玉勝間 / 二の巻 風雅集の事
風雅集に、後宇多ノ天皇の大御歌、「天つ神國つやしろをいはひてぞわがあし原の國はをさまる。これぞ道の意にはよくかなへる大御歌なりける。人の國のごと、くさぐさこちたきわざはせさせ給はざりしかども、ただ神をいつきまつり給ひて、天の下のいとよく治まりつるは、神の御國のすぐれたるにて、上つ代はまことに然かぞ有しか、同集賀ノ部に、花山ノ院ノ前ノ内大臣、「我君のやまと島根を出る日はもろこしまでもあふがざらめや。これも道の意にかなへる歌なり。
新字:風雅集に、後宇多ノ天皇の大御歌、「天つ神国つやしろをいはひてぞわがあし原の国はをさまる。これぞ道の意にはよくかなへる大御歌なりける。人の国のごと、くさぐさこちたきわざはせさせ給はざりしかども、ただ神をいつきまつり給ひて、天の下のいとよく治まりつるは、神の御国のすぐれたるにて、上つ代はまことに然かぞ有しか、同集賀ノ部に、花山ノ院ノ前ノ内大臣、「我君のやまと島根を出る日はもろこしまでもあふがざらめや。これも道の意にかなへる歌なり。
書き下し
風雅集に、後宇多の天皇の大御歌、「天つ神国つやしろをいわいてぞわがあし原の国はおさまる。これぞ道の意にはよくかなえる大御歌なりける。人の国のごと、くさぐさこちたきわざはせさせ給わざりしかども、ただ神をいつきまつり給いて、天の下のいとよく治まりつるは、神の御国のすぐれたるにて、上つ代はまことに然かぞ有りしか、同集賀の部に、花山の院の前の内大臣、「我君のやまと島根を出ずる日はもろこしまでもあおがざらめや。これも道の意にかなえる歌なり。
現代語訳
『風雅集』に、後宇多天皇の御製、「天つ神と国つ神の社を祀ってこそ、わが葦原の国は治まるのだ」。これこそ道の心によくかなった御製である。よその国のように、いろいろと煩わしいことはなさらなかったけれども、ただ神をお祀りになって天下がたいへんよく治まったのは、神の御国の優れているところで、上代はまことにそうであった。同じ集の賀の部に、花山院前内大臣の「わが君の、大和の島根から昇る日の光は、唐土までも仰がないことがあろうか」。これも道の心にかなった歌である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 神祇の歌風雅集の神祇の部に、「もとよりもちりにまじわる神なれば月のさわりも何かくるしき、と云う歌有りて、これは和泉式部熊野にもうでたりけるに、さわりにて、奉幣かなわざりけるに、「晴れやらぬ身のうき雲のたな引きて月のさわりとなるぞかなしき、と詠みてねたりける夜の夢に、告げさせ給いけるとなんとあり。これいたく道の意にかなわず、仏の意なり。中むかしより、なべて世のならいとして、この和泉式部なども、法師の云う事をのみ常に聞きなれて、仏意の心にそみつきたりしより、さる夢をも見たるにこそ有りけめ、神はいかでか斯かる御心ならむ。塵にまじわるなど云うことも、からぶみの老子と云うに、和光同塵と云えることの有るをとりて云い出でたるみだり事にこそあれ、さらに神の御うえに無き事なり。ゆめこうようのひが事にまどいて、神をな穢し奉りそ。また同じ集同じ部に、度会の朝棟と云う人の歌に「かたそぎの千木は内外にかわれども誓はおなじいせの神風と有り、この歌のみならず、すべて神に、誓〓と云い、あるは跡たれてなど云う事を詠むは、皆ひが事なり。
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うひ山ぶみ・注[ム]みづからも古風の歌をまなびてよむべし後世の人のやうに、思ひめぐらして、よくよまんとかまへ、たくみてよめることはなかりし也、然れども、その出来たるうへにては、おのづからよく出来たると、よからざるとが有て、その中にすぐれてよく出来たる歌は、世間にもうたひつたへて、後ノ世までものこりて、二典に載れる歌どもなど是也、されば二典なる歌は、みな上代の歌の中にも、よにすぐれたるかぎりと知べし、古事記には、たゞ歌をのせんためのみに、其事を記されたるも、これかれ見えたるは、その歌のすぐれたるが故なり、さてかくのごとく歌は、上代よりして、よきとあしきと有て、人のあはれときゝ、神の感じ給ふも、よき歌にあること也、あしくては、人も神も、感じ給ふことなし、神代に天照大御神の、天の石屋にさしこもり坐し時、天ノ児屋根ノ命の祝詞に、感じ給ひしも、その辞のめでたかりし故なること、神代紀に見えたるがごとし、歌も准へて知ルべし、さればやゝ世くだりては、かまへてよき歌をよまんと、もとむるやうになりぬるも、かならず然らではえあらぬ、
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『玉勝間』十二の巻 俊成卿定家卿などの歌を悪しく云ひなす事近き頃、万葉ぶりの歌をものするともがら、みだりに心高き事を云いて、俊成の卿定家の卿などの歌をば、いたく拙きようにたやすげに云いおとすなるは、世の歌よみどもおしなべて、神のごと尊みかしこむを、ねたみて、あながちに云いくたさむとする、みだり事なり。そもそもこの卿たちの歌、悪しき事も、絶えて無きには有らざめれど、すべてのよう、古えより世々のあいだに、ぬけ出でたるところ有りて、まことにいとめでたし。然云いおとすともがら、いかに詠むとも、あしもとへ寄る事あたわじをや。
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふり然れども大かた光孝天皇宇多天皇の御代のころよりこなたの歌は、万葉なるとはいたくかはりて、後世風の方にちかきさまなれば、此集をば、姑く後世風の始めの、めでたき歌とさだめて、明暮にこれを見て、今の京となりてよりこなたの、歌といふ物のすべてのさまを、よく心にしむべき也、次に後撰集拾遺集は、えらびやう甚ダあらくみだりにして、えもいはぬわろき歌の多き也、然れどもよき歌も又おほく、中にはすぐれたるもまじれり、さて次に後拾遺集よりこなたの、代々の撰集ども、つぎつぎに盛衰善悪さまざまあれども、そをこまかにいはむには、甚ダ事長ければ、今は省きて、その大抵をつまみていはば、其間ダに新古今集は、そのころの上手たちの歌どもは、意も詞もつゞけざまも、一首のすがたも、別に一ツのふりにて、前にも後にもたぐひなく、其中に殊によくとゝのひたるは、後世風にとりては、えもいはずおもしろく心ふかくめでたし、そもそも上代より今の世にいたるまでを、おしわたして、事のたらひ備りたる、歌の真盛は、
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふりさのみいひてやむべきにもあらず、よくしたゝめなば、まねび得ることも、などかは絶てなからん、さて又玉葉風雅の二ツの集は、為兼卿流の集なるが、彼卿の流の歌は、皆ことやうなるものにして、いといやしくあしき風なり、されば此一流は、其時代よりして、異風と定めしこと也、さて件ンの二集と、新古今とをのぞきて外は、千載集より、廿一代のをはり新続古今集までのあひだ、格別にかはれることなく、おしわたして大抵同じふりなる物にて、中古以来世間普通の歌のさまこれなり、さるは世の中こぞりて、俊成卿定家卿の教ヘをたふとみ、他門の人々とても、大抵みなその掟を守りてよめる故に、よみかた大概に同じやうになりて、世々を経ても、さのみ大きにかはれる事はなく、定まれるやうになれるなるべし、世に二條家の正風体といふすがた是也、此ノ代々の集の内にも、すこしづゝは、勝劣も風のかはりもあれども、大抵はまづ同じこと也、さて初学の輩の、よむべき手本には、いづれをとるべきぞといふに、上にいへるごとく、
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事ふるき神の社の、今は絶えたる、また絶えざれども、定かならず成りぬるなど、いずくにも多かるは、いと悲しきわざなり。神祇官の帳にのれるなどは、欠けてもさは有るまじきわざなるを、中頃の世の乱れに、天の下のよろずの事も、古の掟も、皆みだれに乱れ、絶え失せに絶え失せにたる、万ずにつけて、いともいともかなしきは、乱れ世のしわざなりけり。さるを今の御世は、古えにも稀なるまで、よく治まりて、いともめでたく、天の下栄えに栄ゆるままに、よろずに古をたずねて、絶えたるを起こし、おとろえたるを直し給う御世にし有れば、神の社どもは、殊に古に立ちかえりて、栄ゆべき時なりけり。しか有るにつけては、絶えたるは、跡をだに定かに尋ねまほしく、また今も有りながら、さだかならず、疑わしきをば、よく考え尋ねて、確かにそれと、定め知らまほしきわざになむ有りける。次には神の社ならぬも、古えに名あるところどころ、歌枕なども、今は定かならぬが多かるは、かかるめでたき時世にあたりて、尋ね置かまほしきわざなり。
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