玉勝間 / 三の巻 また四界四角ノ祭
西宮記云、四界祭、陰陽寮向四界祭、以藏人所人爲使、四角祭、陰陽寮、宮城四角祭、有使所人、以上天下有疫之時、陰陽寮進支度、(料物官、宣)。
新字:西宮記云、四界祭、陰陽寮向四界祭、以蔵人所人為使、四角祭、陰陽寮、宮城四角祭、有使所人、以上天下有疫之時、陰陽寮進支度、(料物官、宣)。
書き下し
西宮記に云う、四界祭、陰陽寮四界に向いて祭る、蔵人所の人を以て使と為す、四角祭、陰陽寮、宮城の四角に祭る、使有り所の人、以上天下に疫有るの時、陰陽寮支度を進る、(料物は官、宣)。
現代語訳
『西宮記』に「四界祭。陰陽寮が四方の境に向かって祭る。蔵人所の人を使いとする。四角祭。陰陽寮が宮城の四隅で祭る。使いがあり、蔵人所の人である。以上は、天下に疫病があるときに、陰陽寮が支度(必要な物の見積もり)を差し出す(供物の料は太政官から、宣旨による)」とある。
解説
『西宮記』は平安中期の源高明が著した儀式書で、朝廷の年中行事や臨時の儀礼を詳しく記す。ここに引かれたのは、疫病が流行したときに陰陽寮が行う二つの祭りで、四界祭は国の四方の境で、四角祭は宮城の四隅で、疫神が入り込むのを防ぐために営まれた。病を外から来る神の働きと見て、境で祭って押しとどめるという考え方である。題に「また」とあるのは、同じ祭りについて以前にも書いたことを受けたもので、宣長が同じ主題の記事を見つけるたびに書き足していたことが分かる。玉勝間は書き継がれた覚え書きの集積であり、この段はその作り方をよく示している。疫病に対する古代の人々の備えは、次の御霊会の段にもつながっていく。
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