玉勝間 / 三の巻 つつのみたけ
拾遺集の物の名の、つつみのたけは、つつのみたけなり。肥後ノ國古戰塲記と云ふ物に、かの國に、つつのたけと云ふ山有、それなるべし、と云へり。
新字:拾遺集の物の名の、つつみのたけは、つつのみたけなり。肥後ノ国古戦塲記と云ふ物に、かの国に、つつのたけと云ふ山有、それなるべし、と云へり。
書き下し
拾遺集の物の名の、つつみのたけは、つつのみたけなり。肥後の国古戦場記と云う物に、かの国に、つつのたけと云う山有り、それなるべし、と云えり。
現代語訳
拾遺集の物名の部にある「つつみのたけ」は、「つつのみたけ(筒の御岳)」である。『肥後国古戦場記』というものに、その国に「つつのたけ」という山がある、それのことであろう、と言っている。
解説
拾遺集の「物名(もののな)」は、歌の中に物の名や地名を隠して詠み込む遊びの歌を集めた部立てである。その題に見える「つつみのたけ」について、宣長は本来「つつのみたけ」、すなわち「筒の御岳」という山の名だと正し、肥後の地誌に「つつのたけ」という山があることを根拠に挙げる。題の地名が分からないと、歌のどこに名が隠されているかも見えてこない。わずか数行の段だが、歌の理解に欠かせない固有名詞を、地方の書物という意外なところから確かめている。宣長は全国の門人や知人から書物を借り、地誌の類も広く読んでいた。どんな書物にも古典を読む手がかりがありうる、という構えがこうした小さな発見を生む。読書の範囲を狭く決めない大切さを示している。
関連する章句
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事木だちなど、二三百年をも経ぬるは、いといと物ふりて見ゆるものなれば、古く見ゆるにつきても、たやすくは定めがたきわざなりかし。村の名、山川浦磯などの名に、心をつけて尋ぬべし。田どころなどのあざなと云う物などをも、よく尋ぬべし。寺の名に、古きが残れるがよく有ることなり。しかは有れどもまた、すべて名によりて、誤る事も有るわざなり。また寺々の縁起と云う物、おおかた例の法師の空ごと勝ちなれど、その中に、まれまれには取るべき事もまじれるものなれば、これはたひたぶるには捨つべきに有らず。古きあとは、中頃法師どもの、国人をあざむきて、仏どころにしなしたるが、いずれの国にも多ければ、ほとけ所をも、その心して尋ぬべし。古き寺には、古き書き物など有りて、古き事の残れる多し。むげに尋ぬべきたずき無き所も、思いかけぬところより、たしかなるしるしの出で来るようも有れば、いたらぬ限り無く、よろずに思いめぐらして、委しく尋ぬべし。かくて尋ね得たりと思うところも、なおたしかには定むべからず。世にさるべき人の定めおきつる所などは、ひがさだめなるも、ついにそこに定まりて、後のまどいとなるわざなりかし。そもそもこのくだりは、名所を尋ぬるわざのみにも有らず、万ずの考えにもわたる事どもありぬべくなむ。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事かくて神の社にまれ、御陵にまれ、歌枕にまれ、何にまれ、遥かなる古えのを、中頃とめ失いたるを、今の世にして、尋ね定めむことは、大かたたやすからぬわざになむ有りける。そのゆえを云わむには、まずこの古き所を尋ぬるわざは、ただに古の書どもを考えたるのみにては、知りがたし。いかに委しく考えたるも、書もて考え定めたる事は、その所にいたりて見聞けば、いたく違う事の多き物なり。よそながらは、定かならぬ所も、その国にては、さすがに書も伝え、語りも伝えて、まがい無き事も有り。さればみずからその地にいたりて、見もし、そこの事よく知れる人に、問い聞きなどもせでは、事たらわず。またただ一たび物して、見聞きたるのみにても、なおたらわず。行きて見聞きて立ちかえりて、またふみどもと考え合わせて、またまたも行きて、よく見聞きたるうえならでは、定めがたかるべし。さてまたそのところの人に逢いて、問い聞くにも、心得べき事くさぐさ有り。古えの事を、あまりたしかに知りがおに語るは、多くは、書のかたはしを、なまなまに考えなどしたるものの、己がさかしらもて、定め云うが多ければ、そはいと頼みがたく、中中の物そこないなり。
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『玉勝間』十二の巻 事のはじめてそのきはになるを口と云ふ事俗語に、事の始めてその際になるを、なにがし口と云うこと、ふるし。拾遺集物の名に、くち葉色の折敷、あしひきの山の木の葉のおち口は色の惜しきぞあわれなりける。
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『玉勝間』十四の巻 名所歌枕の国郡を論ずるに、古き歌に詠めるをよく考えて、その国郡を定むべし。後世の歌は、ただ歌の趣意により来たれる所を詠む故に、その国所をば知らずそらに詠める故に、後世の歌はさらに拠とするに足らず。題詠のみならず、後世の歌は、その所にいたりて詠めるも取りがたき事あり。いかにと云うに、古き歌枕を、中昔の書に某国にありと注せるには、いみじく誤れる事のみ多きを、後の人、その誤れる注によりて、その国にその名所をつくりかまえて、或いは万葉に詠める某山はこれなりなど云うたぐい多きを、それも年を経ればその名のひろまりて、もとよりその所の如くなれるを、他国の歌人そこに到りて、その名を聞きて詠めるたぐい多ければなり。
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『玉勝間』十二の巻 つつみなく又つつがなくと云ふ言同じ集六に、草管見身疾不有とよめる、草と云えるは、かのから書の草居云云の説によれるか、と思う人もあんめれど、然にはあらず。この草の字は、莫を誤れるにて、これもつつみなくなるをや。さてつつみと云う言の意は、大祓の後釈に云えれば、ここにはもらしつ。
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『玉勝間』十三の巻 万葉集に山ノ字を玉に誤れる例万葉集に、山の字を玉に誤れる例多し。草書にては、山と玉とよく似たる故なり。二の巻に、「三吉野の玉松が枝は」云云、十五の巻に、やままつかげにともあり。玉は山を誤れることしるし。然るを後の歌に、玉松と詠めるは、この歌によれるにて、皆ひがことなり。玉松と云うことは、有る事無し。又同じ二の巻に、「人はよし思いやむとも玉かずら影に見えつつ」云云、こは山かずらは、日かげかずらのことにて、影の枕詞に置けるなり。山かずら日かげとつづく意にて、十四の巻に、あしひきの山かずらかげと詠めるかげに同じ。十八の巻にも、かずらかげと有り、みなかげは日かげのかずらの事なり。然るを後の世に、この玉かずらを、山かずらの誤りなる事を知らずして、影と続きたるを、懸の意と心得たるは、ひがことなり。又十三の巻に、「斎串立て」云云「雲聚の玉蔭見ればともしも」、こはうずに垂れたる日かげのかずらなり。十六の巻に、「あしひきの玉かずらの児」とあるは、あしひきのとあれば、山なること論無し。即ち「玉久世の清き河原」云云と云う歌も、ならべる歌には、山かずらの児とあり。さて件の例どもによりて思えば、十一の巻に、山代の久世の河原なりけむを、山を玉に、能を清に誤り、代を脱せるにこそ。玉久世と云うことは、有るべくも覚えず。
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