはさる事なれども、なおさしも有らず。初めより終りまで、説のかわれる事無きは、なかなかにおかしからぬかたも有るぞかし。初めに定めおきつる事の、ほどへて後に、またことなるよき考えの出で来るは、常にある事なれば、初めとかわれる事あるこそよけれ。年をへて、学問進みゆけば、説は必ずかわらでかなわず。またおのがはじめの誤りを、後に知りながらは、つつみかくさで、きよく改めたるも、いと善き事なり。殊にわが古学の道は、近きほどより開けそめつる事なれば、すみやかに尽くは考えつくすべきに有らず。人を経、年を経てこそ、つぎつぎに明らかには成りゆくべきわざなれば、一人のときごとの中にも、さきなると後なると異なる事は、もとより有らではえ有らぬわざなり。そは一人の生のかぎりの程にも、つぎつぎ明らかに成りゆくなり。さればそのさきのと後のとの中には、後の方をぞ、その人の定まれる説とはすべかりける。
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『慎思録』巻之四君子の世に在るや、其の道を知りて之を行ふことを楽しむ。是れ長生を貴ぶ所以なり。徒らに生を貪り死を畏るるに非ざるなり。蓋し世に住まること一日なれば、則ち一日長進す。日に未だ知らざる所を知り、月に未だ能くせざる所を能くす。故に其の長生は益有りと為す。小人の長生せんと欲して欲を放にするが如きに非ざるなり。
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『童子問』卷中問ふ。孝にも亦大小有るか。曰く、父母をして憂へ無からしむる者は易く、父母をして之を悦ばしむる者は難し。何となれば、凡そ人の子為る者、平生身を褪めて業を勤め、亡頼の友無く、博奕せず飲酒を好まず、勇を好み闘狠して以て其の父母を危ふくせざれば、則ち以て父母の憂へを免るるに足る。然り而して未だ父母の心を悦ばしむるに足らず。苟も学を好み善に志し、身を立て家を起こし、以て其の祖業を張り、其の門楣を耀かすに足らば、而る後に父母の心、怡然驩然として、其の悦びに勝へざる者有り。孝の至りなり。父母をして憂へ無からしむること能はざる者は、以て人と為すべからず。父母をして之を悦ばしむること能はざる者は、以て子と為すべからず。勉めんかな。
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『翁問答』下卷之末体充曰、子曰く、与に共に学ぶべし、未だ与に道に適くべからず、与に道に適くべし、未だ与に立つべからず、与に立つべし、未だ与に権るべからず、此聖謨を以て見れば、権は初学の取さたすべきことにあらずと存候はいかゞ。師の曰、此聖謨は学者の面々のいたる所の位をよしと画して上達の志あつからざるをいましめ引たてたまふ主意なり、初学の者権を取さたすべからずとのたまふにはあらず、可与共の学は、即ち此権の道をまなぶ学なり、可与適の道も、即ち此権の道なり、可与立の道も即ち此権の道なり権の外に道なし、道の外に権なし、権の外に学なく学の外に権なし、但その受用に生熟、大小、精粗の差別あるのみ、しかる故に此聖謨の主意は、工夫成就の次第をあかして至極無上の神道を指出して、学者の準的を示たまふものなり、孟子性善を道ひ、言へば必ず堯舜を称す、公明儀曰く、文王は我が師なり、周公豈我を欺かんや、かくの如きの賢範をよく体験して明に弁知べし、若この準的をしらざるときは心学の徒なりとも、欣真落法の地に執滞して、非礼の礼多あるべし。
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言志四録・言志耋録 第二十八条 気質を変化す学を為すの効は、気質を変化するに在り。其の効は立志に外ならず。
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『童子問』卷下問ふ、尋常以為へらく、博学と多学とは二般なりと。今相反すと謂ふ。何ぞや、と。曰く、一にして万に之く、之を博学と謂ふ。万にして又万、之を多学と謂ふ。博学は猶根有るの樹のごとし。根よりして幹、而して枝、而して葉、而して花実、繁茂稠密にして算数すべからずと雖も、然も一気流注して、底らざる所無く、弥々長じて弥々已まず。多学は猶剪綵の花のごとし。枝葉花実頭頭相排し、爛熳繽紛として観るべく愛すべしと雖も、然も乾燥枯槁して、長養を受けず、限り有りて増すこと無し。猶生死の相反するがごとし。概して之を一にすべからざるなり。初学察せず、世俗駁雑の学を以て博学と為す者は誤れり。
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