李衛公問対 / 卷下
習兵之學,必先繇下以及中,繇中以及上,則漸而深矣。不然,則垂空言,徒記誦,無足取也。
新字:習兵之学,必先繇下以及中,繇中以及上,則漸而深矣。不然,則垂空言,徒記誦,無足取也。
書き下し
兵の學を習うは、必ず先ず下より以て中に及び、中より以て上に及べば、則ち漸くにして深し。然らざれば、則ち空言を垂れ、徒に記誦するのみにて、取るに足らざるなり。
現代語訳
兵法の学問を身につけるには、必ずまず初歩の段階から中級の段階へと進み、中級の段階から上級の段階へと進んでいけば、少しずつ理解が深まっていく。そうしなければ、ただ空虚な言葉を並べ立て、丸暗記するだけになってしまい、何の役にも立たない。
解説
学びは段階を踏んで積み上げてこそ身につくという、学問論としての指摘である。基礎を飛ばしていきなり高度な理論を語っても、それは中身の伴わない空論や暗記にとどまり、実際の場面では役に立たない。仕事の技術でも、学問でも、基本の反復から徐々に応用へと進む地道な過程を経なければ、本当の理解には届かない。近道を探したくなる気持ちを抑え、今いる段階を丁寧に踏むことが遠回りに見えて実は最短の道になる。
この章句が説くこと
段階基礎実践
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