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玉勝間 / 二の巻 おのれあがたゐの大人の〓〓を受けしやう

されば道を說給へる事も、こまかなる事し無ければ、大むねもいまださだかにあらはれず、唯だ事のついでなどに、はしばしいささかづつのたまへるのみなり。又からごころを去れる事も、なほ〓くはさりあへ給はで、おのづから猶その意に落つる事も、まれまれにはのこれるなり。

新字:されば道を説給へる事も、こまかなる事し無ければ、大むねもいまださだかにあらはれず、唯だ事のついでなどに、はしばしいささかづつのたまへるのみなり。又からごころを去れる事も、なほ〓くはさりあへ給はで、おのづから猶その意に落つる事も、まれまれにはのこれるなり。

書き下し

されば道を説き給える事も、こまかなる事し無ければ、大むねもいまださだかにあらわれず、ただ事のついでなどに、はしばしいささかずつのたまえるのみなり。またからごころを去れる事も、なお清くはさりあえ給わで、おのずから猶その意に落つる事も、まれまれにはのこれるなり。

現代語訳

だから道を説かれたことも、細かいことがないので、大筋もまだはっきりとは現れず、ただ事のついでなどに、ところどころ少しずつおっしゃっただけである。また漢意を去ったことも、なおきれいには去りきれておられず、おのずとやはりその考えに落ちることも、まれには残っているのである。

解説

真淵の限界についての記述の続きである。師は道を細かく説かなかったので、その大筋もまだはっきりせず、折に触れて少しずつ語っただけだった。また漢意を去ることも徹底しきれず、ときにその考えに落ちることもあった、と宣長は言う。古学の祖として深く敬う師について、ここまではっきり書くのは勇気の要ることである。しかしこれは、宣長の「師の説になづまざる事」の考えそのものであり、真淵自身が弟子に教えたことでもあった。漢意を去れと説いた人でさえ、それを完全には去れなかった。それほど自分の考えの癖から抜け出すのは難しい、という指摘でもある。宣長もまた後の人から同じように見られることを覚悟していたはずで、次の段以下にその覚悟が語られる。

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