玉勝間 / 三の巻 夢を壁と詠める歌
夢をかべと詠める歌、これらの外にも、なほ有しやうにおぼゆるを、え思ひ出でず。思ひ出たらむ時に、又も書き出でてむかし。おかしきふし多かる書だに、卷の長きは、春の日のくれがたきここちのすめれば、ましてと、これは秋の日にて、殘れる事どもは、次次の卷にぞ。
新字:夢をかべと詠める歌、これらの外にも、なほ有しやうにおぼゆるを、え思ひ出でず。思ひ出たらむ時に、又も書き出でてむかし。おかしきふし多かる書だに、巻の長きは、春の日のくれがたきここちのすめれば、ましてと、これは秋の日にて、残れる事どもは、次次の巻にぞ。
書き下し
夢をかべと詠める歌、これらの外にも、なお有りしようにおぼゆるを、え思い出でず。思い出でたらむ時に、又も書き出でてむかし。おかしきふし多かる書だに、巻の長きは、春の日のくれがたきここちのすめれば、ましてと、これは秋の日にて、残れる事どもは、次次の巻にぞ。
現代語訳
夢を「かべ」と詠んだ歌は、これらのほかにもまだあったように思われるが、思い出せない。思い出した時に、また書き出そう。面白いところの多い書物でさえ、巻が長いと、春の日がなかなか暮れないような気持ちがするようなので、ましてこの書はなおさらだと思い、この巻は秋の日のように短く切り上げて、残っている事どもは次々の巻に回そう。
解説
三の巻を締めくくる宣長の結びの言葉である。夢を「かべ」と詠んだ歌はほかにもあった気がするが思い出せない、思い出したらまた書こう、と正直に記す。そして、面白い本でさえ巻が長いと春の日がなかなか暮れないように退屈なものだから、ましてこの随筆ならなおさらだ、と自分の書を謙遜し、この巻は日の短い秋の日のように早めに切り上げて、残りは次の巻に回す、と結ぶ。玉勝間は体系的な著作ではなく、思いついたこと、調べたこと、聞いたことを書き継いでいった覚え書きの集まりであり、そのことを宣長自身がよく分かっていた。読者の飽きまで気遣う書き手の目配りと、軽やかな遊び心が、厳しい考証の多いこの巻に柔らかな余韻を残している。
関連する章句
-
『玉勝間』三の巻 夢を壁と詠める歌後撰集恋一に、源のおおきが通い侍りけるを、後後はまからずなり侍りければ、となりの壁の穴より、おおきをはつかに見て、つかわしける、駿河、「まどろまぬ壁にも人を見つるかなまさしからなむ春の夜の夢。金葉集雑上に、男の無かりける夜、こと人を、つぼねに入れたりけるに、もとの男もうで来あいたりければ、騒ぎて、かたわらのつぼねの、壁のくずれよりくぐりて、逃しやりて、又の日、その逃したるつぼねのぬしのがり、よべの壁こそ、嬉しかりしかなど、云いにつかわしたりければ、詠める。詠み人しらず、「ねぬる夜のかべさわがしく見えしかどわがちがうれば事無かりけり。此歌は、にがしたる局の主の詠めるなり。ちがうればとは、悪しき夢を見たるを、たがえて善きに成すわざを云う詞なり。源頼政の卿の家集に、岡崎の三位入道の許に、かべに滝のかた書きて、その滝の下より、まことの水を、おとしつぎたり、遠くて見れば、唯だ同じ水の落ちたるように見えしを、見てまかり帰りて、つかわしける。「うつつにもかべにも同じ滝を見てねても覚めても忘られぬかな。返し、「夢の世にかべより落つる滝の糸を君が心にかけけりやさは。
-
『玉勝間』十の巻 巻頭(山菅十)はてもなし云うべき事は云えど云えどなおやますげの乱れあいつつ。この野べのすさびよ、いとかくはかなき手習いを、ものものしく、巻ごとに名つけて、歌をさえに添えたるは、我ながらだに、あやしく覚ゆるを、おのずからも見む人は、まして如何にことごとしと思うらん。さるは初めの巻のはしに、ゆくりかに歌一つ物して、巻の名つけつるままに、つぎつぎも一つ二つ然かせしが、おのずから習いになりて、必ずさらでは得あらぬわざの如なりもてきぬるを、今さらにたがえむも、さすがにて、例のごと物するになむ。そもそのおりおり、思いうるままに、詠み出でもし、あるいは他事に詠みたるが有るをも、取り出でなどするを、につかわしく覚ゆるも、無きおりなど、今書かむとすとては、筆とりながら、思いめぐらすに、例の口おそさは、とみにも出でこで、しりくわえ勝ちなるも、あじきなく物くるおしきわざになん。この山菅も、かろうじてほり出でたる、さる歌のきたなげさよ。
-
『玉勝間』七の巻 物書くに心すべき事古は、かたえの人も、皆心明らかなりしかば、いかに書きても、読みたがうる事無かりしかばこそ有れ、今の世は、みずからこそ心得たらめ、かたえの人は、心得たらねば、ともすれば、読みたがえ、写しひがむるたぐいのみ多かれば、いかにももの書くには、心すべきわざぞと、おのれは思いとりてぞ在る。さればおのが癖にて、つねに物書くに、読みたがえやせん、写しひがめやせんとのみ、心するほどに、もとよりいといと拙き手をいとどしじかみて、かたわには有るなり。また古言などは、殊に人の読みたがえ、誤る事多きを、いかであやまらず、正しく読ましめんとする程に、さらでも有るべき所にも、度ごとに仮字づけしなどして、心高き人には、わらわるるを、みずからも且つは知りながら、しみつきたる癖は、世に離れがたきわざになん。
-
『玉勝間』四の巻 前後と説のかはる事ただしまたみづからこそ、初めのをば悪ろしと思いて、改めつれ、またのちに人の見るには、なお初めのかたよろしくて、後のはなかなかに悪ろきも無きにあらざれば、とにかくにえらびは、見む人の心になむ。
-
『玉勝間』八の巻 歌もふみもよくととのふはかたき事近き代の人の歌ども文どもを、見あつむるに、一ふしおかしと目とまる事は、ほどほどにあまたあめれど、それはた如何にぞや覚ゆる所は交りて、大かた瑕無くととのいたるは、おさおさ見えず。これは思えば、後の世にして、古えをまねぶ事は、いといと難きわざになむ有ける。古えのかしこき人々のだに、是れはしも、露の瑕なしと覚ゆるは、多かる中にも、少くなん有れば、まして今の人のは、いささかなる瑕をさえに、云いたてむは、あながちなるにや有らむ、されど同じくは、人のいささかも難ずべき節まぜぬさまにこそはあらまほしけれ。よき程にて、心をやるをば、もろこしの古えの人も、善からぬ事に云い置きけるをや。
-
『玉勝間』三の巻 巻頭(たちばな三)立ちよればむかしの誰と我ながらわが袖あやしたちばなのかげ。これは題よみのすずろ言なるを、とり出でたるは、ことさらめきて、いかにぞやもおぼゆれど、例の巻の名つけむとてなむ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る