玉勝間 / 二の巻 おのれあがたゐの大人の〓〓を受けしやう
されば道を說給へる事も、こまかなる事し無ければ、大むねもいまださだかにあらはれず、唯だ事のついでなどに、はしばしいささかづつのたまへるのみなり。又からごころを去れる事も、なほ〓くはさりあへ給はで、おのづから猶その意に落つる事も、まれまれにはのこれるなり。
新字:されば道を説給へる事も、こまかなる事し無ければ、大むねもいまださだかにあらはれず、唯だ事のついでなどに、はしばしいささかづつのたまへるのみなり。又からごころを去れる事も、なほ〓くはさりあへ給はで、おのづから猶その意に落つる事も、まれまれにはのこれるなり。
書き下し
されば道を説き給える事も、こまかなる事し無ければ、大むねもいまださだかにあらわれず、ただ事のついでなどに、はしばしいささかずつのたまえるのみなり。またからごころを去れる事も、なお清くはさりあえ給わで、おのずから猶その意に落つる事も、まれまれにはのこれるなり。
現代語訳
だから道を説かれたことも、細かいことがないので、大筋もまだはっきりとは現れず、ただ事のついでなどに、ところどころ少しずつおっしゃっただけである。また漢意を去ったことも、なおきれいには去りきれておられず、おのずとやはりその考えに落ちることも、まれには残っているのである。
解説
真淵の限界についての記述の続きである。師は道を細かく説かなかったので、その大筋もまだはっきりせず、折に触れて少しずつ語っただけだった。また漢意を去ることも徹底しきれず、ときにその考えに落ちることもあった、と宣長は言う。古学の祖として深く敬う師について、ここまではっきり書くのは勇気の要ることである。しかしこれは、宣長の「師の説になづまざる事」の考えそのものであり、真淵自身が弟子に教えたことでもあった。漢意を去れと説いた人でさえ、それを完全には去れなかった。それほど自分の考えの癖から抜け出すのは難しい、という指摘でもある。宣長もまた後の人から同じように見られることを覚悟していたはずで、次の段以下にその覚悟が語られる。
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 おのれあがたゐの大人の〓〓を受けしやう宣長、縣居の大人に逢い奉りしは、この里に一夜やどり給えりしおり、一度のみなりき。その後はただ、しばしば書かよわしきこえてぞ、物は問いあきらめたりける。そのたびたび給えりし御答えのふみども、いと多くつもりにたりしを、ひとつも散らさで、いつきもたりけるを、せちに人の乞いもとむるままに、ひとつふたつと取らせけるほどに、今は残りすくなくなん成りぬる。さて古事記の注釈を物せんの心ざし深き事を申せしによりて、その上つ巻をば、考え給える古言をもて、仮字がきにし給えるをも、貸し給い、また中つ巻下つ巻は、かたわらの訓を改め、所所書き入れなどをも、てずからし給える本をも、かし給えりき。古事記伝に、師の説とて引きたるは、多くその本にある事どもなり。そもそもこの大人、古学の道をひらき給える御いさおは、申すもさらなるを、かのさとし言にのたまえる如く、世のかぎりもはら万葉に力を尽くされしほどに、古事記、書紀にいたりては、そのかむかえ、いまだあまねく深くはゆきわたらず、くわしからぬ事どもも多し。
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『玉勝間』二の巻 師の説になづまざる事おのれ古典を解くに、師の説とたがえること多く、師の説の悪ろき事あるをば、わきまえ云う事も多かるを、いとあるまじき事と思う人おおかんめれど、これすなわちわが師の心にて、常におしえられしは、後に善き考えの出で来たらんには、必ずしも師の説にたがうとて、なはばかりそとなむ、教えられし。こはいとたっとき教えにて、わが師の、世にすぐれ給える一つなり。大かた古をかむがうる事、さらにひとり二人の力もて、ことごとくあきらめ尽くすべくもあらず。またよき人の説ならんからに、多くの中には、誤りもなどか無からむ、必ず悪ろき事もまじらではえ有らず。そのおのが心には、今は古のこころことごとく明らかなり、これをおきては、有るべくも有らずと、思い定めたる事も、おもいの外に、また人のことなる善き考えも出で来るわざなり。あまたの年を経るまにまに、さきざきの考えのうえを、なおよく考えきわむるからに、つぎつぎにくわしく成りもて行くわざなれば、師の説なりとて、必ずなずみ守るべきにも有らず。善き悪しきを云わず、ひたぶるに古きをまもるは、学問の道には、云うかいなきわざなり。
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『玉勝間』二の巻 わがをしへ子にいましめおくやう吾に従いて物まなばむともがらも、わが後に、また善き考えのいできたらむには、必ずわが説にななづみそ。わが悪しき故を云いて、善き考えをひろめよ。すべておのが人を教うるは、道を明らかにせむとなれば、かにもかくにも、道をあきらかにせむぞ、吾を用うるには有りける。道を思わで、いたずらにわれを尊まんは、わが心にあらざるぞかし。
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『玉勝間』二の巻 あがたゐのうしの御さとし言このむねを忘れず、心にしめて、まずひききところよりよくかため置きてこそ、高き所にはのぼるべきわざなれ、わがいまだ神の御ふみを得とかざるは、もはらこのゆえぞ、ゆめしなを越えて、まだきに高き所をな望みそと、いとねもころになん、いましめさとし給いたりし。この御さとしの言の、いとたっとくおぼえけるままに、いよいよ万葉集に心をそめて、深く考え、くりかえし問いただして、古のこころ詞をさとりえて見れば、まことに世の物知り人と云う者の、神の御ふみ説ける趣は、皆あらぬから意のみにして、さらにまことの意はえ得ぬものになむ有りける。
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『玉勝間』二の巻 師の説になづまざる事またおのが師などの悪ろき事を云いあらわすは、いともかしこくはあれど、それも云わざれば、世の学者その説にまどいて、長く善きを知るご無し。師の説なりとして、悪ろきを知りながら、云わずつつみかくして、よさまにつくろいおらんは、ただ師をのみたっとみて、道をば思わざるなり。宣長は、道を尊み古を思いて、ひたぶるに道の明らかならん事を思い、古の意の明らかならん事をむねと思うが故に、わたくしに師をたっとむことわりの欠けむ事をば、えしもかえり見ざる事あるを、猶悪ろしと、そしらむ人はそしりてよ、そはせんかた無し。われは人にそしられじ、善き人に成らむとて、道をまげ、古の意をまげて、さてあるわざはえせずなん。これすなわちわが師の心なれば、かえりては師をたっとむにも有るべくや。そはいかにも有れ。
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『玉勝間』二の巻 おのが物まなびの有しやうかくてそのふみ、はじめに一わたり見しには、さらに思いもかけぬ事のみにして、あまり事とおく、あやしきように覚えて、さらに信ずる心はあらざりしかど、猶あるよう有るべしと思いて、立ちかえり今一たび見れば、まれまれには、げにさもやと覚ゆるふしぶしも出で来ければ、また立ちかえり見るに、いよいよげにとおぼゆる事多くなりて、見るたびに信ずる心の出で来つつ、つひに古ぶりのこころことばの、まことに然る事をさとりぬ。かくて後に思いくらぶれば、かの契沖が万葉の説は、猶いまだしき事のみぞ多かりける。おのが歌まなびの有りしよう、大かた斯くの如くなりき。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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