玉勝間 / 三の巻 陵王の舞ノ手の名
體源抄と云ふ、樂の事をこまかにしるしたる書に、羅陵王云云、亂序一帖、此內有各別名曰搔返手、飜手(ヒルガヘステ)、靑蛉返手、甬走手、又膝卷、小膝卷云云、と見えたり。陵王の舞の手の名どもなり。此中に、甬走とある手に、假字附ヶ無きは、甬は踊にて、をどりはしる手か、たづぬべし。
新字:体源抄と云ふ、楽の事をこまかにしるしたる書に、羅陵王云云、乱序一帖、此内有各別名曰搔返手、翻手(ヒルガヘステ)、青蛉返手、甬走手、又膝巻、小膝巻云云、と見えたり。陵王の舞の手の名どもなり。此中に、甬走とある手に、仮字附ヶ無きは、甬は踊にて、をどりはしる手か、たづぬべし。
書き下し
体源抄と云う、楽の事をこまかにしるしたる書に、羅陵王云云、乱序一帖、此の内に各別の名有り、日掻返手、飜手(ヒルガエステ)、青蛉返手、甬走手、又膝巻、小膝巻云云、と見えたり。陵王の舞の手の名どもなり。此中に、甬走とある手に、仮字附け無きは、甬は踊にて、おどりはしる手か、たずぬべし。
現代語訳
『体源抄』という、音楽のことを細かに記した書物に「羅陵王云々。乱序一帖。この中にそれぞれ別の名がある。掻返手(かきかえすて)、飜手(ひるがえすて)、青蛉返手(とんぼがえりて)、甬走手、また膝巻、小膝巻云々」と見える。陵王の舞の手(型)の名である。この中で「甬走」とある手に仮名の読みが付いていないのは、「甬」は「踊」で、「おどり走る手」であろうか。調べてみるべきである。
解説
舞楽の名曲「陵王(蘭陵王)」の舞の型の名を、室町時代の楽書『体源抄』から拾った段である。陵王は、美貌を隠すために恐ろしい仮面をつけて戦ったという中国北斉の蘭陵王の故事にもとづく勇壮な一人舞で、今も雅楽の代表的な演目として舞われている。その中の「乱序」の部分に、掻き返す手、翻す手、とんぼ返りの手、膝を巻く手など、動きを表す名の付いた型があった。宣長は、読み仮名の無い「甬走手」について、「甬」は「踊」の略で「おどり走る手」ではないかと推し、「たずぬべし」と後の調べに委ねている。分からないところは分からないと記し、仮説と課題を残しておく。音楽や舞の専門書にまで目を通し、古い芸能の言葉にも関心を向ける宣長の視野の広さがうかがえる。
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 参入音声退出音声豊原統秋が体源抄に、参音声の楽、春は春庭楽、夏は応天楽、秋は万歳楽、冬は万秋楽、賀王恩は太上天皇の御賀にこれを用う、最涼州は内宴にこれを用う、渋河鳥も同上。臣下の御賀には、万秋楽鳥向楽再、太平楽慶雲楽、高麗は顔序、退出音声は、長慶子(通用、)還城楽は、行幸還御にこれを用う、夜半楽(承和の御時御遊にこれを用う、)宗明楽(御願供養の上高座にこれを用う、)海青楽(南池院の船楽にこれを奏す、)越天楽急、高麗は新蘇利古(放生会の御輿還御にこれを用う、)常武楽(同前、)
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『玉勝間』十一の巻 楽の道の書どもの名妙音院の相国の三五要略、北の院の御室御撰の糸管鈔、孝道の残夜抄、孝時の三五中録、宜陽殿の竹譜(大田丸撰)、貞保の親王の南竹譜、博雅の卿の長竹譜、大神の惟季の懐中譜、狛の光真〓老尼語、狛の近真教訓抄、狛の朝葛の続教訓抄、豊原兼秋の息毎譜、同じく作る豊兼抄、同じく十三帖譜、祖父幸秋の新鳳秘録、と同書の奥書にしるせり。
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『玉勝間』十一の巻 舞楽の伝はり来つる次第同書に云わく、左の舞伝え来たれる次第、もっとも存知すべき者なり。昔人王廿代允恭天皇の御時、高麗の舞人この朝に渡れり。然れどももてなし伝うる人なくて、空しくすたれて、第卅代推古天皇の御時、即位廿年正月、百済国の聖明王、舞の師味摩子を渡されしかば、聖徳太子あまねく天下に勅をいたして、妓楽の舞を始めとして、鼓をうたしめ、自余の舞楽どもを習わしむ。舞楽この時より始まれり。第四十五代奈良の御門(聖武)の御時この道さかりに興させられしかども、さしてその氏と定めおかれず、雅楽玄蕃等の寮に伝えて、勅要をつとめき。その後尾張の浜主とて、舞楽の大祖ありき。五十四代仁明天皇の御宇、承和三年四月に、遣唐使に付きて、唐朝に渡りて、本舞の紕繆を直し、龍笛の底をきわめて、同六年八月に帰朝の後、両道ことに盛りなり。浜主よりかみ、七八代ばかり有りけれども、日記ほのかなる故に、その名をしるしがたし。かの浜主の弟子弟子、その名を失えり。その弟子大戸の真縄、その弟子大友の信正、その弟子狛の光高にて侍る。先祖衆行も、浜主の聟たりしかば、大略舞曲をきわめしかども、この信正また当道に長ぜりし故に、またかの流れをうけたりき。
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『玉勝間』七の巻 催馬楽と云ふ名の事また春庭楽・和風楽なども、皇朝にて作れる曲にして、唐楽にはあらざるをや。さてついでに云わむ、催馬楽と云う名は、三代実録三の巻に、始めて見えたり。
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『玉勝間』十一の巻 堀川ノ天皇神楽を多ノ近方に伝へさせ給へる事神楽の曲は、すでに絶えぬべかりける事を、御門の御口より給いける。めでたかりける事なり。(私に云う、堀川院御宸筆の神楽譜、多近方に給いて、今多朝臣久時、同じく子久泰まで所持し畢んぬ。)
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