史記 / 白起王翦列伝
白起者、郿人也。善用兵、事秦昭王。四十七年、秦使王齕攻韓、取上黨。趙軍長平。秦人詐令武安君白起將。白起挂旗、大破趙括、坑殺趙降卒四十餘萬。四十八年、韓趙恐、使蘇代厚幣說秦相應侯曰、武安君所為秦戰勝攻取者七十餘城、雖周召呂望之功不益於此矣。今趙亡秦王王、則武安君必為三公、君能為之下乎。不如因而割之、無以為武安君功也。於是應侯言於秦王、請許韓趙之割地以和。武安君聞之、由是與應侯有隙。
新字:白起者、郿人也。善用兵、事秦昭王。四十七年、秦使王齕攻韓、取上党。趙軍長平。秦人詐令武安君白起将。白起挂旗、大破趙括、坑殺趙降卒四十余万。四十八年、韓趙恐、使蘇代厚幣説秦相応侯曰、武安君所為秦戦勝攻取者七十余城、雖周召呂望之功不益於此矣。今趙亡秦王王、則武安君必為三公、君能為之下乎。不如因而割之、無以為武安君功也。於是応侯言於秦王、請許韓趙之割地以和。武安君聞之、由是与応侯有隙。
書き下し
白起は、郿の人なり。善く兵を用ひ、秦の昭王に事ふ。四十七年、秦王齕をして韓を攻め、上党を取らしむ。趙長平に軍す。秦人詐りて武安君白起をして将たらしむ。白起、趙括を大破し、趙の降卒四十余万を坑殺す。四十八年、韓趙恐れ、蘇代をして幣を厚くして秦の相応侯に説かしめて曰く、「武安君の秦の為に戦勝攻取する所の者七十余城、周・召・呂望の功と雖も此に益さざるなり。今趙亡び秦王王たらば、則ち武安君必ず三公と為らん、君能く之が下と為らんや。因りて之を割かしめ、以て武安君の功と為す無きに如かず」と。是に於いて応侯秦王に言ひ、韓趙の地を割きて以て和するを許さんことを請ふ。武安君之を聞き、是に由りて応侯と隙有り。
現代語訳
白起は郿の人である。兵を用いるのが巧みで、秦の昭王に仕えた。四十七年、秦王は王齕に韓を攻めさせ、上党を取らせた。趙は長平に布陣した。秦は策を用いて、ひそかに武安君・白起を将とした。白起は趙括を大破し、降伏した趙の兵四十余万を生き埋めにした。四十八年、韓と趙は恐れ、蘇代に多くの財貨を持たせて秦の宰相・応侯(范睢)に説かせた。「武安君が秦のために戦って攻め取った城は七十余りにのぼります。周公・召公・呂望の功績をもってしても、これに勝るものではありません。今、趙が滅んで秦王が天下の王となれば、武安君は必ず三公となりましょう。あなたはその下につくことができますか。それよりも、韓と趙に領土を割かせて和睦し、武安君に功を立てさせないほうがよいのではありませんか」。そこで応侯は秦王に進言し、韓と趙の地を割いて和睦を許すよう請うた。武安君はこれを聞き、以来、応侯と不仲になった。