玉勝間 / 二の巻 あらたに云ひ出たる説はとみに人のうけひかぬ事
大かた世の常にことなる、新しき說をおこす時には、善きあしきを云はず、まづ一わたりは、世中の學者ににくまれそしらるるものなり。あるはおのがもとよりより來つる說と、いたく異なるを聞ては、善きあしきを味ひ考ふるまでも無く、始めよりひたぶるに捨てて、取りあげざる者もあり。あるは心のうちには、げにと思ふふしも多くある物から、さすがに近き人のことに從はむ事のねたくて、善しとも惡しとも云はで、唯だうけぬかほして過すたぐひも有り。あるはねたむ心のすすめるは、心にはよしと思ひながら、其中の疵をあながちにもとめ出て、すべてを云ひけたむとかまふる者も有り。大かた古き說をば、十が中に七ッ八ッは惡しきをも、惡しき所をばおほひかくして、わづかに二ッ三ッのとるべき所の有るをとりたてて、力のかぎりたすけ用ひんとし、新しきは、十に八ッ九ッよくても、一ッ二ッのわろきことを云ひたてて、八ッ九ッの善き事をも、おしけちて、ちからのかぎりは、我も用ひず、人にも用ひさせじとする、こは大かたの學者のならひなり。
新字:大かた世の常にことなる、新しき説をおこす時には、善きあしきを云はず、まづ一わたりは、世中の学者ににくまれそしらるるものなり。あるはおのがもとよりより来つる説と、いたく異なるを聞ては、善きあしきを味ひ考ふるまでも無く、始めよりひたぶるに捨てて、取りあげざる者もあり。あるは心のうちには、げにと思ふふしも多くある物から、さすがに近き人のことに従はむ事のねたくて、善しとも悪しとも云はで、唯だうけぬかほして過すたぐひも有り。あるはねたむ心のすすめるは、心にはよしと思ひながら、其中の疵をあながちにもとめ出て、すべてを云ひけたむとかまふる者も有り。大かた古き説をば、十が中に七ッ八ッは悪しきをも、悪しき所をばおほひかくして、わづかに二ッ三ッのとるべき所の有るをとりたてて、力のかぎりたすけ用ひんとし、新しきは、十に八ッ九ッよくても、一ッ二ッのわろきことを云ひたてて、八ッ九ッの善き事をも、おしけちて、ちからのかぎりは、我も用ひず、人にも用ひさせじとする、こは大かたの学者のならひなり。
書き下し
大かた世の常にことなる、新しき説をおこす時には、善きあしきを云わず、まず一わたりは、世の中の学者ににくまれそしらるるものなり。あるはおのがもとよりより来つる説と、いたく異なるを聞きては、善きあしきを味わい考うるまでも無く、始めよりひたぶるに捨てて、取りあげざる者もあり。あるは心のうちには、げにと思うふしも多くある物から、さすがに近き人のことに従わむ事のねたくて、善しとも悪しとも云わで、ただうけぬかおして過ごすたぐいも有り。あるはねたむ心のすすめるは、心にはよしと思いながら、その中の疵をあながちにもとめ出でて、すべてを云いけたむとかまうる者も有り。大かた古き説をば、十が中に七つ八つは悪しきをも、悪しき所をばおおいかくして、わずかに二つ三つのとるべき所の有るをとりたてて、力のかぎりたすけ用いんとし、新しきは、十に八つ九つよくても、一つ二つのわろきことを云いたてて、八つ九つの善き事をも、おしけちて、ちからのかぎりは、我も用いず、人にも用いさせじとする、こは大かたの学者のならいなり。
現代語訳
だいたい世の常と違う新しい説を立てるときには、良し悪しにかかわらず、まずひととおりは世の学者に憎まれ、そしられるものである。あるいは、自分が以前から拠ってきた説とひどく異なるのを聞くと、良し悪しを味わい考えるまでもなく、はじめからひたすら捨てて取り上げない者もいる。あるいは、心の中ではなるほどと思う点も多くあるのだが、さすがに身近な人の言うことに従うのが癪で、良いとも悪いとも言わず、ただ受け入れない顔をして過ごす類もいる。あるいは、妬む心がつのった者は、心では良いと思いながら、その中の疵を無理に探し出して、全体を言い消そうとたくらむ者もいる。だいたい古い説なら、十のうち七つ八つは悪くても、悪い所は覆い隠して、わずか二つ三つの取るべき所があるのを取り立てて、力の限り助けて用いようとし、新しい説は、十のうち八つ九つが良くても、一つ二つの悪い所を言い立てて、八つ九つの良い所まで押し消して、力の限り、自分も用いず人にも用いさせまいとする。これが大方の学者の習いである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 あらたに云ひ出たる説はとみに人のうけひかぬ事然れどもまたまれまれには、新なる説の善きを聞きては、古きが悪しき事をさとりて、すみやかに改め従うたぐいも、無きにはあらず。古きをいかにぞや思いて、かくはあらじかとまでは思いよれども、みずから定むる力無くて、疑わしながら、さて有るなどは、あらたなる善き説を聞きては、斯くてこそはと、いみしく喜びつつ、たちまちに従うたぐいも有りかし。大かた新なる説は、いかに善くても、すみやかには用うる人まれなるものなれど、善きは、年をへても、おのずからつひには世の人のしたがうものにて、あまねく用いらるれば、その時にいたりては、始めにねたみそしりしともがらも、心には悔しく思えど、おくればせに従わむも、猶ねたく、人わろくおぼえて、心よからずながら、古きをまもりてやむともがらも多かり。しか世の中の論さだまりて、皆人のしたがう世に成りては、始めよりすみやかに改めしたがいつる人は、かしこく心さとく思われ、古きにかかずらいて、とかくとどこおれる人は、心おそく云うかいなく思わるるわざぞかし。
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『玉勝間』一の巻 あらたなる説を出す事ちかき世、学問の道ひらけて、大かた万のとりまかない、さとくかしこくなりぬるから、とりどりにあらたなる説を出す人おおく、その説よろしければ、世にもてはやさるるによりて、なべての学者、いまだよくもととのわぬ程より、我れおとらじと、世にことなるめづらしき説を出して、人の耳をおどろかす事、今の世のならいなり。その中には、ずいぶんによろしきことも、まれには出でくめれど、大かたいまだしき学者の、心はやりて云い出ずる事は、ただ人にまさらむ勝たむの心にて、かろがろしく、まえしりえをもよくも考え合わさず、思い依れるままにうち出ずる故に、多くはなかなかなるいみしきひが事のみなり。すべて新たなる説を出すは、いと大事なり。いくたびもかえさい思いて、よく確かなるよりどころを捉え、いづくまでも行きとおりて、たがう所無く、動くまじきにあらずは、たやすくは出すまじきわざなり。その時には、うけばりて善しと思うも、ほどへて後に、今一たびよく思えば、なお悪ろかりけりと、我ながらだに思いならるる事の多きぞかし。
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『玉勝間』四の巻 前後と説のかはる事同じ人の説の、こことかしこと行きちがいて、ひとしからざるは、いづれによるべきぞと、まどわしくて、大かたその人の説、すべて浮きたる心地のせらるる、そは一わたりはさる事なれども、なおさしも有らず。初めより終りまで、説のかわれる事無きは、なかなかにおかしからぬかたも有るぞかし。初めに定めおきつる事の、ほどへて後に、またことなるよき考えの出で来るは、常にある事なれば、初めとかわれる事あるこそよけれ。年をへて、学問進みゆけば、説は必ずかわらでかなわず。またおのがはじめの誤りを、後に知りながらは、つつみかくさで、きよく改めたるも、いと善き事なり。殊にわが古学の道は、近きほどより開けそめつる事なれば、すみやかに尽くは考えつくすべきに有らず。人を経、年を経てこそ、つぎつぎに明らかには成りゆくべきわざなれば、一人のときごとの中にも、さきなると後なると異なる事は、もとより有らではえ有らぬわざなり。そは一人の生のかぎりの程にも、つぎつぎ明らかに成りゆくなり。さればそのさきのと後のとの中には、後の方をぞ、その人の定まれる説とはすべかりける。
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『玉勝間』二の巻 師の説になづまざる事おのれ古典を解くに、師の説とたがえること多く、師の説の悪ろき事あるをば、わきまえ云う事も多かるを、いとあるまじき事と思う人おおかんめれど、これすなわちわが師の心にて、常におしえられしは、後に善き考えの出で来たらんには、必ずしも師の説にたがうとて、なはばかりそとなむ、教えられし。こはいとたっとき教えにて、わが師の、世にすぐれ給える一つなり。大かた古をかむがうる事、さらにひとり二人の力もて、ことごとくあきらめ尽くすべくもあらず。またよき人の説ならんからに、多くの中には、誤りもなどか無からむ、必ず悪ろき事もまじらではえ有らず。そのおのが心には、今は古のこころことごとく明らかなり、これをおきては、有るべくも有らずと、思い定めたる事も、おもいの外に、また人のことなる善き考えも出で来るわざなり。あまたの年を経るまにまに、さきざきの考えのうえを、なおよく考えきわむるからに、つぎつぎにくわしく成りもて行くわざなれば、師の説なりとて、必ずなずみ守るべきにも有らず。善き悪しきを云わず、ひたぶるに古きをまもるは、学問の道には、云うかいなきわざなり。
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『玉勝間』二の巻 又この近き年頃となりては、ようように古学のよき事を、世にも知れるともがらあまた出で来て、物よくわきまえたる人は、多く契沖をたっとむめり。そもそも契沖のよき事を知る者ならば、かれよりもわが縣居の大人の、また勝りてよき事は、おのずから知るらんに、猶契沖にしもとどまりて、今一きざみえすすまざるは、いかにぞや。また縣居の大人までは、すすめども、その後の人の説は、猶とらじとするも、同じ事にて、これみな俗にまけ惜しみとか云うすじにて、心ぎたなきわざなるを、必ず学者の心は、多くさるものなりかし、
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『玉勝間』四の巻 ひとむきにかたよることの論ひ世の物知り人の、他の説の悪しきをとがめず、一むきにかたよらず、これをもかれをも捨てぬさまに論をなすは、多くはおのが思いとりたる趣をまげて、世の人の心に、洽くかなえむとするものにて、まことに有らず、心ぎたなし。たとい世の人は、いかにそしるとも、わが思う筋をまげて、従うべき事にはあらず、人のほめそしりにはかかわるまじきわざぞ。大かた一むきにかたよりて、他説をば、悪ろしととがむるをば、心せばく善からぬ事とし、ひとむきにはかたよらず、他説をも、悪ろしとは云わぬを、心ひろくおいらかにて、善しとするは、なべての人の心なめれど、必ずそれさしも善き事にもあらず。よる所定まりて、そを深く信ずる心ならば、必ずひとむきにこそよるべけれ、それにたがえる筋をば、とるべきに有らず。善しとしてよる所に異なるは、皆悪しきなり、これ善ければ、かれは必ず悪しきことわりぞかし。然るをこれも善し、またかれも悪しからずと云うは、よる所さだまらず、信ずべき所を、深く信ぜざるものなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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