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後世への最大遺物 / 第二回・誰でも文学者になれるわけではない

ソウ申しますとまたこういう問題が出てきます。われわれは金を溜めることができず、また事業をなすことができない。それからまたそれならばといって、あなたがたがみな文学者になったらば、たぶん活版屋では喜ぶかもしれませぬけれども、社会では喜ばない。文学者の世の中にふえるということは、ただ活版屋と紙製造所を喜ばすだけで、あまり社会に益をなさないかも知れない。ゆえにもしわれわれが文学者となることができず、またなる考えもなし、バンヤンのような思想を持っておっても、バンヤンのように綴ることができないときには、別に後世への遺物はないかという問題が起る。それは私にもたびたび起った問題であります。なるほど文学者になることは私が前に述べましたとおりヤサシイこととは思いますけれども、しかし誰でも文学者になるということは実は望むべからざることであります。

書き下し

そう申しますと、またこういう問題が出てきます。われわれは金を溜めることができず、また事業をなすことができない。それからまた、それならばといって、あなたがたがみな文学者になったらば、たぶん活版屋では喜ぶかもしれませぬけれども、社会では喜ばない。文学者の世の中にふえるということは、ただ活版屋と紙製造所を喜ばすだけで、あまり社会に益をなさないかも知れない。ゆえに、もしわれわれが文学者となることができず、またなる考えもなし、バンヤンのような思想を持っておっても、バンヤンのように綴ることができないときには、別に後世への遺物はないかという問題が起る。それは私にもたびたび起った問題であります。なるほど文学者になることは、私が前に述べましたとおりやさしいこととは思いますけれども、しかし誰でも文学者になるということは、実は望むべからざることであります。

現代語訳

そう言うと、またこういう問題が出てきます。私たちは金を溜められず、事業もなせない。ではといって、皆さんが全員文学者になったら、たぶん印刷屋は喜ぶでしょうが、社会は喜びません。文学者が世に増えることは、ただ印刷屋と製紙工場を喜ばせるだけで、あまり社会の益にはならないかもしれない。ですから、もし私たちが文学者になれず、なるつもりもなく、バンヤンのような思想を持っていてもバンヤンのようには綴れないとき、他に後世への遺物はないのか、という問題が起こります。それは私にもたびたび起こった問題です。なるほど文学者になるのは、前に述べたとおりやさしいことだと思いますが、しかし誰もが文学者になるというのは、実は望ましいことではありません。

解説

自分が開いた道を、自分で閉じにかかります。全員が書き手になっても社会の役には立たない、という冷静な指摘です。印刷屋と製紙工場だけが喜ぶ、という皮肉が効いている。書く人ばかりが増えて、なす人がいなくなる世を内村は望んでいません。ここまで三つの答えを出して、そのすべてに関門があることを認めたことになります。この行き詰まりがあるからこそ、次に出てくる第四の答えが際立ちます。

この章句が説くこと

文学限界社会実行均衡

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