玉勝間 / 三の巻 あらかねの地とつづくる事
地の枕詞に、あらかねのと云ふは、殿舍根のなり。いにしへの殿舍を御あらかと云ひしはつねなり。そを御と云はで、ただあらかとのみも云へりし事、古語拾遺に、云云造殿齋部所居、謂之麁香、細注に、古語正殿謂之麁香、とあるにて知るべし。さて古、の殿舍は、伊勢の大御神の宮のごとく、すべて柱を地に掘り入れて建てたりしかば、地はあらかの根なるよしなり。
新字:地の枕詞に、あらかねのと云ふは、殿舎根のなり。いにしへの殿舎を御あらかと云ひしはつねなり。そを御と云はで、ただあらかとのみも云へりし事、古語拾遺に、云云造殿斎部所居、謂之麁香、細注に、古語正殿謂之麁香、とあるにて知るべし。さて古、の殿舎は、伊勢の大御神の宮のごとく、すべて柱を地に掘り入れて建てたりしかば、地はあらかの根なるよしなり。
書き下し
地の枕詞に、あらかねのと云うは、殿舎根のなり。いにしえの殿舎を御あらかと云いしはつねなり。そを御と云わで、ただあらかとのみも云えりし事、古語拾遺に、云云殿を造る、斎部の居る所、之を麁香と謂う、細注に、古語に正殿之を麁香と謂う、とあるにて知るべし。さて古の殿舎は、伊勢の大御神の宮のごとく、すべて柱を地に掘り入れて建てたりしかば、地はあらかの根なるよしなり。
現代語訳
「地(つち)」の枕詞に「あらかねの」というのは、「殿舎(あらか)根の」の意味である。昔、宮殿を「御あらか」と言ったのは普通のことである。それを「御」と言わずに、ただ「あらか」とだけ言ったこともあったのは、古語拾遺に「云々、殿を造る。斎部の住む所、これを麁香(あらか)という」とあり、細注に「古語で正殿をあらかという」とあることで分かる。さて昔の宮殿は、伊勢の大御神の宮のように、すべて柱を地面に掘り込んで建てたので、地はあらかの根であるという意味なのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 言の然云ふ本の意を知らまほしくする事物まなびするともがら、古言の、しか云うもとの意を、知らまほしくして、人にもまず問う事、常なり。然云う本の心とは、たとえば天と云うは、いかなる意ぞ、地と云うは、いかなる意ぞ、と云う類いなり。これも学びの一つにて、さも有るべき事には有れども、さしあたりて、むねとすべきわざにも有らず。大かた古えの言は、然云う本の意を知らむよりは、古人の用いたる意を、よく明らめ知るべきなり。用いたる意をだに、よく明らめなば、然云う本の意は、知らでも有るべきなり。そもそも万の事、まずその本をよく明らめて、末をば後にすべきは、論無けれど、然のみにも有らぬわざにて、事のさまによりては、末よりまず物して、後に本へはさかのぼるべきも有るぞかし。大かた言の本の意は、知り難きわざにてわれ考え得たりと思うも当れりやあらずや、定め難く、多くはあたり難きわざなり。されば言の葉の学問は、その本の意を知る事をば、のどめ置きて、かえすがえすも、古え人のつかいたる意を、心をつけて、よく明らむべきわざなり。
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