玉勝間 / 二の巻 あがたゐのうしの御さとし言
此むねを忘れず、心にしめて、先づひききところよりよくかため置きてこそ、高き所にはのぼるべきわざなれ、わがいまだ神の御ふみを得とかざるは、もはら此ゆゑぞ、ゆめしなを越えて、まだきに高き所をな望みそと、いとねもころになん、いましめさとし給ひたりし。此御さとしの言の、いとたふとくおぼえけるままに、いよいよ萬葉集に心をそめて、深く考へ、くりかへし問ヒただして、古へのこころ詞をさとりえて見れば、まことに世の物知り人と云ふ者の、神の御ふみ說る趣は、皆あらぬから意のみにして、さらにまことの意はえ得ぬものになむ有ける。
新字:此むねを忘れず、心にしめて、先づひききところよりよくかため置きてこそ、高き所にはのぼるべきわざなれ、わがいまだ神の御ふみを得とかざるは、もはら此ゆゑぞ、ゆめしなを越えて、まだきに高き所をな望みそと、いとねもころになん、いましめさとし給ひたりし。此御さとしの言の、いとたふとくおぼえけるままに、いよいよ万葉集に心をそめて、深く考へ、くりかへし問ヒただして、古へのこころ詞をさとりえて見れば、まことに世の物知り人と云ふ者の、神の御ふみ説る趣は、皆あらぬから意のみにして、さらにまことの意はえ得ぬものになむ有ける。
書き下し
このむねを忘れず、心にしめて、まずひききところよりよくかため置きてこそ、高き所にはのぼるべきわざなれ、わがいまだ神の御ふみを得とかざるは、もはらこのゆえぞ、ゆめしなを越えて、まだきに高き所をな望みそと、いとねもころになん、いましめさとし給いたりし。この御さとしの言の、いとたっとくおぼえけるままに、いよいよ万葉集に心をそめて、深く考え、くりかえし問いただして、古のこころ詞をさとりえて見れば、まことに世の物知り人と云う者の、神の御ふみ説ける趣は、皆あらぬから意のみにして、さらにまことの意はえ得ぬものになむ有りける。
現代語訳
この趣旨を忘れず心に刻んで、まず低い所からよく固めておいてこそ、高い所には登るべきものである。私がまだ神の御書を解くことができないのは、ひとえにこのためである。決して段階を飛び越えて、早くから高い所を望んではならない」と、たいへん懇ろに戒め諭してくださった。この諭しのお言葉がたいへん尊く思われたので、いよいよ万葉集に心を染めて、深く考え、繰り返し問いただして、古の心と言葉を悟り得てみると、まことに世の物知りという者が神の御書を説く趣は、みな見当違いの漢意ばかりで、まったく本当の心は得られないものであった。
解説
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 あがたゐのうしの御さとし言宣長三十あまりなりしほど、縣居の大人の教えをうけ給わりそめし頃より、古事記の注釈を物せむのこころざし有りて、その事大人にもきこえけるに、さとし給えりしようは、われももとより、神の御典をとかむと思う心ざし有るを、そはまずからごころを清くはなれて、古のまことの意をたずねえずは有るべからず、然るにその古のこころを得むことは、古言を得たるうえならではあたわず、古言を得むことは、万葉をよく明らむるにこそあれ、さる故に、吾はまずもはら万葉をあきらめんとする程に、すでに年老いて、残りのよわい、今いくばくも有らざれば、神の御ふみを解くまでに至る事えざるを、いましは年さかりにて、行くさき長ければ、今より怠る事無く、いそしみ学びなば、その心ざしとぐること有るべし。ただし世の中の物まなぶともがらを見るに、皆ひきき所を経ずて、まだきに高き所にのぼらんとする程に、ひきき所をだにうる事あたわず、まして高き所はうべきよう無ければ、皆ひがごとのみすめり。
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『玉勝間』一の巻 あがたゐのうしは古、学のおやなる事からごころをきよくはなれて、もはら古のこころ詞をたづぬるがくもんは、わが県居の大人よりぞはじまりける。この大人の学の、いまだおこらざりしほどの世の学問は、歌もただ古今集よりこなたにのみとどまりて、万葉などは、ただいと物どおく、心も及ばぬ物として、さらにその歌の善き悪しきを思い、古き近きをわきまえ、またその詞を、今のおのが物としてつかう事などは、すべて思いも及ばざりし事なるを、今はその古言をおのがものとして、万葉ぶりの歌をも詠み出で、古ぶりの文などをさえ、書きうることとなれるは、もはらこのうしのおしえのいさおにぞ有りける。今の人は、ただおのれみづから得たるごと思うめれど、みなこの大人の御蔭によらずと云うこと無し。また古事記・書紀などの、古典をうかがうにも、漢意にまどわされず、まづもはら古言を明らめ、古意によるべきことを、人みな知れるも、このうしの万葉のおしえのみたまにぞ有りける。そもそも斯かるたふとき道を、開らき初められたるいそしみは、世にいみしきものなりかし。
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『玉勝間』四の巻 学者のまづかたきふしをとふ事物学ぶともがら、物知り人にあいて、物問うに、ともすればまづ、古書の中にも、世にかたき事として、誰も解きえぬふしをえり出でて、問うならいなり。たとえば書紀の斉明の御巻なる童謡、万葉にては、一の巻なる莫囂円隣云々と書ける歌などようのたぐいなり。こうようのかたき事を、まづ明らめまほしく思うも、学者のなべての心なれども、然らばやすき事どもは、皆よくあきらめ知れるかと、こころむれば、いとたやすき事どもをだに、いまだ得よくもわきまえず。さる者の、さしこえて、まづかたき節を明らめんとするは、いとあじき無きわざなり。よく聞こえたりと思いて、心もとどめぬ事に、思いの外なるひが心得の多かる物なれば、まづたやすき事を、いく度もかえさい考え、問いも明らめて、よく得たらん後にこそ、かたきふしをば、思いかくべきわざなれ。
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『玉勝間』二の巻 おのが物まなびの有しやうかくてそのふみ、はじめに一わたり見しには、さらに思いもかけぬ事のみにして、あまり事とおく、あやしきように覚えて、さらに信ずる心はあらざりしかど、猶あるよう有るべしと思いて、立ちかえり今一たび見れば、まれまれには、げにさもやと覚ゆるふしぶしも出で来ければ、また立ちかえり見るに、いよいよげにとおぼゆる事多くなりて、見るたびに信ずる心の出で来つつ、つひに古ぶりのこころことばの、まことに然る事をさとりぬ。かくて後に思いくらぶれば、かの契沖が万葉の説は、猶いまだしき事のみぞ多かりける。おのが歌まなびの有りしよう、大かた斯くの如くなりき。
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『玉勝間』二の巻 おのれあがたゐの大人の〓〓を受けしやうされば道を説き給える事も、こまかなる事し無ければ、大むねもいまださだかにあらわれず、ただ事のついでなどに、はしばしいささかずつのたまえるのみなり。またからごころを去れる事も、なお清くはさりあえ給わで、おのずから猶その意に落つる事も、まれまれにはのこれるなり。
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『玉勝間』二の巻 おのれあがたゐの大人の〓〓を受けしやう宣長、縣居の大人に逢い奉りしは、この里に一夜やどり給えりしおり、一度のみなりき。その後はただ、しばしば書かよわしきこえてぞ、物は問いあきらめたりける。そのたびたび給えりし御答えのふみども、いと多くつもりにたりしを、ひとつも散らさで、いつきもたりけるを、せちに人の乞いもとむるままに、ひとつふたつと取らせけるほどに、今は残りすくなくなん成りぬる。さて古事記の注釈を物せんの心ざし深き事を申せしによりて、その上つ巻をば、考え給える古言をもて、仮字がきにし給えるをも、貸し給い、また中つ巻下つ巻は、かたわらの訓を改め、所所書き入れなどをも、てずからし給える本をも、かし給えりき。古事記伝に、師の説とて引きたるは、多くその本にある事どもなり。そもそもこの大人、古学の道をひらき給える御いさおは、申すもさらなるを、かのさとし言にのたまえる如く、世のかぎりもはら万葉に力を尽くされしほどに、古事記、書紀にいたりては、そのかむかえ、いまだあまねく深くはゆきわたらず、くわしからぬ事どもも多し。
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