玉勝間 / 三の巻 もろこしの国をからと云ふ事
或る人、もろこしをからと云ふは、ひがことなり、からは、三韓の事にこそ有れ、と云へるは、中中に誤りなり。萬葉集十九に、三月三日、家持主の歌に、漢人も船をうかべてあそぶ云今日ぞわがせこ花かづらせよ、新古今集にも入れり。漢は、つねにはあやと詠めども、此歌にては、あや人とは訓べくもあらず。必ズからなり。又同集同卷に、遣唐使藤原ノ朝臣清河ノ卿にたまへる藤原大后の御長歌のうちに、此吾子乎韓國邊遣、と云ふ御言あり。同副使大伴ノ胡麻呂ノ宿禰を餞せる歌にも、韓國爾由伎多良波之三とあり。これら唐國を韓國と書るは、共にからと云ふ故に、通はし書るにあらずや。又昔よりからに唐ノ字を用ふるも、常の事なるをや。
新字:或る人、もろこしをからと云ふは、ひがことなり、からは、三韓の事にこそ有れ、と云へるは、中中に誤りなり。万葉集十九に、三月三日、家持主の歌に、漢人も船をうかべてあそぶ云今日ぞわがせこ花かづらせよ、新古今集にも入れり。漢は、つねにはあやと詠めども、此歌にては、あや人とは訓べくもあらず。必ズからなり。又同集同巻に、遣唐使藤原ノ朝臣清河ノ卿にたまへる藤原大后の御長歌のうちに、此吾子乎韓国辺遣、と云ふ御言あり。同副使大伴ノ胡麻呂ノ宿祢を餞せる歌にも、韓国爾由伎多良波之三とあり。これら唐国を韓国と書るは、共にからと云ふ故に、通はし書るにあらずや。又昔よりからに唐ノ字を用ふるも、常の事なるをや。
書き下し
或る人、もろこしをからと云うは、ひがことなり、からは、三韓の事にこそ有れ、と云えるは、中中に誤りなり。万葉集十九に、三月三日、家持主の歌に、漢人も船をうかべてあそぶ云う今日ぞわがせこ花かづらせよ、新古今集にも入れり。漢は、つねにはあやと詠めども、此歌にては、あや人とは訓むべくもあらず。必ずからなり。又同集同巻に、遣唐使藤原の朝臣清河の卿にたまえる藤原大后の御長歌のうちに、この吾子を韓国へ遣る、と云う御言あり。同じ副使大伴の胡麻呂の宿禰を餞せる歌にも、韓国に行き足らわして、とあり。これら唐国を韓国と書けるは、共にからと云う故に、通わし書けるにあらずや。又昔よりからに唐の字を用うるも、常の事なるをや。
現代語訳
ある人が「中国を『から』と言うのは誤りである。『から』とは三韓(朝鮮半島)のことだ」と言ったのは、かえって誤りである。万葉集巻十九に、三月三日、家持主(大伴家持)の歌に「漢人(からひと)も船を浮かべて遊ぶという今日だよ、わが友よ、花かずらをしなさい」とあり、新古今集にも入っている。「漢」は普通は「あや」と詠むが、この歌では「あや人」とは訓めそうもない。必ず「から」である。また同じ集の同じ巻に、遣唐使の藤原朝臣清河卿に与えられた藤原大后(光明皇后)の御長歌の中に「この吾が子を韓国(からくに)へ遣る」というお言葉がある。同じく副使の大伴胡麻呂宿禰を送別した歌にも「韓国に行き足らわして」とある。これら唐の国を「韓国」と書いたのは、どちらも「から」と言うので、通わせて書いたのではないか。また昔から「から」に「唐」の字を用いるのも普通のことであるのに。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 御国の言と外ッ国の言とおのづから似たるも同じきもある事古え三韓は、もはら皇朝に従いいて、常に参り通いしかば、おのづからかの国の語のうつれるも有るべく、また本ここに無かりし物の、かの国より渡りもうで来つるなどは、かの国の名を、やがて用いたるも有るべく、また古え皇国の語を、韓人のならいて、かの国の言にも成れるが、今の世まで朝鮮に残れるも有るべきを、かえりてそれをも、ひたぶるに皆、かしこより出でたらんと思うは、またひが事なり。さてまた古え母をオモと云えること有り。これをも、漢国にて阿母と云うより出でたりと、儒者などは例の云えど、然らず。本よりの古言なり。万葉の東歌には、アモとも詠めれど、それも漢国の阿母によれるには有らず。オモを、東国の言にさ云えるなり。また今の俗言に、たまたまからぶみに見えたる言と、似たるが有るをも、かれを取れりと、例の云うなり。母をカカと云うは、ある漢籍に、家家と云える事あれば、そを取れるなりと、近き世にある人は云えれど、いとあたらぬ事なり。いかにと云うに、さる物遠きから国の書に、稀れに見えたる言を、此方の俗人の、いかでか知りて取り用いる事あらん。
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『玉勝間』十一の巻 皇国の学者のあやしき癖すべて何事も、おのが国の事にこそ従うべけれ、そを捨てて、他の国の事に従うべきにはあらざるを、かえりて他の国の事に従うを、かしこきわざとして、皇国のことに従うをば、つたなきわざと心得ためるは、皇国の学者の、あやしき癖なり。はかなき事ながらたとえば、もろこしの国を、もろこしともからとも云い、漢文には、漢とも唐とも書くぞ、皇国の事なるを、然か云うをば拙しとして、中華中国など云うを、かしこき事と心得たるひがことは、馭戎慨言にくわしく論いたれば、今さらに云わず。また中華中国などは、云うまじき事と、物のこころをわきまえたる人はた、なお漢もしは唐など云うをば、つたなしとや思うらむ、震旦支那など書くたぐいもあなるは、中華中国など云うにくらぶれば、よろしけれども、震旦支那などは、西の方なる国より、附けたる名なれば、そもなおおのが国の事を捨てて人の国の事に従うにぞ有りける。もし漢と云い唐とも云わむを、おかしからずと思わば、漢文にも、諸越とも、毛虜胡鴟とも書かむに、何事かあらむ。かく己が国の事をたてたらむこそは、雄々しき文ならめ。他の国のことにへつらいよりて書かむは、めめしく拙きわざにぞ有りける。
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『玉勝間』六の巻 巻頭(からあゐ六)おのが歌に、からあいの末つむ花、と詠めりければ、或る人、すえつむ花は、くれないのとこそ詠みたれ、からあいのとはいかが、と云えるに、おのれ答えけらく。万葉集の歌に、くれないを、からあいとも詠めり。そもそもくれないと云うは、この物もと呉の国より、渡りもうできたるよしにて、呉の藍と云うを、つづめたる名なるを、そは韓国より伝えつる故に、また韓藍とも云えるなり、と云える説のごとし。但しからと云うは、西の方の国々のなべての名なれば、これは呉の国を指して云えるにて、呉藍と云うと同じ事にも有るべし。さるを万葉の十一の巻には、鶏冠草とも書けるにつきて、鴨頭草なりとも、鶏頭花なりとも云う、説どもの有りてまぎらわしきようなれども、つき草とも、鶏頭花とも云うは、皆ひが事にて、紅花なること疑い無し。さればからあい即ち紅花なる事を、さとしがてら、殊更にかくは詠めるぞ。ついでに云わむ、同七の巻に、「秋さらば移しもせんと我が蒔きしからあいの花を誰か摘みけん」。移すとは、おろして染むるを云う。この移の字を、本に影に誤れり、と云えりければ、うなずきて止みぬ。
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『玉勝間』四の巻 御国の言と外ッ国の言とおのづから似たるも同じきもある事皇国の古言と、漢字の音と、おのづから同じきも、まま有るなり。ケと気、ヤと耶、サカと尺、ウマと馬、ニと死、ハグと剥、スと洲などの如し。なお有るべし。また蝉は、セミセミと鳴けば、その声によれる、本よりの名か、字の音をとれるか、これらはわきまえがたし。このたぐいもなお有るべし。文、銭、関などは、字音なる事しるし。然るをこの文、銭などになずらえて、いささかも似たるが有れば、皆その字音をとれりと心得るは、ひが事なり。また梵語、朝鮮語などと似たるが有れば、それをもかれを取れる物と思うめり。まづ梵語をとりて、ここの言にしたるは、有る事無し。たまたま似たるが有るは、おのづからの事なり。千万の言の中には、おのづから似たるも、同じきも、などか無からん。また今の朝鮮の言と同じきは、寺、郡などのたぐいは、まことに韓語をとれるなり。
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『玉勝間』十四の巻 から国の詞つかひ皇国の言語にくらぶれば、唐の言語はいとあらき物なり。たとえば罕言と云うこと、皇国言にては、稀れに云うと云うと、云う事まれなりと云うと、心ばえ異なり。稀れにいうは、言と云うこと主となりて、罕ながらも云う事の有る事なり。云うことまれなりは、罕と云うこと主となりて、云うことの稀れなるなり。他の言もこのたぐい多し。すべての事皆かくの如し。
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『玉勝間』十四の巻 華夷もろこしの国、後世の書どもを見れば、かの国の内、大かた南の方は、万ずの事まさり、北の方は、こよなく劣れるさまなり。然るに、中国とてほこりしは、北の方にて、南のかたは、夷と云いていやしめたりし地なり。これを以ても、華夷と云う事の、虚にして実なきを知るべし。
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