玉勝間 / 一の巻 水茎の岡
水莖の岡とつづきたる水莖は、みな岡の枕詞にして、地ノ名にはあらず。然るを昔より、枕詞なることを知れる人無くして、或は筑前、或は近江の地名と心得來つるは、ひがことなり。水ぐきは、みづみづしき莖と云ふことにて、草木の莖なり。さてくきと云へば、即チ木の事にも、草のことにもなれり。木ノ神を久久能智と云ふにて心得べし。さて岡とつづくるは、稚の意なり。和と乎と通ふ例、わななく、をののく、わかづる、をこづる、たわやめ、たをやめなど、猶多き中に、神樂の取り物ノ歌に、天にますとよ岡姫のと有るをとりて、源氏物語のをとめの卷の歌には、天にますとよわか姫と詠める、これ正しく岡と若と通ふ例なり。さればみづみづしき木の稚しと云ふ意にて、みづぐきの岡とは續くるなり。又萬葉六に、水城と續けたるは、やがてみづみづしき莖のみづ木と、重ねたるなり。七に水莖の崗水門と詠めるは、筑前ノ國遠賀郡にて、風土記に塢舸水門と見えて、唯だ岡と云ふ地名なり。此歌の外に、筑前に水ぐきの岡と云ふこと、古書に見えたること無し。仲哀紀に洞ノ海と云ふ有るを思ひて、洞を、水ぐきと一ッかと思ふも、ひがことなり。洞ノ海は、をかのみなととは別所なり。
新字:水茎の岡とつづきたる水茎は、みな岡の枕詞にして、地ノ名にはあらず。然るを昔より、枕詞なることを知れる人無くして、或は筑前、或は近江の地名と心得来つるは、ひがことなり。水ぐきは、みづみづしき茎と云ふことにて、草木の茎なり。さてくきと云へば、即チ木の事にも、草のことにもなれり。木ノ神を久久能智と云ふにて心得べし。さて岡とつづくるは、稚の意なり。和と乎と通ふ例、わななく、をののく、わかづる、をこづる、たわやめ、たをやめなど、猶多き中に、神楽の取り物ノ歌に、天にますとよ岡姫のと有るをとりて、源氏物語のをとめの巻の歌には、天にますとよわか姫と詠める、これ正しく岡と若と通ふ例なり。さればみづみづしき木の稚しと云ふ意にて、みづぐきの岡とは続くるなり。又万葉六に、水城と続けたるは、やがてみづみづしき茎のみづ木と、重ねたるなり。七に水茎の崗水門と詠めるは、筑前ノ国遠賀郡にて、風土記に塢舸水門と見えて、唯だ岡と云ふ地名なり。此歌の外に、筑前に水ぐきの岡と云ふこと、古書に見えたること無し。仲哀紀に洞ノ海と云ふ有るを思ひて、洞を、水ぐきと一ッかと思ふも、ひがことなり。洞ノ海は、をかのみなととは別所なり。
書き下し
水茎の岡とつづきたる水茎は、みな岡の枕詞にして、地の名にはあらず。然るを昔より、枕詞なることを知れる人無くして、あるいは筑前、あるいは近江の地名と心得来つるは、ひがことなり。水ぐきは、みづみづしき茎と云うことにて、草木の茎なり。さてくきと云えば、すなわち木の事にも、草のことにもなれり。木の神を久久能智と云うにて心得べし。さて岡とつづくるは、稚の意なり。わとおと通う例、わななく、おののく、わかづる、おこづる、たわやめ、たおやめなど、なお多き中に、神楽の取り物の歌に、天にますとよ岡姫のと有るをとりて、源氏物語のおとめの巻の歌には、天にますとよわか姫と詠める、これ正しく岡と若と通う例なり。さればみづみづしき木の稚しと云う意にて、みづぐきの岡とは続くるなり。また万葉六に、水城と続けたるは、やがてみづみづしき茎のみづ木と、重ねたるなり。七に水茎の崗水門と詠めるは、筑前の国遠賀郡にて、風土記に塢舸水門と見えて、ただ岡と云う地名なり。この歌の外に、筑前に水ぐきの岡と云うこと、古書に見えたること無し。仲哀紀に洞の海と云う有るを思いて、洞を、水ぐきと一つかと思うも、ひがことなり。洞の海は、おかのみなととは別所なり。
現代語訳
「水茎の岡」と続く水茎は、みな岡の枕詞であって、地名ではない。ところが昔から枕詞であることを知る人がなく、あるいは筑前、あるいは近江の地名と理解してきたのは誤りである。水茎とは、みずみずしい茎ということで、草木の茎である。そして「くき」と言えば、木のことにも草のことにもなった。木の神を久久能智(くくのち)と言うことで理解せよ。さて岡と続けるのは、稚(わか)の意味である。「わ」と「お」が通う例は、わななく・おののく、わかづる・おこづる、たわやめ・たおやめなど、なお多い中でも、神楽の取り物の歌に「天にますとよ岡姫の」とあるのを取って、源氏物語の乙女の巻の歌では「天にますとよわか姫」と詠んでいる。これこそ岡と若が通う例である。だから、みずみずしい木が若いという意味で「水茎の岡」と続けるのである。また万葉集巻六に「水城」と続けているのは、そのままみずみずしい茎の「みず木」と重ねたのである。巻七に「水茎の岡の水門」と詠んでいるのは筑前国遠賀郡で、風土記に「塢舸(おか)水門」と見えていて、ただ岡という地名である。この歌のほかに、筑前に「水茎の岡」ということが古書に見えたことはない。仲哀紀に洞の海というのがあるのを思って、洞を水茎と同じものかと思うのも誤りである。洞の海は岡の水門とは別の所である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 水茎の岡また水ぐきの岡、近江に有りと云うもよし無きことなり。十に、水ぐきの岡とのみにて、水門と云わざる歌あるは、前後みな大和の地名を詠める歌の中なれば、筑前には有らで、大和なるべし。高市の郡飛鳥の岡を、今も岡と云い、岡寺と云うも有れば、この所ならむか。十二にも見えたるは、いづくにも有れ岡にて、地名にはあらざるか。また古今集大歌所の歌、水ぐきぶりに、みづぐきの岡の屋がたと詠めるは、岡屋県にて、和名抄に、山城の国宇治の郡岡屋乎加乃也と有る所なり。後に岡の屋の関白と申ししがおわせしも、この地名なり。県をがたと云うは、山県・片県などの如し。然るに是れをも、水ぐきの岡と云う地名と思い、やがたを屋形と、心得たるは、みなひがことなり。屋形と云う物は、船などにこそ有れ、家を屋形と云うことは、古には無き事なるをや。さて水ぐきぶりと云うは、楽府にて云う称にて、その歌のはじめの詞を取りてつけたる物にて、地名に限れる事には有らず。この某ぶりと云う名の事は、古事記伝に、ひなぶりの下に委しく云えり。さてまたせうそこ書をみづぐきと云うは、玉つさと云うと同じくて、これもみづみづしき木と云う事なり。
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『玉勝間』一の巻 水茎の岡そはまづ上古には、人の許へ使をやるには、梓木に玉をつけたるを持たせて、使のしるしとせしなり。玉梓の使とつねに云うはこの事なり。それよりうつりて、せうそこ文をも、同じく玉梓と云い、またかの玉つけたる梓をさして、みづみづしき木と云う意にて、みづぐきと云えるより、これもうつりて書をも然か云えるなり。かくてまたうつりては、必ずしも人の許へやる書ならでも、手跡の事をも、水ぐきと云う事となれるなり。
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『玉勝間』八の巻 万葉集に見えたる和気と云ふ称皇子たちなどの御名にある、某別、又姓のかばねの、某の別などの別には有らで、万葉集の歌に、一種の和気と云える称有り。そを人皆、みずからひげして云う称とのみ心得たるは、くわしからず。常に打まかせてひげして、僕など云うとは異にして、これは、人より我をさして云う詞をもうけて、そを其人に云い遣るとて、殊さらに我を賤きさまに云いなす称なり。さるはすこしたわぶれたる物にて、まことのひげには有らず。四の巻に、わが君は和気をば死ねと思えかも云云、これ人の我を死ねと思うと云う事を、もうけて、云い遣るなり。さて我を賤しめて云うから、人をば吾妹子と云うべきを、殊更にあがめたるさまに、わが君と云えるも、少したわぶれなり。同じ巻に、黒木とりかやもかりつつつかえめどいそしき和気とほめむともあらず、これも同じ事にて、人の我をいそしき者と云わむ詞を、もうけて云いやるなり。
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『玉勝間』八の巻 枕詞天又月日など云わむとて、まずひさかたのと云い、山と云わむとて、まずあしひきの、と云う類いの詞を、世に枕詞と云う。此名、古くは聞も及ばず、中昔の末より云う事なめり。是れを枕としも云うは、かしらに置く故と、誰れも思うめれど、さには有らず。枕はかしらに置く物には有らず、かしらを支ゆる物にこそ有れ、さるはかしらのみにも有らず、すべて物のうきて、間のあきたる所を、支ゆる物を、何にもまくらとは云えば、名所を歌枕と云うも、一句言葉のたらで、明たる所に置く由の名と聞ゆれば、枕詞と云うも、そのじょうにてぞ、云いそめけんかし。梅の花それとも見えず久方の云云、しのぶれど恋しき時はあしひきの云云などの如し。そもそも是等は、一つのさまにこそ有れ、なべて然るには有らざるを、後の世人の心にて、さる一かたにつきてぞ、名づけたりけむ。なべてはかしらに置く詞なれば、吾師の冠詞と云われたるぞ、ことわりかないては有ける。然は有れども、今はあまねく、枕詞と云いならいたれば、ことわりは如何にまれ、さても有りぬべくこそ。
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『玉勝間』十三の巻 万葉集に山ノ字を玉に誤れる例万葉集に、山の字を玉に誤れる例多し。草書にては、山と玉とよく似たる故なり。二の巻に、「三吉野の玉松が枝は」云云、十五の巻に、やままつかげにともあり。玉は山を誤れることしるし。然るを後の歌に、玉松と詠めるは、この歌によれるにて、皆ひがことなり。玉松と云うことは、有る事無し。又同じ二の巻に、「人はよし思いやむとも玉かずら影に見えつつ」云云、こは山かずらは、日かげかずらのことにて、影の枕詞に置けるなり。山かずら日かげとつづく意にて、十四の巻に、あしひきの山かずらかげと詠めるかげに同じ。十八の巻にも、かずらかげと有り、みなかげは日かげのかずらの事なり。然るを後の世に、この玉かずらを、山かずらの誤りなる事を知らずして、影と続きたるを、懸の意と心得たるは、ひがことなり。又十三の巻に、「斎串立て」云云「雲聚の玉蔭見ればともしも」、こはうずに垂れたる日かげのかずらなり。十六の巻に、「あしひきの玉かずらの児」とあるは、あしひきのとあれば、山なること論無し。即ち「玉久世の清き河原」云云と云う歌も、ならべる歌には、山かずらの児とあり。さて件の例どもによりて思えば、十一の巻に、山代の久世の河原なりけむを、山を玉に、能を清に誤り、代を脱せるにこそ。玉久世と云うことは、有るべくも覚えず。
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『玉勝間』八の巻 万葉集に乎知と云ふ言万葉集五の巻に、わがさかりいたくくだちぬ雲にとぶ薬はむともまた遠知めやも、雲にとぶくすりはむよは京見ばいやしき我身また越知ぬべし、此二つの遠知と云う言、落にしては、仮字もたがい、歌の意も聞えず。昔より解えたる人無きを、おのれ考え得たり。まず此二うたは、久しく筑紫に在りて、京を恋しく思いて詠めるにて、始めの歌の意は、わがよわい盛り過て、いたく衰えたり、今はかのもろこしに有りし、淮南王の仙薬を服とも、又若き昔にかえる事は得あらじとなり。次なるは、淮南王の薬をはまんよりは、我は、京を見たらば、又昔にかえりて、若くなるべしとなり。遠知は、何事にても、又もとへかえる意にて、此歌どもなるは、身の又若かりし昔にかえるを云えるなり。十七の巻、家持主の鷹の長歌に、手ばなれも乎知もかやすき云云、こは鷹を褒めたるにて、この乎知は、本の手へ返りくる事を云えるなり。二十の巻に、わが屋戸に咲るなでしこまいはせむゆめ花ちるないや乎知にさけ、是れも又初めへ返り返りして、いよいよ久しく咲けと云えるなり。
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