玉勝間 / 三の巻 さくじりと云ふ詞
おちくぼの物語、源氏ノ物語をとめの卷などに、サクジリと云ふ詞見えたり。細流抄に、さかしくさし過たる意なりと注せられたり。今の世にも、美濃ノ國の言に、サクジルと云ふこと有。なに事にても、おしあてに定むるやうの事を云ふ。たとへば、讀みがたき字を、おしはかりに讀むを、サクジリヨミと云ふたぐひなりと、かの國人云へりき。此伊勢のおのが里わたりの言に、童のさかしだちて、おとなめきたるなどを、コマシヤクレタリと云ふ、是れかの物語なるサクジリによく當れり。
新字:おちくぼの物語、源氏ノ物語をとめの巻などに、サクジリと云ふ詞見えたり。細流抄に、さかしくさし過たる意なりと注せられたり。今の世にも、美濃ノ国の言に、サクジルと云ふこと有。なに事にても、おしあてに定むるやうの事を云ふ。たとへば、読みがたき字を、おしはかりに読むを、サクジリヨミと云ふたぐひなりと、かの国人云へりき。此伊勢のおのが里わたりの言に、童のさかしだちて、おとなめきたるなどを、コマシヤクレタリと云ふ、是れかの物語なるサクジリによく当れり。
書き下し
おちくぼの物語、源氏の物語おとめの巻などに、サクジリと云う詞見えたり。細流抄に、さかしくさし過ぎたる意なりと注せられたり。今の世にも、美濃の国の言に、サクジルと云うこと有り。なに事にても、おしあてに定むるようの事を云う。たとえば、読みがたき字を、おしはかりに読むを、サクジリヨミと云うたぐいなりと、かの国人云えりき。此伊勢のおのが里わたりの言に、童のさかしだちて、おとなめきたるなどを、コマシャクレタリと云う、是れかの物語なるサクジリによく当たれり。
現代語訳
『落窪物語』や源氏物語の「少女」の巻などに「さくじり」という言葉が見える。『細流抄』に「賢しげに出過ぎた意味である」と注されている。今の世にも、美濃国の言葉に「さくじる」ということがある。何事でも当て推量に決めるようなことを言う。たとえば、読みにくい字を推し量って読むことを「さくじり読み」と言う類いだと、その国の人が言っていた。この伊勢の私の里あたりの言葉で、子どもが利口ぶって大人びているのなどを「こましゃくれたり」と言うのは、あの物語の「さくじり」によく当たっている。
解説
関連する章句
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『玉勝間』九の巻 口あかさぬと云ふことば今の世の言に、人に口あかさぬと云うこと有り、開口のこころばえなり。源氏の物語帚木の巻に、ざえのきわ、なまなまのはかせはずかしく、すべてくちあかすべくなむ侍らざりしと有り、古き詞なりけり。
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『玉勝間』四の巻 御と云ふ詞のつかひざまの一つ源氏物語に、仏の御かりょうびんがの声、御ひとつ腹、御まえわたり、宮の御侍従の乳母、仏の御同じ帳台、宮の御二条の北の方、など有るこれらの御ちょう詞、今の世の心にて思えば、仏のかりょうびんがの御こえ、ひとつ御はら、宮の侍従の御乳母、仏の同じ御帳台、宮の二条の御北の方、と云うべきに、置きどころかわりて聞こゆ、心得おくべし。御まえわたりも、御は、わたりへかかりて、前へはかからず。
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『玉勝間』五の巻 ほほかす ひき物を棄つることを、俗事にほかすと云うは、おちくぼの物がたりに、ほおかし給うと有り。又同じ物語に、弁の君がひきにて参りたりと有る、ひきは、今云うひいきなり。
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『玉勝間』十二の巻 さかやかすと云へる詞小右記に、大夫の名は隆家、訓読にいえさかやかすと云う、尤も興有る事なり、と有り。さかやかすと云う詞、俗きに似たり。そのかみも、かくも云えりしにこそ。絶やす燃やすなどの例に、さかやすと云うべき事とぞおぼゆる。
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『玉勝間』八の巻 まにあはぬ又間にあわぬと云う事も、是れに見えたり。近き世の言には有らず。
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『玉勝間』四の巻 侍ると云ふ詞侍ると云う詞、伊勢物語には、ただ二つならでは無し。その二つは、しょうそこ文の中に有るなり。
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