玉勝間 / 三の巻 こし塚
大和ノ國人の云はく、城上ノ郡外山村に、輿塚と云ふ有。うへは圓にて、內なる石がまへ、少しあらはれて見ゆる、そのいただきへは、人のぼる事無し。さて南の方へ、さし出たる尾ありて、御陵のさまなりと云へり。思ふに、これもしは饒速日ノ命の御墓にはあらじか。されど大和ノ國には、さるさましたる塚、いづこにも多かれば、いかならん、おぼつかなし。外山と云ふ所は、古への鳥見なり。
新字:大和ノ国人の云はく、城上ノ郡外山村に、輿塚と云ふ有。うへは円にて、内なる石がまへ、少しあらはれて見ゆる、そのいただきへは、人のぼる事無し。さて南の方へ、さし出たる尾ありて、御陵のさまなりと云へり。思ふに、これもしは饒速日ノ命の御墓にはあらじか。されど大和ノ国には、さるさましたる塚、いづこにも多かれば、いかならん、おぼつかなし。外山と云ふ所は、古への鳥見なり。
書き下し
大和の国人の云わく、城上の郡外山村に、輿塚と云う有り。うえは円にて、内なる石がまえ、少しあらわれて見ゆる、そのいただきへは、人のぼる事無し。さて南の方へ、さし出でたる尾ありて、御陵のさまなりと云えり。思うに、これもしは饒速日の命の御墓にはあらじか。されど大和の国には、さるさましたる塚、いずこにも多かれば、いかならん、おぼつかなし。外山と云う所は、古えの鳥見なり。
現代語訳
大和国の人が言うには、城上郡の外山村に輿塚(こしづか)というものがある。上は円形で、中の石の構えが少し現れて見え、その頂上へは人が登ることは無い。さて南の方へ突き出た尾根のような部分があって、御陵の様子である、と言っていた。思うに、これはもしかすると饒速日命の御墓ではなかろうか。けれども大和国には、そのような様子をした塚がどこにでも多いので、どうであろうか、はっきりしない。外山という所は、古の鳥見(とみ)である。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』三の巻 神武天皇の御陵神武天皇の御陵は、今それと申す所は、あらぬ所にて、実は今綏靖天皇の御と申すぞ、神武天皇の御ならむと、おのれ考えて、はやく吉野の道の日記に、しかしるしぬるを、其後此四五年さきに、大和国人に、竹口英斎と云うが語りけるは、今綏靖天皇の御陵と申すは、なお綏靖天皇なるべく、神武天皇の御は、おのれさだかに尋ね出で奉りたり。日本紀にしるされたるに、方もよくあえり。そは畝火山の東北の方の麓につきて、天皇宮という祠のある山なり。そこに字を加志と云う所あり。古事記にしるされたる、かしの尾の上ちょう名の残れるなるべし。山本村なる神八井耳の命の御墓山よりは東、小泉堂村よりは南、大久保村よりは西にて、保良村という里のあたりなり。その近きあたりの田地の字に、神武田またみさんざいなど云う所も有りと云いて、すべて此うねび山につきたる御陵ども、そのあたりいとくわしく考えて、書きたる図をも見せたりき。同じ国の内にて、殊に近きところなれば、しばしば行き見て、考え定めたるなりとぞ語りける。これを聞き見れば、おのがさきのかむがえは、猶あたらず、まことに此人の云える所ぞ、其ならむと思わるる。
-
『玉勝間』三の巻 神武天皇の御陵されどなお綏靖天皇の御は、必ず今云う所にはあらじと思わるるを、今それと申すは、いずれの帝の御ならむ。こは猶いぶかしくこそおぼゆれ。さて此英斎と云う人は、すべて御世御世の天皇の御陵を始め奉りて、皇后皇子皇女たちなどの御墓まで、広く考えて、陵墓志と云う物をあらわさむとすとて、かつがつ書き出でたるをも、見せたりしは、己れはた常に深く思いわたるすじの事なれば、いといと嬉しくて、必ず成し終えられよと、かえすがえす勧め置きしは、いかになりぬらむ、そののちは知らずなん。
-
『玉勝間』六の巻 筑紫ノ君石井が事周り六丈は、高さにかなわざれば、六の上に、三十など云う字の有りけむが、落ちたるなるべし。かくてこの石井が造り置きたりし墓のかまえは、今の世にも残りて、現に有るよしにて、近きほど、その図をしるし、考えをも添えたるを、見しに、まことに風土記にしるせるごとくにぞ有りけむ、とぞ覚ゆる。そもそも石のかぎりして、かばかりいかめしく、大きなるかまえを物せん事は、今の世の国持大名などのちからにも、いとたやすくは、出で来がたかるべし。これを思えば、そのかみ国々の国造の身のほども思いはかられて、けしうは有らざりけむかし。かの図は、写しおきたりしを、今え見出でず、見出でたらむ時に、また云いてんとす。
-
『玉勝間』三の巻 植村禹言と云ひし人奈良のあたり、疋田村と云う所に、植村禹言と云う人ありて、広大和名勝志と云うふみ、三十冊をあらわせりとぞ。此人すべて、国国所所の事を考うる事を好みて、記せる物これかれ多かる中に、大和の国内の、ふるき所所の事は、殊にくわしく、考えたりとぞ。天明二年壬寅二月廿七日に、みまかりぬと伝に聞けり。ここに川原もとぶらい来て、一度逢いしこと有りき。まことに古き名どころの事どもは、くわしく考え得たりげに語りき。
-
『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事また世に名高き所などをば、外なるをも、しいておのが国おのが里のにせまほしがるならいにて、ただいささかのより所めきたる事をも、かたくとらえて、強いてここぞと云いなして、しるしを作るたぐいなど、はた世に多きを、さる心して、まどうべからず。ふみなどは、むげに見たる事無き、ひたぶるの賤の男の、覚えいて語ることは、しり口あわず、しどけなく、ひがことのみ多かれど、その中には、かえりておかしき事もまじるわざなれば、さるたぐいをも、心とどめて聞くべきわざなり。されどまた、昔なまなまの物知り人などの、尋ね来たるが、ひが定めして、ここはしかしかの跡ぞなど、教えおきたるを聞きおりて、里人は、まことにさることと信じて、子うまごなどにも、語り伝えたるたぐいも有りしなれば、うべうべしくきこゆる事も、なおひたぶるには信じがたし。またみずからそのところのさまを行き見てさだむるにも、くさぐさ心うべき事ども有り。おおかた所のさまかみさびて、木立しげく物ふりなどしたるを見れば、こここそはと、目とまる物なれど、それはたうちつけには頼みがたし。大かたなにならぬ所にも、古めきたる森はやしなどは、多く有るものなり。
-
『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事かくて神の社にまれ、御陵にまれ、歌枕にまれ、何にまれ、遥かなる古えのを、中頃とめ失いたるを、今の世にして、尋ね定めむことは、大かたたやすからぬわざになむ有りける。そのゆえを云わむには、まずこの古き所を尋ぬるわざは、ただに古の書どもを考えたるのみにては、知りがたし。いかに委しく考えたるも、書もて考え定めたる事は、その所にいたりて見聞けば、いたく違う事の多き物なり。よそながらは、定かならぬ所も、その国にては、さすがに書も伝え、語りも伝えて、まがい無き事も有り。さればみずからその地にいたりて、見もし、そこの事よく知れる人に、問い聞きなどもせでは、事たらわず。またただ一たび物して、見聞きたるのみにても、なおたらわず。行きて見聞きて立ちかえりて、またふみどもと考え合わせて、またまたも行きて、よく見聞きたるうえならでは、定めがたかるべし。さてまたそのところの人に逢いて、問い聞くにも、心得べき事くさぐさ有り。古えの事を、あまりたしかに知りがおに語るは、多くは、書のかたはしを、なまなまに考えなどしたるものの、己がさかしらもて、定め云うが多ければ、そはいと頼みがたく、中中の物そこないなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る