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玉勝間 / 三の巻 五十師原山辺御井

萬葉集の歌によめる、伊勢ノ國の五十師ノ原山ノ邊ノ御井は、鈴鹿ノ郡にて、今も山邊村と云ふ所なり。そこに山邊ノ赤人の屋敷跡と云ひ傳へたる地あり。又同じ人の硯水とて、古き井も有り。これ山ノ邊ノ御井なり。然るに赤人の事をしも云ひ傳へたるは、中昔よりして、山部てふ姓と、山邊てふ姓とまがひて、赤人の姓をも山ノ邊とせるから、此地の名につきて、云ひよせたるひが事なり。さるはかの赤人は、世にあまねく名高き人なるが故ぞかし。さて五十師原を、萬葉の今の本に、いそしのはらと訓たれども、古はいそと云ふに、五十と書る事無ければ、誤なり。いしのはらと訓むべし。五十と書るをば、伊と訓む古書の例なればなり。いしのはらとては、此句六文字にて、調、惡ろしと思ふ人もあるべかッめれど、そのかみ七もじの句を、六もじに云へる例おほき中に、地ノ名などは、殊によりくるままに、四文字にも六文字にも詠める、つねの事なり。さていしの原と云ふ名のよしは、今石藥師ノ驛に、石藥師とて寺有て、石の佛をまつれる、そは地の上におのづからに立る、大きなる石のおもてに、藥師と云ふ佛のかたをゑり附けたるにて、此石あやしき石なり。

新字:万葉集の歌によめる、伊勢ノ国の五十師ノ原山ノ辺ノ御井は、鈴鹿ノ郡にて、今も山辺村と云ふ所なり。そこに山辺ノ赤人の屋敷跡と云ひ伝へたる地あり。又同じ人の硯水とて、古き井も有り。これ山ノ辺ノ御井なり。然るに赤人の事をしも云ひ伝へたるは、中昔よりして、山部てふ姓と、山辺てふ姓とまがひて、赤人の姓をも山ノ辺とせるから、此地の名につきて、云ひよせたるひが事なり。さるはかの赤人は、世にあまねく名高き人なるが故ぞかし。さて五十師原を、万葉の今の本に、いそしのはらと訓たれども、古はいそと云ふに、五十と書る事無ければ、誤なり。いしのはらと訓むべし。五十と書るをば、伊と訓む古書の例なればなり。いしのはらとては、此句六文字にて、調、悪ろしと思ふ人もあるべかッめれど、そのかみ七もじの句を、六もじに云へる例おほき中に、地ノ名などは、殊によりくるままに、四文字にも六文字にも詠める、つねの事なり。さていしの原と云ふ名のよしは、今石薬師ノ駅に、石薬師とて寺有て、石の仏をまつれる、そは地の上におのづからに立る、大きなる石のおもてに、薬師と云ふ仏のかたをゑり附けたるにて、此石あやしき石なり。

書き下し

万葉集の歌によめる、伊勢の国の五十師の原山の辺の御井は、鈴鹿の郡にて、今も山辺村と云う所なり。そこに山辺の赤人の屋敷跡と云い伝えたる地あり。又同じ人の硯水とて、古き井も有り。これ山の辺の御井なり。然るに赤人の事をしも云い伝えたるは、中昔よりして、山部ちょう姓と、山辺ちょう姓とまがいて、赤人の姓をも山の辺とせるから、此地の名につきて、云いよせたるひが事なり。さるはかの赤人は、世にあまねく名高き人なるが故ぞかし。さて五十師原を、万葉の今の本に、いそしのはらと訓みたれども、古はいそと云うに、五十と書ける事無ければ、誤なり。いしのはらと訓むべし。五十と書けるをば、伊と訓む古書の例なればなり。いしのはらとては、此句六文字にて、調悪ろしと思う人もあるべかめれど、そのかみ七もじの句を、六もじに云える例おおき中に、地の名などは、殊によりくるままに、四文字にも六文字にも詠める、つねの事なり。さていしの原と云う名のよしは、今石薬師の駅に、石薬師とて寺有りて、石の仏をまつれる、そは地の上におのずからに立てる、大きなる石のおもてに、薬師と云う仏のかたをえり附けたるにて、此石あやしき石なり。

現代語訳

万葉集の歌に詠まれた、伊勢国の「五十師の原」「山の辺の御井」は、鈴鹿郡にあって、今も山辺村という所である。そこに山辺赤人の屋敷跡と言い伝えている土地がある。また同じ人の硯水といって、古い井戸もある。これが山の辺の御井である。ところが赤人のことを言い伝えているのは、中世以来、山部という姓と山辺という姓とが混同され、赤人(山部赤人)の姓をも山辺としたところから、この土地の名に引きつけて言い寄せた誤りである。それは赤人が世に広く名高い人だからである。さて五十師原を、万葉集の今の版本では「いそしのはら」と訓んでいるが、古くは「いそ」という語に「五十」と書いた例は無いので、誤りである。「いしのはら」と訓むべきである。「五十」と書いたものを「い」と訓むのが古書の例だからである。「いしのはら」ではこの句が六音になり、調子が悪いと思う人もあるだろうが、その昔は七音の句を六音で詠んだ例が多く、とりわけ地名などは、言葉の成り行きのままに四音にも六音にも詠むのが普通のことである。さて「いしの原」という名の由来は、今の石薬師の宿場に石薬師という寺があって石の仏を祀っている。それは地面の上に自然に立っている大きな石の表面に、薬師という仏の姿を彫り付けたもので、この石は不思議な石である。

解説

万葉集巻十三の長歌と反歌に出る「山辺の五十師の原」「山辺の御井」がどこかを論じる長い考証の書き出しである。宣長はまず、伊勢国鈴鹿郡の山辺村(今の三重県鈴鹿市山辺町)がその地だと言い切る。そのうえで、土地に残る「赤人屋敷」「赤人の硯水」という伝えは、山部と山辺の姓の混同から生まれた後世の付会だとして切り分ける。伝承をまるごと信じも捨てもせず、どこまでが古く、どこからが後の付け足しかを見分けるのが宣長の流儀である。訓みについても、「五十」を「い」と訓むのが古書の通例だとして「いしのはら」を立て、六音の句も地名なら普通だと例で支える。石薬師の不思議な石を地名の起こりに結び付けるくだりは、机上の説ではなく土地の実物から考える姿勢をよく示している。

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