論語 / 八佾篇
子夏問曰:「巧笑倩兮,美目盼兮,素以為絢兮。何謂也?」子曰:「繪事後素。」曰:「禮後乎?」子曰:「起予者商也!始可與言詩已矣。」
新字:子夏問曰:「巧笑倩兮,美目盼兮,素以為絢兮。何謂也?」子曰:「絵事後素。」曰:「礼後乎?」子曰:「起予者商也!始可与言詩已矣。」
書き下し
子夏問いて曰く、「巧笑倩たり、美目盼たり、素以て絢を為すとは、何の謂ぞや」と。子曰く、「絵事は素より後にす」と。曰く、「礼は後か」と。子曰く、「予を起こす者は商なり。始めて与に詩を言うべきのみ」と。
現代語訳
子夏が尋ねた。「『美しい笑顔にえくぼが愛らしく、澄んだ瞳がぱっちりと、白い下地があって彩りが映える』という詩は、どういう意味でしょうか。」孔子は答えた。「絵を描くには、まず白い下地があって、その後に彩色するものだ。」子夏が言った。「では、礼は(内面の素地の)後に来るものなのですね。」孔子は言った。「私を啓発してくれるのは商(子夏)だ。これでようやく、おまえと詩を語り合えるよ。」
解説
弟子の子夏との、味わい深い問答です。詩の一句をきっかけに、孔子は「絵は白い下地があってこそ彩りが映える(絵事後素)」と答えます。すると子夏は、それを「礼もまた、まごころという素地があってこそ意味を持つのですね」と自分で発展させました。孔子は「私を啓発してくれるのは君だ」と、弟子から学ぶ喜びを率直に表します。教える者が、教わる者の一言に触発される——学びは一方通行ではないのです。仕事でも、形(礼・ルール・体裁)だけを整えても、その土台となる中身(誠実さ・目的)がなければ空虚です。そして、部下や後輩の問いや発想から、上に立つ者が学ぶ姿勢。この双方向の学びこそ、組織を伸ばします。
この章句が説くこと
絵事後素基礎礼と誠素朴双方向の学び彩り
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