論語 / 為政篇
子游問孝。子曰、今之孝者、是謂能養。至於犬馬、皆能有養。不敬、何以別乎。
書き下し
子游孝を問う。子曰く、「今の孝者は、是れ能く養うと謂う。犬馬に至るまで、皆能く養うこと有り。敬せずんば、何を以て別たんや。」
現代語訳
子游が孝を尋ねると、孔子は「今の人は親を養うことを孝と考えている。しかし犬や馬でも養うことはできる。敬う心がなければ、何が違うのか」と言った。
解説
子游が孝について尋ねると、孔子は「今の人は、親を養いさえすれば孝行だと考えている。しかし犬や馬でさえ養うことはできる。敬う心がなければ、それと何が違うだろうか」と答えました。ご飯を用意し、生活の面倒を見ることは、いわば当たり前の務めにすぎません。そこに敬う気持ちがなければ、相手を大切な一人の人としてではなく、ただ世話をする対象として扱っているのと変わらないのです。これは会社の上司と部下、あるいは介護や子育ての場面でも同じです。給料を払う、食事を用意する、身の回りを整える。それだけで満足せず、相手の考えや気持ちを尊重する態度があってこそ、本当の思いやりになります。
この章句が説くこと
孝敬心
関連する章句
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『洗心洞箚記』卷上・第百五十三條敬の斯須も離るべからざるや、愚かなる読書者と雖も則ち皆之を知る。然れども人徒に敬を倡へて、其の道を尽くさざれば、則ち却つて不敬なり。夫れ敬の体用は、徹して大なり。易に曰く、「敬以て内を直くす」と。大学に曰く、「敬して止まる」と。曲礼に曰く、「敬せざること毋れ、儼として思ふが如くし、辞を安定にせば、民を安んぜんかな」と。是の故に敬と云へば、則ち心直し、心至善に止まる。然る後其の体立つ。容貌常に惰廃暴慢の状有るべからず、言辞常に過黙多言と戯謔の失有るべからず、而して家人常に猥雑乱濁の行無し。然る後其の用行はる。是に於て始めて敬を尊ぶと謂ふべきのみ。否ざれば則ち口に敬して、内外倶に其の実無し。之を敬と謂ひて可ならんや。故に吾輩真に工夫を此の一字に用ふれば、則ち身修まりて家斉ふに庶幾からん。
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言志四録・言志耋録 第二百八十六条 敬は終身の孝人道は敬に在り。敬は固より終身の孝為り。我が躯を以て親の遺と為せばなり。一息尚ほ存せば、自ら敬するを忘る可けんや。
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『関聖帝君覚世真経』第二段・天地を敬し、神明を礼す天地を敬し、神明を礼し、祖先を奉じ、双親に孝に、王法を守り、師尊を重んじ、兄弟を愛し、朋友に信あり、宗族に睦まじく、郷隣に和し、夫婦を敬し、子孫を教ふ。
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『洗心洞箚記』卷上・第四條身体髪膚、之を父母に受く。敢へて毀傷せざるは、孝の始めなり。吾惟ふに心の徳は、之を天に受く。敢へて其の徳を毀傷せざるは、孝の要なり。身外の虚なる者は、即ち吾が心の本体なり。故に曰く、大を語れば天下も能く載する莫しと。
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『翁問答』上卷之本天地万物皆神明霊光の中に生化する者なる故に、よりて我心の孝徳明らかなれば、神明に通し四海に明らかなるものなり、故に我心の孝徳を明らかにして、天地万物に通ずるやうに心がけを以て、人間第一のつとめとす、しかるを以て、天地万物皆我本心孝徳の中に在る物なり、迷へる人は心のうちに計り有ると思へ共、根本は心の中に生し出たる身なり、然る故に悟りたる眼には、内外幽明有無の差別なし、五倫の道を外と見ていとひ棄て、内外幽明有無の二見を立つるは悟りに似たる迷なり、
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『大和俗訓』巻之三・心術上一敬はつつしむと訓ず。つつしむとは、心に戒めおそるるを云ふ。和語の意はつつむなり。しはやすめ字なり。内につつんで、みだりに外に出さざるなり。敬めば本心をたもちて失はず、行ひなす事理にかなひてあやまりなし。ここを以て、敬は一心のまもり、万善の根本なり。故に敬めば身修り、敬まざれば乱る。万のこと、敬まざることなかれ。万善皆つつしみによつて行はれ、万悪皆不敬よりおこる。故に五常の徳是によつて立ち、五倫の道是によつて行はる。ここを以て、聖学は敬を以て要とす。故に聖学の始終、皆敬を以て宗とす。古来聖賢の心法、皆敬の一字を要とす。学者の尤つとむべき所なり。又よくつつしめば福あり。つつしまざれば禍あり。白楽天も、禍と福とは慎むと慎まざるとに在りといへり。身のわざはひは、皆つつしまざるによれり。故につつしみは禍にかつといへり。
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