玉勝間 / 四の巻 者と云ふ事
もろもろの文書に、云云者云云と云へる事多し。此者ノ字を、中ごろより、下の語のかしらに附けて、てへれば云云と讀みならへるは、ひがことなり。こは上の語につきて、云云てへりと讀む事なり。てへりは、と云へりと云ふことなり。
新字:もろもろの文書に、云云者云云と云へる事多し。此者ノ字を、中ごろより、下の語のかしらに附けて、てへれば云云と読みならへるは、ひがことなり。こは上の語につきて、云云てへりと読む事なり。てへりは、と云へりと云ふことなり。
書き下し
もろもろの文書に、云々者云々と云える事多し。この者の字を、中ごろより、下の語のかしらに付けて、てえれば云々と読みならえるは、ひがことなり。こは上の語につきて、云々てえりと読む事なり。てえりは、と云えりと云うことなり。
現代語訳
さまざまな古文書に「云々者云々」と書いてあることが多い。この「者」の字を、中世ごろから下の語の頭に付けて「てえれば(…と言うので)云々」と読み慣わしているのは誤りである。これは上の語について「云々てえり」と読むべきものである。「てえり」とは「と云えり(と言った)」ということである。
解説
古文書の訓読の癖を正した考証である。宣旨や日記などの漢文体の文書では、引用や伝達の文の終わりに「者」の字を置くことが多い。これを後の世では下の文の頭に付けて「てえれば」、つまり「と言うので」と読み、次の文へつなげる読み方が広まった。宣長は、それは誤りで、「者」は上の語について「てえり」、すなわち「と言えり」と読み、引用をそこで閉じる字だと言う。一字をどちらに付けて読むかで、文の切れ目も意味の係り方も変わる。古記録を多く読み、古事記を一字一字訓み解いた宣長らしい、細部への注意である。漢文をどう訓むかは、そのまま文意をどう取るかの問題なのである。
関連する章句
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『玉勝間』七の巻 物書くに心すべき事古は、かたえの人も、皆心明らかなりしかば、いかに書きても、読みたがうる事無かりしかばこそ有れ、今の世は、みずからこそ心得たらめ、かたえの人は、心得たらねば、ともすれば、読みたがえ、写しひがむるたぐいのみ多かれば、いかにももの書くには、心すべきわざぞと、おのれは思いとりてぞ在る。さればおのが癖にて、つねに物書くに、読みたがえやせん、写しひがめやせんとのみ、心するほどに、もとよりいといと拙き手をいとどしじかみて、かたわには有るなり。また古言などは、殊に人の読みたがえ、誤る事多きを、いかであやまらず、正しく読ましめんとする程に、さらでも有るべき所にも、度ごとに仮字づけしなどして、心高き人には、わらわるるを、みずからも且つは知りながら、しみつきたる癖は、世に離れがたきわざになん。
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『玉勝間』二の巻 あざ名と云ふ物の事あざ名と云うもの、かの文琳、菅三、平仲などのたぐいのみにもあらず、古より正しき名の外に呼ぶ名を、字と云える事多し。中むかしには、今のいわゆる俗名をも、字と云える事あり。その外にも田地の字、何の字くれの字など云うも、皆正しく定まれる名としも無くて、呼びならえるを云えり。いずれも漢国人の字とはことことなり。そが中に、今の俗名を云えるは、漢人の字と、こころばえ似たり。
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『玉勝間』一の巻 中御門宣胤卿の記されば今もろもろの記録などの語をぬき出でて書くに、本にある云々は皆、となりと云えりなど云うべきところなる故に、かたわらにその仮字をつけて分かち、今私に語を略きて書ける所に書けるは、仮字を附けず、その心もて見るべし。
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『玉勝間』一の巻 からぶみ読みのことば漢籍を読むに、世のつねにことなる語の多きは、いと古くより読み来つるままの古語なるが、後に音便にくづれたるなり。曰をノタウマクと訓むは、ノタマハクの音便なり。またノタバクにても有るべし。古言に、フをタブとも云う故に、万葉の歌に、ノタマハクを、ノタバクとも詠めればなり。故をカルガユヱニと訓むは、カルガユエニなるを、カを一つはぶけるなり。是れは音便と云うには有らず。然而をシカウシテと訓むは、シカシテに、ウを添えたるにて、八日をヤウカ、女房をニヨウバウという類なり。是以をコレヲモテと訓まずして、ココヲモテと訓むは、古言のままなり。古言には、コレと云うべきを、ココと云える事つねに多し。さて以をモツテとひきつめて訓むは、例のいやしき音便なり。慮をオモンハカル、以をオモンミルと訓むは、オモヒハカル、オモヒミルなり。垂をナンナントスと訓むは、ナリナムトスなり。然るをナンナンタリとも訓むはひがことなり。欲をホツスと訓むは、ホリスなり。件をクダンノとよむは、クダリノなり。親をシタシンズ、重をオモンズ、賤をイヤシンズと訓むたぐいは、シタシミス、オモミス、イヤシミスにて、皆古言の格なり。
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『玉勝間』十一の巻 万葉集をよむこころばへ然れども誤字なるを知らずして、本のままに訓めるなどには、強いたる事多く、そのほかすべての訓みざまも、なおよからざること多きを、その後またこの集の事、いよいよ委しくなりもてきぬるまにまに、訓もいと善くなれれども、なおいまだ〓く直りはてたりとは云いがたし。まず誤字のことごとく知られざる程は、訓もことごとくよろしくは直り難きわざなり。誤字のなおいと多かるを、その字のままに訓まむとせむには、かえりてしい言になるたぐい多かるべきをよく心得べし。またすべての訓みざま、仮字書きの所をよく考えて、その例をもてよむべきなり。おおかたこれら、この集をよむに、むねと心得べき事どもなりかし。
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『玉勝間』十二の巻 拙者同じ記に、みずから拙者と云える事も見えたり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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