洗心洞箚記 / 卷下・第十條
呂新吾先生曰、古人名望相近則相得、今人名望相近則相妬、吁、其相妬也、以有一點利心也、一點利心、使碩學鴻儒化爲妾婦態、則其亦可恐者也、故童穉入學時、令去其心、惟是敎者之責耳、惟是學者之工耳、而文字咿唔其餘事也、
新字:呂新吾先生曰、古人名望相近則相得、今人名望相近則相妬、吁、其相妬也、以有一点利心也、一点利心、使碩学鴻儒化為妾婦態、則其亦可恐者也、故童穉入学時、令去其心、惟是教者之責耳、惟是学者之工耳、而文字咿唔其余事也、
書き下し
呂新吾先生曰く、古人は名望相近ければ則ち相得、今人は名望相近ければ則ち相妬むと。吁、其の相妬むや、一点の利心有るを以てなり。一点の利心、碩学鴻儒をして化して妾婦の態と為らしむれば、則ち其れ亦恐るべき者なり。故に童穉の学に入る時、其の心を去らしむるは、惟だ是れ教ふる者の責のみ、惟だ是れ学ぶ者の工のみ。而して文字の咿唔は其の余事なり。
現代語訳
呂新吾先生(呂坤)は「昔の人は名声が近いと互いに打ち解け、今の人は名声が近いと互いにねたむ」と言った。ああ、互いにねたむのは、わずかな利の心があるからである。わずかな利の心が、大学者や大儒を変えて、へつらう妾のような卑しいふるまいにさせるのだから、これもまた恐るべきものである。だから子どもが学びに入るときに、その心を取り去らせることこそが、教える者の責任であり、学ぶ者の工夫である。文字を声に出して読むことなどは、そのあとのことである。
解説
呂坤の『呻吟語』を引き、名声の近い者どうしがねたみ合うのは、わずかな利の心があるからだと説く条である。その利の心は大学者をも卑しいふるまいに変えてしまうので、幼い子が学び始めるときにまず取り除くべきで、文字を読むことはその次だと中斎は言う。学問の目的を知識の量ではなく心を正すことに置く陽明学の教育観である。同業者や同僚の評価が近いほど張り合いがねたみに変わりやすいことは今の職場でもよく見る光景で、まず自分の利心に気づけという戒めとなる。
この章句が説くこと
利心嫉妬教育学問修己呂坤
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