史記 / 老子韓非列伝
人或傳其書至秦。秦王見孤憤・五蠹之書、曰、嗟乎、寡人得見此人與之游、死不恨矣。李斯曰、此韓非之所著書也。秦因急攻韓。韓王始不用非、及急、乃遣非使秦。秦王悅之、未信用。李斯・姚賈害之、毀之曰、韓非、韓之諸公子也。今王欲并諸侯、非終為韓不為秦、此人之情也。今王不用、久留而歸之、此自遺患也、不如以過法誅之。秦王以為然、下吏治非。李斯使人遺非藥、使自殺。韓非欲自陳、不得見。秦王後悔之、使人赦之、非已死矣。申子・韓子皆著書、傳於後世、學者多有。余獨悲韓子為說難而不能自脫耳。
新字:人或伝其書至秦。秦王見孤憤・五蠹之書、曰、嗟乎、寡人得見此人与之游、死不恨矣。李斯曰、此韓非之所著書也。秦因急攻韓。韓王始不用非、及急、乃遣非使秦。秦王悦之、未信用。李斯・姚賈害之、毀之曰、韓非、韓之諸公子也。今王欲并諸侯、非終為韓不為秦、此人之情也。今王不用、久留而帰之、此自遺患也、不如以過法誅之。秦王以為然、下吏治非。李斯使人遺非薬、使自殺。韓非欲自陳、不得見。秦王後悔之、使人赦之、非已死矣。申子・韓子皆著書、伝於後世、学者多有。余独悲韓子為説難而不能自脱耳。
書き下し
人或いは其の書を伝へて秦に至る。秦王、孤憤・五蠹の書を見て曰く、「嗟乎、寡人此の人を見、之と游ぶを得ば、死すとも恨みじ」と。李斯曰く、「此れ韓非の著す所の書なり」と。秦因りて急に韓を攻む。韓王、始め非を用ゐず、急なるに及び、乃ち非を遣り秦に使ひせしむ。秦王之を悦ぶも、未だ信用せず。李斯・姚賈之を害み、之を毀りて曰く、「韓非は韓の諸公子なり。今王、諸侯を并せんと欲するに、非は終に韓の為にして秦の為にせず、此れ人の情なり。今王用ゐずして久しく留めて之を帰すは、此れ自ら患ひを遺すなり。過法を以て之を誅するに如かず」と。秦王、以て然りと為し、吏に下して非を治む。李斯、人をして非に薬を遺らしめ、自殺せしむ。韓非、自ら陳べんと欲するも、見ゆるを得ず。秦王後に之を悔い、人をして之を赦さしむるに、非已に死せり。申子・韓子皆書を著し、後世に伝はり、学ぶ者多く有り。余独り韓子の説難を為りて自ら脱する能はざりしを悲しむのみ。
現代語訳
ある者が韓非の書を秦にもたらした。秦王(後の始皇帝)は「孤憤」「五蠹」を読んで「ああ、この人物に会って交わることができたら、死んでも悔いはない」と嘆じた。李斯が「これは韓非の著書です」と告げた。秦はこれをきっかけに韓を急襲した。韓王は初め韓非を用いなかったが、危機になって韓非を秦への使者に立てた。秦王は韓非を気に入ったが、まだ信用して用いてはいなかった。すると同門の李斯と姚賈が韓非をねたみ、こう讒言した。「韓非は韓の公子です。今、王が諸侯を併呑しようとしているのに、韓非は結局は韓のために動き、秦のためには働きません。これが人情です。用いないまま長く留めて帰せば、後々の禍いになります。適当な罪を着せて処刑するに越したことはありません」。秦王はもっともだと思い、韓非を役人に引き渡して裁かせた。李斯は人をやって韓非に毒薬を届け、自殺を迫った。韓非は直接弁明しようとしたが、王に会うことができなかった。秦王は後になって後悔し、赦免の使者を送ったが、韓非はすでに死んでいた。申不害も韓非も書を著して後世に伝え、学ぶ者は多い。私はただ、韓非が「説難(説くことの難しさ)」を書きながら、自分自身は窮地から脱することができなかったことを、深く悲しむのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』成公十七年 晋の厲公、三郤を疑う十二月、盧降る。國勝をして難を晉に告げしめ、命を清に待たしむ。晉の厲公侈(おご)りて、外嬖多し。鄢陵より反(かへ)り、盡く群大夫を去りて其の左右を立てんと欲す。胥童、胥克の廢せらるるを以て、郤氏を怨み、而して厲公に嬖せらる。郤錡、夷陽五の田を奪ふ。五も亦た厲公に嬖せらる。郤犨、長魚矯と田を爭ひ、執へて之を梏(こく)し、其の父母妻子と轅(ながえ)を同一にす。既にして矯も亦た厲公に嬖せらる。欒書、郤至を怨む、其の己に從はずして楚師を敗りしを以てなり。之を廢せんと欲す。楚の公子茷をして公に告げしめて曰く、「此の戰ひや、郤至實に寡君を召けり。東師の未だ至らざると、軍帥の具はらざるとを以て、曰く、『此れ必ず敗れん。吾因りて孫周を奉じて以て君に事へん』と」と。公、欒書に告ぐ。書曰く、「其れ有らん。然らずんば、豈に其の死を之れ恤(うれ)へずして、敵の使を受けんや。君盍(なん)ぞ嘗みに諸を周に使はして之を察せざる」と。郤至、周に聘す。欒書、孫周をして之に見えしむ。公、之を覘(うかが)はしむるに信なり。遂に郤至を怨む。厲公田(かり)す。婦人と先づ殺して酒を飲み、後に大夫をして殺さしむ。郤至、豕を奉ず。寺人孟張、之を奪ふ。郤至、射て之を殺す。公曰く、
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史記 司馬穰苴列伝已にして大夫鮑氏・高・国の属之を害み、景公に譖る。景公、穰苴を退く。苴、疾を発して死す。田乞・田豹の徒、此れに由り高・国等を怨む。其の後、田常の簡公を殺すに及び、尽く高子・国子の族を滅ぼす。常の曾孫和に至り、因りて自立して斉の威王と為り、兵を用ゐ威を行ふに、大いに穰苴の法に放ひ、而して諸侯斉に朝す。
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『春秋左氏伝』成公十六年 穆姜、二子を逐わしむ宣伯穆姜に通じ、季・孟を去りて、其の室を取らんと欲す。將に行かんとす。穆姜公を送りて、二子を逐はしめんとす。公晉の難を以って告げて曰く、「請ふ反りて命を聽かん」と。姜怒る。公子偃・公子鉏、趨り過ぐ。之を指して曰く、「女可かずんば、是れ皆君なり」と。公壞隤に待ち、宮を申ね儆備し、守を設けて而る後に行く。是を以って後る。孟獻子をして公宮を守らしむ。秋、沙隨に會す。鄭を伐たんことを謀るなり。宣伯郤犨に告げしめて曰く、「魯侯壞隤に待つ、以って勝者を待つなり」と。郤犨新軍に將たり、且つ公族大夫為り、以って東諸侯を主る。貨を宣伯に取りて、公を晉侯に訴ふ。晉侯公に見えず。曹人晉に請ひて曰く、「我が先君宣公即世してより、國人曰く、『之を若何せん』と。憂ひ猶ほ未だ弭まず。而るに又我が寡君を討ち、以って曹國の社稷の鎮たる公子を亡はしむ。是れ大いに曹を泯ぼすなり。先君乃ち罪有る無からんや。若し罪有らば、則ち君諸を會に列せり。君唯だ德刑を遺れずして、以って諸侯に伯たり。豈に獨り諸を敝邑に遺れんや。敢へて私かに之を布く」と。
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史記 晋世家遂に与に戦ふ。癸巳、射て楚の共王の目に中て、楚の兵鄢陵に敗る。子反余兵を収め、拊循して復た戦はんと欲す。晋之を患ふ。共王子反を召す。其の侍者豎陽穀酒を進む。子反酔ひて、見ゆること能はず。王怒り、子反を譲む。子反死す。王遂に兵を引きて帰る。晋此に由りて諸侯に威あり、以て天下に令して覇を求めんと欲す。厲公外嬖の姫多し。帰りて、尽く群大夫を去りて諸姫の兄弟を立てんと欲す。寵姫の兄を胥童と曰ふ。嘗て郤至と怨み有り。及び欒書も又郤至の其の計を用ひずして遂に楚を敗りしを怨む。乃ち人をして間に楚に謝せしむ。楚来たりて厲公を詐りて曰く、「鄢陵の戦ひは、実に至楚を召し、乱を作さんと欲し、子周を内れて之を立てんとす。会々与国具はらず。是を以て事成らず」と。厲公欒書に告ぐ。欒書曰く、「其れ殆ど有らん。願はくは公試みに人をして周に之かしめて微かに之を考へしめよ」と。果たして郤至を周に使ひせしむ。欒書又公子周をして郤至に見えしむ。郤至売らるるを知らざるなり。厲公之を験みて、信に然りとし、遂に郤至を怨み、之を殺さんと欲す。八年、厲公猟し、姫と飲む。郤至豕を殺して奉進す。宦者之を奪ふ。郤至宦者を射殺す。公怒りて曰く、「季子予を欺く」と。将に三郤を誅せんとして、未だ発せず。郤鉤公を攻めんと欲して曰く、「我死すと雖も、公も亦た病まん」と。郤至曰く、「信は君に反かず、智は民を害せず、勇は乱を作さず。此の三つの者を失はば、誰か我に与せん。我死せんのみ」と。十二月壬午、公胥童をして兵八百人を以て三郤を襲攻して殺さしむ。胥童因りて以て欒書・中行偃を朝に劫かして曰く、「二子を殺さずんば、患必ず公に及ばん」と。公曰く、「一旦にして三卿を殺す。寡人益すに忍びず」と。対へて曰く、「人将に君に忍ばんとす」と。公聴かず。欒書等に謝するに郤氏の罪を誅するを以てし、「大夫位に復せ」と。二子頓首して曰く、「幸甚、幸甚」と。公胥童をして卿と為らしむ。
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国語・晋語六既に戦いて、王子発鉤(はっこう)を獲たり。欒書王子発鉤に謂いて曰く、「子君に告げて曰え、『郤至人をして王に戦いを勧めしむ、斉・魯の未だ至らざるに及べと。且つ夫れ戦うや、郤至微(な)かりせば王必ず免れざりしならん』と。吾子を帰さん」と。発鉤君に告ぐ。君欒書に告ぐ。欒書曰く、「臣固(もと)より之を聞く。郤至難を為さんと欲し、苦成叔をして斉・魯の師を緩めしめ、己は君に戦いを勧め、戦い敗れば、将に孫周(そんしゅう)を納れんとす。事成らず、故に楚王を免る。然れども戦いて擅(ほしいまま)に国君を捨て、其の問(おくりもの)を受く、亦た大罪ならずや。且つ今君若し之を周に使いせしめば、必ず孫周に見えん」と。君曰く、「諾」と。欒書人をして孫周に謂わしめて曰く、「郤至将に往かんとす、必ず之に見えよ」と。郤至周に聘す。公之を覘(うかが)わしむるに、孫周に見ゆ。是の故に胥之昧(しょしまい)と夷羊五(いようご)とをして郤至・苦成叔及び郤錡(げきき)を刺さしむ。郤錡郤至に謂いて曰く、「君我に道ならず。我吾が宗と吾が党とを以て夾(はさ)みて之を攻めんと欲す。死すと雖も必ず敗らん、君必ず危うからん、其れ可ならんか」と。郤至曰く、「不可なり。至之を聞く、武人は乱さず、智人は詐らず、仁人は党せず。夫れ君の富を利とし、富みて以て党を聚め、党を利として以て君を危うくせば、君の我を殺すや後(おそ)し。且つ衆何の罪かあらん。鈞(ひと)しく之れ死するなり、君の命を聴くに若かず」と。是の故に皆自殺す。既に三郤を刺し、欒書厲公を弑し、乃ち孫周を納れて之を立つ、実に悼公為り。
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史記 孟嘗君列伝居ること数年、人或ひと孟嘗君を斉の湣王に毀りて曰く、「孟嘗君将に乱を為さんとす」と。田甲の湣王を劫かすに及び、湣王意に孟嘗君を疑ふ、孟嘗君乃ち奔る。魏子の粟を与へし所の賢者これを聞き、乃ち上書して孟嘗君の乱を作さざるを言ひ、身を以て盟と為さんことを請ひ、遂に宮門に自剄して以て孟嘗君を明らかにす。湣王乃ち驚き、而して蹤跡験問す、孟嘗君果たして反謀無し、乃ちまた孟嘗君を召す。孟嘗君因りて病を謝し、帰りて薛に老せんとす。湣王これを許す。その後、秦の亡将呂礼斉に相たり、蘇代を困しめんと欲す。代乃ち孟嘗君に謂ひて曰く、「周最の斉に於けるや、至って厚し、而るに斉王これを逐ひ、而して親弗の呂礼を相とするを聴くは、秦を取らんと欲すればなり。斉・秦合せば、則ち親弗と呂礼と重からん。用ひらるる有らば、斉・秦必ず君を軽んぜん。君は急ぎ兵を北し、趙に趨きて以て秦・魏と和し、周最を収めて以て行ひを厚くし、且つ斉王の信を反し、また天下の変を禁ずるに如かず。斉に秦無くんば、則ち天下斉に集まり、親弗必ず走らん、則ち斉王孰と与にその国を為めん」と。是に於いて孟嘗君その計に従ふ、而して呂礼孟嘗君を嫉み害せんとす。孟嘗君懼れ、乃ち秦の相穣侯魏冉に書を遺りて曰く、「吾聞く、秦は呂礼を以て斉を収めんと欲すと。斉は天下の彊国なり、子必ず軽んぜられん。斉・秦相取りて以て三晋に臨まば、呂礼必ず并せて相たらん、是れ子は斉に通じて以て呂礼を重くするなり。若し斉天下の兵を免れば、その子を讎とすること必ず深からん。子は秦王に勧めて斉を伐たしむるに如かず。斉破れなば、吾請ふ得る所を以て子を封ぜん。斉破れなば、秦は晋の彊きを畏れ、秦必ず子を重んじて以て晋を取らん。晋国は斉に敝れて秦を畏れ、晋必ず子を重んじて以て秦を取らん。是れ子は斉を破りて以て功と為し、晋を挟みて以て重きを為すなり。是れ子は斉を破りて封を定め、秦・晋交々子を重んずるなり。若し斉破れずして、呂礼また用ひらるれば、子必ず大いに窮せん」と。
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