玉勝間 / 二の巻 松島の日記と云ふ物
清少納言が年老て後に、おくの松島に下りける、道の日記とて、やがて松しまの日記と名づけたる物、一册あり。珍らしくおぼえて、見けるに、はやくいみしき僞書にて、むげにつたなく見どころ無き物なり。さるは近きほど、古學をする者の作れる口つきとぞ聞えたる。すべて近き年頃は、さるいつはりぶみをつくり出るたぐひの、殊に多かる。えうなきすさびに、多くのいとまを入れ、心をもくだきて、世の人をまどはさんとするは、いかなるたふれ心にか有らむ。よく見る人の見るには、まこといつはりは、いとよく見えわかれて、いちじるけれど、さばかりなる人は、いといとまれにして、えしも見わかぬ者のみ、世には多かれば、むげの僞ぶみにもあざむかれて、たふとみもてはやすなるは、いともいともかたはらいたく、かなしきわざなり。近き頃は、世中にめづらしき書をえうずるともがら多きを、めづらしきは、まことの物ならぬが多きを、さる心して、よくえらぶべきわざぞかし。菅原ノ大臣の書き給へりと云ふ、須磨の記と云ふ物などは、やや世にひろごりて、誰れもまことと思ひたンめる、これはたいみしき僞書なるをや。斯かるたぐひ數知らず多し。なずらへて心すべし。
新字:清少納言が年老て後に、おくの松島に下りける、道の日記とて、やがて松しまの日記と名づけたる物、一册あり。珍らしくおぼえて、見けるに、はやくいみしき偽書にて、むげにつたなく見どころ無き物なり。さるは近きほど、古学をする者の作れる口つきとぞ聞えたる。すべて近き年頃は、さるいつはりぶみをつくり出るたぐひの、殊に多かる。えうなきすさびに、多くのいとまを入れ、心をもくだきて、世の人をまどはさんとするは、いかなるたふれ心にか有らむ。よく見る人の見るには、まこといつはりは、いとよく見えわかれて、いちじるけれど、さばかりなる人は、いといとまれにして、えしも見わかぬ者のみ、世には多かれば、むげの偽ぶみにもあざむかれて、たふとみもてはやすなるは、いともいともかたはらいたく、かなしきわざなり。近き頃は、世中にめづらしき書をえうずるともがら多きを、めづらしきは、まことの物ならぬが多きを、さる心して、よくえらぶべきわざぞかし。菅原ノ大臣の書き給へりと云ふ、須磨の記と云ふ物などは、やや世にひろごりて、誰れもまことと思ひたンめる、これはたいみしき偽書なるをや。斯かるたぐひ数知らず多し。なずらへて心すべし。
書き下し
清少納言が年老いて後に、おくの松島に下りける、道の日記とて、やがて松しまの日記と名づけたる物、一冊あり。珍らしくおぼえて、見けるに、はやくいみしき偽書にて、むげにつたなく見どころ無き物なり。さるは近きほど、古学をする者の作れる口つきとぞ聞こえたる。すべて近き年頃は、さるいつわりぶみをつくり出ずるたぐいの、殊に多かる。ようなきすさびに、多くのいとまを入れ、心をもくだきて、世の人をまどわさんとするは、いかなるたぶれ心にか有らむ。よく見る人の見るには、まこといつわりは、いとよく見えわかれて、いちじるけれど、さばかりなる人は、いといとまれにして、えしも見わかぬ者のみ、世には多かれば、むげの偽ぶみにもあざむかれて、たっとみもてはやすなるは、いともいともかたわらいたく、かなしきわざなり。近き頃は、世の中にめずらしき書をようずるともがら多きを、めずらしきは、まことの物ならぬが多きを、さる心して、よくえらぶべきわざぞかし。菅原の大臣の書き給えりと云う、須磨の記と云う物などは、やや世にひろごりて、誰れもまことと思いたんめる、これはたいみしき偽書なるをや。斯かるたぐい数知らず多し。なずらえて心すべし。
現代語訳
清少納言が年老いてから奥州の松島に下った道中の日記だといって、そのまま『松島日記』と名づけた書物が一冊ある。珍しく思って見てみると、まったくひどい偽書で、ひどく拙く見どころのないものである。実は近ごろ古学をする者が作った口ぶりと思われる。だいたい近年は、そのような偽書を作り出す類が特に多い。無用の慰みに多くの暇をかけ、心も砕いて、世の人を惑わそうとするのは、どういう狂った心であろうか。よく見る目のある人が見れば、本物か偽物かはたいへんよく見分けられて明らかだが、それほどの人はごくまれで、見分けられない者ばかりが世には多いので、ひどい偽書にも欺かれて、尊びもてはやしているのは、まったく見ていられず、悲しいことである。近ごろは世の中に珍しい書を求める人々が多いが、珍しいものには本物でないものが多いのだから、そのつもりでよく選ぶべきである。菅原の大臣(道真)がお書きになったという『須磨の記』というものなどは、やや世に広まって、誰もが本物と思っているようだが、これもまたひどい偽書である。このような類は数知れず多い。これになぞらえて用心すべきである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 古き物またそのかたを偽り作る事げに上つ代の人のしわざと見えて、其さまいみじく古めきたりければ、めずらかに覚えて、おのれも写し置きたりしを、猶いかにぞや、疑わしくはた覚えしかば、かの国にその社近き里に、弟子のあるが許へ、しかじかの物得たるは、いかなるにかと、問いにやりたりしもしるく、はやくいつわりにて、即ちかの社の神主飯田氏にも問いしに、更にかたも無き事なりと、云いおこせたりき。又同じ頃、檜垣嫗が、みずからきざみたる、ちいさき木の像の、肥後の国の、忘れたり、何とか云う所より、近く掘出たる、写しとて、ここかしこに写し伝えて、ひろまりたる、これはた、出たる本を尋ぬるに、確かなるように聞ゆれど、猶心得ぬ事有りて、疑わしくなむ。すべてこうようのたぐい、今はゆくりかにはうけ難きわざなり。心すべし。
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『玉勝間』八の巻 古き物またそのかたを偽り作る事近き頃は、古えを忍ぶともがら、世に多くして、何物にまれ、こだいの物とし云えば、もてはやしめずるから、国々より或るは古き社、古き寺などに、伝わりきたる物、或るは土の中より掘り出でなど、八百年千とせに、久しくうずもれたりし物どもも、つぎつぎにあらわれ出来る類い多し。さてしか古く珍しき物の出来れば、その物は更にも云わず、図をさえにうつして、つぎつぎ遠きさかいまでも、写し伝えて、もてあそぶを、又世には、あやしく偽りする、おこの者の有りて、是れはその国のその社に、おさまれる物ぞ、その国のなにがしの山より、掘り出たる、なにのかたぞなど、古き物をも図をも、つきづきしくおのれ造りいでて、人を惑わすたぐいも、又多きは、いといとあじきなく、心憂きわざなり。さいつ頃、古え甲斐の国の酒折宮にして、倭建の命の御歌の末をつぎたりし、火ともしの翁のかた、火揚の命の像としるしたる物を、かの酒折の社の屋根の板のはざまより、近き年出たるなりとて、写したるを、人の見せたる。
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『玉勝間』八の巻 今の人の歌文ひがこと多き事近き世の人のは、歌も文も、大かたはよろしと見ゆるにも、猶ひが事の多きぞかし。されど其のたがえるふしを、見知れる人はた世に無ければ、唯だかいなでに、此処かしこえんなる詞を使い、よしめきて、詠みなし書き散らしたるをば、誠に善しと見て、人のもてはやし、ほめたつれば、心をやりて、したり顔すめる、いとかたはら痛く、おこがましくさえぞ思わるる。さるにつけては、斯く云うおのが物する事も、猶いかにひが事有らむと、物よく見知れらむ人の心ぞ、恥しかりける。人のひが事の、よく見え分かるるにつけては、我はよくわきまえたれば、ひが事はせずと、思いほこれど、古えの事の心をさとり知るすじは、限り無きわざにし有れば、此外あらじとは、いとなん定め難きわざなりける。
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『玉勝間』十一の巻 旧事大成経と云ふ偽書の事撰先代旧事本紀と云う偽書七十二巻有り、先代旧事大成経とも云う。潮音と云いし僧、志摩の国の伊雑の宮の祠人某とあいはかりて、造れりしを、いつわり顕われて、天和元年に、かの二人ともに、流罪になりて、この書えれる板も焼き捨てられにき。潮音は、黄檗と云う流の禅ほうしなりしとぞ。
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『玉勝間』七の巻 物書くに心すべき事古は、かたえの人も、皆心明らかなりしかば、いかに書きても、読みたがうる事無かりしかばこそ有れ、今の世は、みずからこそ心得たらめ、かたえの人は、心得たらねば、ともすれば、読みたがえ、写しひがむるたぐいのみ多かれば、いかにももの書くには、心すべきわざぞと、おのれは思いとりてぞ在る。さればおのが癖にて、つねに物書くに、読みたがえやせん、写しひがめやせんとのみ、心するほどに、もとよりいといと拙き手をいとどしじかみて、かたわには有るなり。また古言などは、殊に人の読みたがえ、誤る事多きを、いかであやまらず、正しく読ましめんとする程に、さらでも有るべき所にも、度ごとに仮字づけしなどして、心高き人には、わらわるるを、みずからも且つは知りながら、しみつきたる癖は、世に離れがたきわざになん。
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『玉勝間』五の巻 いせ物語真名本の事そを思えば、これも昔の一つの本なりしを、後に真名には、書きなしたるにぞ有るべき。されば今も、一本には備うべきものなり。然るにいといと心得ぬ事は、わが縣居の大人の、この物語を解かれたるには、世のつねの仮字本をば、今本と云いて、ひたぶるにわろしとして、この真名本をしも、古本と云いて、こちたくほめて、ことごとくよろしとして用い、ともすればこのつたなき真字を、物の証にさえ引かれたるは、いかなる事にかあらん。さばかり古えの仮字の事を、つねに云わるるにも似ず、この本の、さばかり仮字のいたく乱れて、世につたなきなどをも、いかに見られけむ、かえすがえす心得ぬ事ぞかし。さて又近きころ、或る人の出だせる、旧本と云うなる、真名の本も一つ有り。それはかのもとのとは、こよなくまさりて、大かた今の京に成りての世の人の、及びがたき真字の書きざまなる所多し。さればこれもまことの古き本には有らず、やがて出だせる人の、みずからのしわざにぞ有りける。然か云う故は、まず今の京となりての書どもは、すべて仮字の清濁は、おさおさ差別無く用いたるを、この本は、ことごとく清濁を分け分けて、みだりならず。
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