師導古典を学びたいすべての人に

墨子 / 魯問

魯之南鄙人有吳慮者,冬陶夏耕,自比於舜。子墨子聞而見之,吳慮謂子墨子義耳義耳,焉用言之哉?」子墨子曰:「子之所謂義者,亦有力以勞人,有財以分人乎?」吳慮曰:「有。」子墨子曰:「翟嘗計之矣。翟慮耕而食天下之人矣,盛,然後當一農之耕,分諸天下,不能人得一升粟。藉而以為得一升粟,其不能飽天下之饑者,既可睹矣。

新字:魯之南鄙人有吳慮者,冬陶夏耕,自比於舜。子墨子聞而見之,吳慮謂子墨子義耳義耳,焉用言之哉?」子墨子曰:「子之所謂義者,亦有力以労人,有財以分人乎?」吳慮曰:「有。」子墨子曰:「翟嘗計之矣。翟慮耕而食天下之人矣,盛,然後当一農之耕,分諸天下,不能人得一升粟。藉而以為得一升粟,其不能飽天下之饑者,既可睹矣。

書き下し

魯の南鄙の人に吳慮なる者有り。冬は陶し夏は耕して、自ら舜に比す。子墨子、聞きて之に見ゆ。吳慮、子墨子に謂う、「義のみ、義のみ。焉んぞ之を言うを用いんや」と。子墨子曰く、「子の所謂る義なる者は、亦た力有りて以て人を勞し、財有りて以て人に分かつか」と。吳慮曰く、「有り」と。子墨子曰く、「翟、嘗て之を計れり。翟、耕して天下の人に食わしめんことを慮る。盛んにして、然る後に一農の耕に當たる。諸を天下に分かたば、人ごとに一升の粟をも得る能わず。藉りて以て一升の粟を得と為すも、其の天下の饑を飽かしむる能わざるは、既に睹る可し。

現代語訳

魯の南のはずれに呉慮という者がいた。冬は焼き物をし夏は耕して、自分を舜になぞらえていた。墨子が聞いて会いに行った。呉慮が墨子に言った。「義だけだ、義だけだ。どうして言葉など要るのか」。墨子が言った。「あなたの言う義とは、力があれば人のために働き、財があれば人に分けるということですか」。呉慮が言った。「そうだ」。墨子が言った。「私はかつてそれを計算してみた。私が耕して天下の人に食べさせようと考えても、精一杯やって農夫一人分の耕作にしかならない。それを天下に分ければ、一人当たり一升の粟にもならない。仮に一升の粟が行き渡ったとしても、それで天下の飢えを満たせないことは、すでに明らかだ。

解説

実践だけあればよい、言葉は要らない、という主張への答えを、計算から始めます。自分が一人で耕せる量を天下の人数で割ってみる。数字を出すことで、個人の実践の限界を示す。言葉は実践から逃げるための道具ではない、という主張のために、まず自分の手の届く範囲を測っています。

この章句が説くこと

実践限界計算規模

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる