師導古典を学びたいすべての人に

茶の本 / 第五章 芸術鑑賞・万有の中に自分の姿を見る

しかしながら、美術の価値はただそれがわれわれに語る程度によるものであることを忘れてはならない。その言葉は、もしわれわれの同情が普遍的であったならば、普遍的なものであるかもしれない。が、われわれの限定せられた性質、代々相伝の本性はもちろんのこと、慣例、因襲の力は美術鑑賞力の範囲を制限するものである。われらの個性さえも、ある意味においてわれわれの理解力に制限を設けるものである。そして、われらの審美的個性は、過去の創作品の中に自己の類縁を求める。もっとも、修養によって美術鑑賞力は増大するものであって、われわれはこれまでは認められなかった多くの美の表現を味わうことができるようになるものである。が、畢竟するところ、われわれは万有の中に自分の姿を見るに過ぎないのである。すなわちわれら特有の性質がわれらの理解方式を定めるのである。茶人たちは全く各人個々の鑑賞力の及ぶ範囲内の物のみを収集した。

書き下し

しかしながら、美術の価値はただそれがわれわれに語る程度によるものであることを忘れてはならない。その言葉は、もしわれわれの同情が普遍的であったならば、普遍的なものであるかもしれない。が、われわれの限定せられた性質、代々相伝の本性はもちろんのこと、慣例、因襲の力は、美術鑑賞力の範囲を制限するものである。われらの個性さえも、ある意味においてわれわれの理解力に制限を設けるものである。そして、われらの審美的個性は、過去の創作品のなかに自己の類縁を求める。もっとも、修養によって美術鑑賞力は増大するものであって、われわれはこれまでは認められなかった多くの美の表現を味わうことができるようになるものである。が、畢竟するところ、われわれは万有のなかに自分の姿を見るに過ぎないのである。すなわち、われら特有の性質がわれらの理解方式を定めるのである。茶人たちは全く各人個々の鑑賞力の及ぶ範囲内の物のみを収集した。

現代語訳

しかし、美術の価値はただそれが私たちに語る程度によるものであることを忘れてはなりません。その言葉は、もし私たちの思いやりが普遍的であったなら、普遍的なものかもしれません。しかし私たちの限られた性質、代々受け継いだ本性はもちろん、慣例や因習の力は、美術を鑑賞する力の範囲を制限します。私たちの個性さえ、ある意味で理解力に制限を設けるものです。そして私たちの美的な個性は、過去の創作の中に自分と似たものを求めます。もっとも、修養によって鑑賞力は増大するもので、これまで認められなかった多くの美の表現を味わえるようになります。しかし結局のところ、私たちは万物の中に自分の姿を見るにすぎないのです。すなわち、私たち特有の性質が理解の仕方を定めるのです。茶人たちは、まったく各人それぞれの鑑賞力の及ぶ範囲内のものだけを収集しました。

解説

鑑賞力の限界が正直に述べられます。修養で広がるとは認めつつ、結局は万物の中に自分の姿を見るだけだ、と。自分に似たものしか分からないという制約です。だから茶人は自分の鑑賞力の届く範囲のものだけを集めた。分からないものに手を出さない、という節度です。これが次の段の遠州と利休の対比につながり、自分の範囲をどう扱うかという問いになります。

この章句が説くこと

鑑賞限界個性修養節度

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる