玉勝間 / 四の巻 故郷
旅にして、國をふる里と云ふは、他國に移りて住る者などの、もと住し里を云へるにこそあれ、唯だ行きかへる世の常の旅にて云ふは、あたらぬ事なり。されば萬葉集古今集などの歌には、然か詠めるは未だ見あたらず。萬葉などには、ゆきかへる旅にては、國をば、國又は家などこそ詠みたれ。然るを後の世には、おしなべて故郷と云ひならひて、つねの事なれば、なべては今さらとがむべきにも有らざれども、萬葉ぶりの歌には、猶心すべき事なるに、今の人心つかで、なべてふる里と詠むなるは、いかがとこそ覺ゆれ。
新字:旅にして、国をふる里と云ふは、他国に移りて住る者などの、もと住し里を云へるにこそあれ、唯だ行きかへる世の常の旅にて云ふは、あたらぬ事なり。されば万葉集古今集などの歌には、然か詠めるは未だ見あたらず。万葉などには、ゆきかへる旅にては、国をば、国又は家などこそ詠みたれ。然るを後の世には、おしなべて故郷と云ひならひて、つねの事なれば、なべては今さらとがむべきにも有らざれども、万葉ぶりの歌には、猶心すべき事なるに、今の人心つかで、なべてふる里と詠むなるは、いかがとこそ覚ゆれ。
書き下し
旅にして、国をふる里と云うは、他国に移りて住める者などの、もと住みし里を云えるにこそあれ、ただ行きかえる世の常の旅にて云うは、あたらぬ事なり。されば万葉集・古今集などの歌には、然か詠めるはいまだ見あたらず。万葉などには、ゆきかえる旅にては、国をば、国または家などこそ詠みたれ。然るを後の世には、おしなべて故郷と云いならいて、つねの事なれば、なべては今さらとがむべきにも有らざれども、万葉ぶりの歌には、なお心すべき事なるに、今の人心つかで、なべてふる里と詠むなるは、いかがとこそ覚ゆれ。
現代語訳
旅先で自分の国を「ふるさと」と言うのは、他国に移り住んだ者などが、もと住んでいた里を言う場合のことであって、ただ行って帰ってくる世の常の旅で言うのは当たらないことである。だから万葉集や古今集などの歌には、そのように詠んだものはまだ見当たらない。万葉集などでは、行って帰る旅においては、自分の国のことを「国」あるいは「家」などと詠んでいる。ところが後の世には、おしなべて「故郷」と言い慣わし、それが普通のことになっているので、一般には今さら咎めるべきことでもないが、万葉ぶりの歌では、やはり気をつけるべきことなのに、今の人は気づかずに、みな「ふる里」と詠むのは、いかがなものかと思われる。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 歌人また家集と云ふ事歌詠む人を歌人と云う事、拾遺集十七の巻に、三条の太政大臣の家にて、歌人召し集めて、あまたの題詠ませ侍りけるにとあり。また家の集と云うこと、古今集の真字序に見え、拾遺集同じ巻に、天暦の御時、伊勢が家の集召したりければ云々、また二十の巻に、家集に書きて侍ると見え、源の順の集に、平の兼盛が家の集など有り。類聚国史に、菅原の是善の卿の事に、家集十巻とあり、これは詩文の集なり。
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『玉勝間』十一の巻 ことば、ことのは言を、ことばまたことのはと云う事は、古今集の序に見えたれど、万葉には、こととのみ云いて、ことばと云えるは、廿の巻なる東人の歌にただ一つ、伊比之古度婆曽わすれかねつると有るのみなり。但しこれは、婆の字は波を誤れるにて、波もてにをはならむも知りがたし。この集には、波曽と重ね云える例も、これかれ有ればなり。
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『玉勝間』十四の巻 名所歌枕の国郡を論ずるに、古き歌に詠めるをよく考えて、その国郡を定むべし。後世の歌は、ただ歌の趣意により来たれる所を詠む故に、その国所をば知らずそらに詠める故に、後世の歌はさらに拠とするに足らず。題詠のみならず、後世の歌は、その所にいたりて詠めるも取りがたき事あり。いかにと云うに、古き歌枕を、中昔の書に某国にありと注せるには、いみじく誤れる事のみ多きを、後の人、その誤れる注によりて、その国にその名所をつくりかまえて、或いは万葉に詠める某山はこれなりなど云うたぐい多きを、それも年を経ればその名のひろまりて、もとよりその所の如くなれるを、他国の歌人そこに到りて、その名を聞きて詠めるたぐい多ければなり。
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『玉勝間』八の巻 言の然云ふ本の意を知らまほしくする事たとい其もとの意は、よく明らめたらむにても、いかなる所に使いたりと云う事を知らでは、何のかいも無く、おのが歌文に用うるにも、ひがことの有るなり。今の世古学をするともがらなど殊に、すこし遠き言と云えば、まず然云う本の意を知らむとのみして、用いたる意をば、考えむともせざる故に、おのが使うに、いみじきひがことのみ多きぞかし。すべて言は、然云う本の意と、用いたる意とは、多くは等しからぬ物なり、たとえばなかなかにと云う言はもと、こなたへもかなたへも附かず、中間なる意の言なれども、用いたる意はただ、なまじいにと云う意、又移りては、かえりてと云う意にも用いたり。然るを言の本によりて、打まかせて、中間なる意に用いては、たがうなり。又心ぐるしと云う言は、今の俗言に、気毒なると云う意に用いたるを、言のままに、心の苦き事に用いては、たがえり。されば是等にて、万の言をも、なずらえ心得て、まず古えに用いたるようを、さきとして、明らめ知るべし、言の本にのみよりては、中々に古えにたがう事多かるべしかし。
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『玉勝間』十四の巻 又たとへ歌のやうたとえ歌、古今集よりこなたのはその歌を見れば、譬えたる意あらわに知らるるように詠みたる物なり。然るに、万葉集なるは、その事にあたりて、その詠みたる人は、譬えたる心を知るべけれど、後にその歌を見たるのみにては、たとえたる意はこまかには知れ難きが多し。されば今その歌をとくに、大かたにはおしはからるれども、確かには云いがたき歌おおし。その心してとくべきなり。又万葉のたとえ歌は、その譬えたる草木鳥虫のうえの詞と、ただに恋のうえを云える詞とを、あいまじえて詠める多し。これ又心得おくべし。
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『玉勝間』八の巻 万葉集に乎知と云ふ言万葉集五の巻に、わがさかりいたくくだちぬ雲にとぶ薬はむともまた遠知めやも、雲にとぶくすりはむよは京見ばいやしき我身また越知ぬべし、此二つの遠知と云う言、落にしては、仮字もたがい、歌の意も聞えず。昔より解えたる人無きを、おのれ考え得たり。まず此二うたは、久しく筑紫に在りて、京を恋しく思いて詠めるにて、始めの歌の意は、わがよわい盛り過て、いたく衰えたり、今はかのもろこしに有りし、淮南王の仙薬を服とも、又若き昔にかえる事は得あらじとなり。次なるは、淮南王の薬をはまんよりは、我は、京を見たらば、又昔にかえりて、若くなるべしとなり。遠知は、何事にても、又もとへかえる意にて、此歌どもなるは、身の又若かりし昔にかえるを云えるなり。十七の巻、家持主の鷹の長歌に、手ばなれも乎知もかやすき云云、こは鷹を褒めたるにて、この乎知は、本の手へ返りくる事を云えるなり。二十の巻に、わが屋戸に咲るなでしこまいはせむゆめ花ちるないや乎知にさけ、是れも又初めへ返り返りして、いよいよ久しく咲けと云えるなり。
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